nikki_20230704「赤染晶子『乙女の密告』 など」

 

最近に読んだ文章です。題を「読書日記(文章編)」にしてもよかったのだけど、これからもまとめて更新することが増えそうで、そのたびにその題にするのはなんとなく気恥ずかしくて実験的に先頭の作品名をタイトルにしています。題ふくめいろいろ試行錯誤して変わっていきそうですがお付き合いください

 

 

赤染晶子乙女の密告

「みか子はいっつも同じとこで忘れるんやね」
「はい……」
「それがみか子の一番大事な言葉なんやよ。それがスピーチの醍醐味なんよ。スピ―チでは自分の一番大事な言葉に出会えるねん。それは忘れるっていう作業でしか出会えへん言葉やねん。その言葉はみか子の一生の宝物やよ」

こんな感じで言葉に向き合うということがひとつのテーマになっている。スピーチってせいぜい中学くらいまでの英語スピーチで記憶が止まっているので、知らない世界として面白く読んだ。知らない世界でいうと、これはわりとお嬢様学校的な場所の話でそこも興味深かった。実際、テンプレみたいなお嬢様とか、そんな世界に真摯に向き合った作品ってあるのかなというのを最近考えていて、これはちょっとずれるけど近いかもしれない。ただし関西弁であり、そこがピリピリしすぎない空気を出していた。あとは集団の黒い噂(アンネと重ね合わされる)を描くうえで、主要登場人物以外がはっきり描かれないのも工夫されていた。漫画とかアニメでいうならガヤガヤヒソヒソという擬音がついたシルエットみたいな、そんな描かれ方な気がする。

関西弁ということで、想像していたよりも軽い語り口の話だという印象を受けた。正直なところ最後の「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します」の解釈はよく分からなかったので誰かと話したい。バッハマン教授をめぐる真相はかなり早い段階で分かったし、これは普通に分かりやすいものとして設定されていると思う。だから大事なのはそこではなくて、やはり言葉を通じたやりとりなんだろうな。

 

赤染晶子『じゃむパンの日』

作者による随筆集が最近出ていたので、一緒に買って読んだ次第だった。随筆なのだけど、「乙女の密告」でも健在だった軽い語り口でオチがついていたり(関西人の習性?)と物語性が強く、表題作なんかはちょっと空想も交えているようだった。学生時代の掃除当番を「えせ宝塚歌劇団」と呼んでいたこととか、地元の本屋の話、働いていたパスポート発行所が地味すぎる話とか、本当に個人的・内輪ともいえるような話こその良さがあるので、そういうものが味わえた。画材の見本市、ウエディングドレスなどの貸衣装屋でアルバイトをした話があり、色んなアルバイトで人生経験積んでおくといいんだなと思った。あと随所で出てくる京都という町への思いや描写もよい。これはどの随筆でもそうかもしれないが、それまでの人生で出逢ってきた様々の人達の断片がふっと出てくる感じもいい。

 

川原泉『事象の地平』

小学生時代の私は赤木かん子氏が編んだアンソロジーヤングアダルト向けに一般の小説作品を集めたもの)を図書館で熱心に読んでいた、という話は前もしたのだけど、川原泉はそこで知った漫画家です。ひとつ短篇を読んだのみですが。これは古本屋で見つけて読んだ随筆集……というのか分からない謎ジャンルの本。とにかくあらゆる分野の知識がゆるく語られて、いったいこの人は何者なんだという気持ちが強くなる。本人は絵柄もあいまってドジっ娘みたいなのだけど、実際は博識な印象を受けた。錬金術、競馬におけるサラブレッドの血統、国歌の歴史、家庭菜園のコツなどなど。綴られる日常はのんびりした印象かつ共感できる価値観もあり(とはいえ締切直前は寝ないなどのハードな話もあり)、こういう日常を送りつつ知識を持って物事を見て楽しめるのってかっこいいよねと思った。

