nikki_20240426 最近行ったライブについて

 

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ありがとうございます。いいですね、聖地巡礼ではないけど、ある場所に行ったとき、ちなんだものを鑑賞したくなるのは分かる。みんなそうだと思っていたけど、実はそういうわけではないのかもしれない。海が見えたときに海の曲を聴くとか、なにかの記念日にそれにちなんだ作家の本をぱらぱら捲ってみるなど。前にも書いたように期間限定とか現地限定みたいなのには私は弱い。今年も花見らしきものには行けずなんか綺麗だなーと思ってたらすぐ散ってしまった。そんな感じであまり生活にも余裕がなくこちらも更新できてなかったのだけど、ここ1か月くらいで音楽ライブに3回行ったのでその感想を書きます。こういうライブに行きたくなるのも1回限りの何かに強く惹かれるからだと思う。突き詰めると中高で吹奏楽をやっていたのに繋がる気がする(舞台の一回性)。

 

 

 

intersection -relay of urban folk- 2024年3月24日(日)エレバティ(大阪)

 

澤部渡(スカート)の弾き語りと、Nagakumoのバンド編成がメインのイベント。どちらも好きなので行った。澤部氏は流石に歌もギターもめちゃくちゃ上手いと分かった。あと口笛も披露してくれて、これも楽器レベルで上手かった。Nagakumoはネオネオアコを標榜する渋谷系のバンドだが、弾き語りと対比して爆音で演奏するギャップがあった。やはり生で聴くと違い、マスタリングされた音源とは違ってよりアコースティックのざらざらした質感が感じられてよかった。両者が頭の中では結びついていなかったけど、いざ同じ場所で聴くと共通するポップ魂を感じた。

 

ちなみにほとんど間に合わない時間に家を出たら、行っている途中に家族から自分の生活を心配する電話がかかってきた。それに出たらさらに遅れて入ることとなってしまったのだけど、入った瞬間に澤部氏の歌が聞こえて色んな気持ちが去来してぐっときた。全体的に諦めや後悔を歌っているようだと思っているため……。あと最寄りであるJR塚本駅周辺の雰囲気が好きだった。思い返すと過去に一度行ったことがあったのだった。高架下の雑多な感じ……淀川の周りを散歩したときである。たまにギターを持って行って弾き語っていたころがあったが、最近はしてないなと思う。

 

メランコリック写楽 解散ライブ vol.1「やさしい火星移住」大阪編/メランコリック写楽 解散ファンミーティング「火星探査計画」 2024年3月31日(日)LIVE SQUARE 2nd LINE(大阪)

 

メランコリック写楽の解散ライブとファンミーティングに行った。2017年に既に解散しているバンドで解散ライブはなかったものが、ボーカルである、ももすももす氏の希望と呼びかけにより数年越しに開催された……という少し変わった解散ライブだった。私が彼女らを知ったのはだいたい1年くらい前と直近で、プレミアのついたcdを買ったりしていたら解散ライブやサブスク解禁、cd再販などの再始動があった。解散ライブvol.1とあるが別にvol.2があるわけでもないらしい。本当にラストライブだった。

 

彼女たちの曲はいわゆる邦ロックであり、相対性理論カラスは真っ白パスピエあたりを連想するのだけど、よりロキノン系の影響を感じる音楽になっている。そして何より作詞作曲を担当するももす氏のワードセンスが印象的で、うまく言えないのだけど確実にこの人にしか書けないと思わせられるワードサラダのような歌詞である。私が詩を読むときに感動するポイントである、不意をつかれたような単語の取り合わせの快感がこれでもかと詰め込まれている。しかし意図が見えないわけでもなくて、全体にあるのは厭世的な考えと不安のようなものだと思っている。

 

湿った手帳は透明な臓器でしょ
「ルカは知ってる」

 

歩く食べログ
頭のなかは多分、多分、多分
寄りかった少しの間で世界は変わる
「成仏できない」

 

足のない小鹿を3発で仕留めた
そこには友達に言えないドラマがあった
山椒魚

 

余計な説明は省くつもりだったのにいろいろ書いてしまった、というのも初めてライブで見たももす氏が私の抱いていた歌詞のイメージ通りだった、ということを書きたかったからだ。当日はロリータを着て登壇しており、とらえどころがなく、トークライブでの飛躍したイメージの発言、話の脱線具合などから勝手に歌詞のイメージを感じてしまった。こういう人に対してキャラでないかなどと考えてしまう自分もいるが、絶対に演じることはできないと思う。かなり憧れの人かもしれない。ライブではしっかりギターを弾いて歌っており、そのギャップも良かった。「成仏できない」ではロリータ姿で「成仏してください」と言っており萌えだった。あとギター10年くらいやっていてエフェクターがわからんという発言にも勝手に共感していた。