>大人になるとゆー事は、自分が世の中の主役ではないって事を認識する作業だと私は思っているので、それならば、なるたけ良い脇役になれたらいいなと。格好の良い主役の座は、他の人にまかせてさ。天動説から地動説へ。コペルニクス先生は、いい人だ。

>最近は、齢をとって性格が粗雑になったせいか、「幻想的映像美」とか「耽美的映画」とかゆーのも、観てる途中で寝てしまうのが悲しい。美意識を追求する人々について行くだけの根性を失ってしまったらしい。寂しいことです。でも。「お耽美」を追及し過ぎて、わけのわかんない世界にはまり込むより、「お笑い」な世界で呑気に生きてく方が性格的に合ってるみたい。

 

森茉莉 吉屋信子『精選女性随筆集 第二巻 森 茉莉 吉屋信子

吉屋信子のほうは読んでない(ついでに花物語も上だけ読んで止まっている)のだけど、森茉莉の部分だけでとてもよかった。そもそも森鴎外の娘ということも良く知らずはじめて読んだのだけど、とにかく文章が美しい。随筆は主に過去の記憶を描いているもので、「幼い日々」はその極致みたいな題名通りの長めな作品になっている。記憶のなかの鮮やかさ、静けさ、きらきらしたものを、その記憶の中であるという感覚を残したままで書いているようですごい。「椿」もよかった。

>私は蝉の声と花との中に埋まりながらぼんやりと、夏の真昼の静かさの中に、いた。花の匂いがし、空は痛いように白く、光っていた。ふと思い出して奥の部屋を見ると、遠い向うの庭が暗く、青く、微かな明りに光っていて、いつの間にか、母の姿はなくなっているのだった。

>いろいろな場所の夕暮れ時や、真昼、雪の降りしきる真白な世界なぞが私の頭の中に、ぼんやりと浮んで来る。昔の記憶は、夢のように淡い。遠い、白い昔の夢は、底に熱でもあるように、幸福な想いを内にひそめて私の胸の中に、満ちてくる。

「電車に乗ると、皆、同じ顔をしている。この人たちの頭の中もみな同じだ、と思うと、なんともいえなく退屈になってくる。」(「道徳の栄え」)、「だいたい贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。」(「ほんものの贅沢」)などの風刺的な目線もいまに通じるものがあった。特に電車でみんな同じ顔をしてる話はもう今は歌詞とかで散々擦られているようなことだけど、自分もいつも同じことを考えているので、昔からそうだったんだな、全くその通りだ!と興奮してました。

 

ちなみにここまでのものに含めて積んでいた多和田葉子の小説とエッセイも読んで、女性作家ばかり読んだ、としたかったのだけどなんとなく途切れてしまったという経緯がある。また読みたいです。

 

米澤穂信ふたりの距離の概算

結局はなんの勘違いがあったのか……ということを推理するという話で、抽象的な謎なのだけど、しっかりと違和感を回収するミステリになっていてすごい。結局それは外の問題であるという推理、その甲斐のなさはここまでのシリーズ中で一番苦かったかもしれない。順番に話を聞いていく構成、いくつかの形でタイトル回収されるのも楽しかった。いまはいまさら「いまさら翼と言われても」をのろのろと読んでいる

 

米澤穂信春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件

春期を途中放棄→秋期を読む→夏期を途中放棄という変な順番で読んでいたので、いちど全部読み直していた。いまは秋期の途中。春期は小佐内さんの本性そのものが隠されていて、それを明かすミステリになってるのがわかった。夏期のラストシーンにおける別れの理屈みたいなのはよく分からなかったが、なんとなく別にきれいに割り切れる心理でもないのかなと思う。あと「シャルロットだけはぼくのもの」はとても好きな短篇です。確かにこれは読む順番が違うとよくわからなくなってしまうなと反省

 

以下短篇

結城真一郎「#拡散希望」(短)

日本推理作家協会短編賞らしいけど、そこまでか?と思ってしまった。伏線が分かりやすく、タイトル回収も微妙に感じた。いわゆるイヤミス的なところがあり、youtuberの闇、露悪、視聴者参加型私刑みたいなテーマなど胸糞悪いものが苦手だから合わなかったのかもしれない。

 

青崎有吾「風ヶ丘合唱祭事件」(短)

合唱祭の裏側を描くなかで出てくる、唐突感のない小道具だけで綺麗な消去法が成立する快感があった。明確な露悪よりもこういう割り切れない感情が表出してくる感じがいいですね それが「合唱祭は結局みんな真面目にやってないものだ」というあるあるに重なってにじみ出てくるのもいい

 

北山猛邦「すべての別れを終えた人」(短)

この人のを読んだことがなく、コロナ禍を反映したミステリということで読んだ。バカミス?というのかそんな感じのトリックで面食らってしまい、それ以上に語り手の探偵役である綿里外さんが猛烈にタイプで萌えたほうが印象に残った。

 

深水黎一郎「人間の尊厳と八〇〇メートル」(短)

奇妙な味の裏にある仕掛けが分かる、という構図なのは分かるのだけど、なんとなく最後まで狐につままれたような気持ちですっきりしなかった。

 

相沢沙呼「原始人ランナウェイ」(短)

推理というより連想と解釈みたいな印象だった。あと脚フェチがわかった。

 

阿津川辰海「透明人間は密室に潜む」(短)

しょうみかなり煽られていたので、透明人間の隠れ場所は分かってしまった。でもそれはミスリードかなというくらい、ほかの部分にも仕掛けがあった。動機の問題ふくめて透明人間が実在する世界でないと成立しない話になっていて、動機についても最初から伏線が張られており意外性があった。

 

織戸久貴「ミスディレクションは割り切れない」(短)

ブコメ的な展開と、ロジカルな推理が違和感なく繋がっていてよかったです。

 

織戸久貴「瞬きよりも速く」(短)

ストレンジ・フィクション3に収録されている。元ネタのりゅうおうのおしごとはミリしらなのだけど、犯人当てが将棋のような対戦型の競技とされた世界での話。この設定だけで面白く、ミステリ用語がジョジョ(読んだことなし)みたいなバトル漫画の台詞みたいに出てくるのも笑いました。たとえばクイーンの初期作品に叙述トリックがないのとか、あるいは後期クイーン問題とか(クイーンも読んだことないですが)、ミステリネタがそのまま伏線になるの面白かったです。作者がやはり犯人当てに対してかなり詳しくて、独自の考えを持っているんだろうなというのがわかる。作中の架空の犯人当てについても完全な真空(読んだことなし)みたいでよかった。百合要素も好きです

 

織戸久貴「淡い密室」(短)

ストレンジ・フィクションの「ロス・マクドナルド・トリビュート・アンソロジー『黒い背表紙の探偵』」に収録されている。一枚の絵を見たという記憶を手掛かりに、姉の隠している記憶を探る話。単純に読書経験が浅いため、こういう目の前にある死体とかではなく、おぼろげな記憶を手掛かりに論理的な考証(コンクールの時期から絵は盗まれたと分かるところ)をして探り当てる話は新鮮だった。先にあげた「ふたりの距離の概算」もそうではある。突き詰めると心情が心情としてあって、割り切れない感じになるのは好きなので、この話も好きでした。姉の動機をめぐって二転三転するのもどれも腑に落ちる展開で、一番すきかもしれない。

 

織戸久貴「ペーパー・ゴーレム」(短)

上と同じアンソロジーに収録。プログラミング等に疎くて、落ちが理解できなかったので悔しい。死の情報を翻訳したから死んでしまったという解釈をした。ほかのひとの感想をみたらオマージュ元とかありそうなので勉強して出直してきますが、元ネタが分からなくても探偵と助手の掛け合いなど楽しかったです。

 

以上!