 

前述したような歌詞にもかかわらずライブそのものはとても盛り上がっており、その奇妙さもよかった。私は何にしろ、くだらなさに一生懸命さが宿る瞬間が好きで、メランコリック写楽もそれで好きになれたのかなと気付いた。音楽そのもののノリだとおいしくるメロンパンのライブを思い出す(過去に対バンしてるので当たり前といえばそう)。

 

トークライブではメンバーの好きな音楽に言及する場面もあり、メタルやファンクの影響があると語っていたのが印象的だった。「成仏できない」など彼らの曲には四つ打ちのものが多いが、ファンクの影響があると考えるとちょっと分かる。私も四つ打ちの曲は好きだけど、国内の曲ばかり聴くんじゃなくて、そういうファンクとかにも手を伸ばしてみるべきなんだなと思った。

 

ここまで述べたももす氏の雰囲気、そして歌詞の奇妙さと盛り上がりがあいまって解散ライブといえない微妙な空気が始終あったのがよかった。もちろん自分は寂しかったのだけど、ライブの空気がそうさせない感じである。解散ライブというものはこれが初体験だったのだけど、こういうものなんですか? 「そういうことだから解散になる」というボケをMCで挟んでもいまいち笑いが起こらず「このギャグがいまいちウケない」と自虐する一幕があったのも印象的だった。ちなみに解散理由は(把握する限り)明言されておらず、特に後ろ向きなものでもなく個々の活動もあるしくらいのものだと思う。ライブ自体は楽しく終わったのも、またひとつ別れのリアルさがあってよかった。悲しさに振り切ると、それもそれでわざとらしい?気がする。

 

あとは細かい気付きなど/人が多かった。油断して始まる直前に行ったらパンパンだった。/ライブに初めて来た人を問う場面では、思ったより古参の人が多いと分かった。解散ライブだから当たり前か……。なんか自分はギリギリ再始動する前に曲を聴いていたという優越感を抱きかけていたが、だめだなと思った。まあそもそも古参かどうかで尺度を作るのはよくない。でもアンコールでは最も古参の人を探して何を演奏するかリクエストしてもらうという方式をとっており、複雑な気持ちだった。解散ライブだからそういう思い入れはあるよなーとなった。小規模だった最初も最初のライブを見ていた人が来ていてすごい。/もともと曲数が多くないので、全ての曲がシャッフルされて出てきて楽しかった。EPではラストの「猿なんて絶対」で始まり、ちょっと静かな「9月と君の墓」で終わる構成がよかった。

 

全体的に解散の瞬間に立ち会えてよかったな……という気持ちが日に日に増してきている。行ってよかった。そんな感じ!

 

磔磔50周年記念「静かな夜がいい Vol.2」presented by NICE POP RADIO 2024年4月15日(月)磔磔(京都)

 

京都のライブハウス、磔磔の50周年記念公演のひとつとして行われたライブ。澤部渡(スカート)と柴田聡子の弾き語りツーマンライブである。何も知らずに行ったが50周年記念というのは確かにすごいことで、かなり有名で歴史的なライブが行われてきた場所らしい。建物の構えや作りからしてライブハウスに歴史を感じるというのは初めてで、面白かった。

 

最初にお二方によりラジオの公開収録があった。澤部氏がフォークソングはコードの中である程度メロディが自由に動く……というような発言をされていた(かなり正確さには自信がない)て、全体的にそれを実感した。そのメロディの自由さがちょっと崩してみたり、ためてみたり、節回しに繋がっていて、お二方の持つ良さが発揮されていた。

 

柴田氏は殆ど知らない状態だったが頼りなくも優しい声の中に芯があり、素朴な話題を話すような歌詞と相まってよかった。澤部氏を見たのは今年2回目だったが、激しいカッティングもゆったりしたアルペジオも聴けてよかった。あと歌だけでなくて話し声の声質にも安心するものがある。アンコールでは2人が互いの曲をカバーし、女声が歌うスカートの曲もよいと気付けた。ここで演奏されていた柴田氏の「あなたはあなた」を最近はずっと聴いている。

 

弾き語りのライブもまた初めてだったが、ビートが支配的であるバンド編成とは全く異なっていてよかった。もちろんどんなライブでも感じ方は自由だが、私の場合は今回は身体を揺らすことが少なかったし、全体的な雰囲気もそうだった。その場に響いている空気を全員が全身で共有している……というしみじみとした良さがあった。やはりフォークソングは好きである。私のこの好みはどこから来ているんだろうと考えたが、中学時代に星野源が好きだったのが始まりだと思う。

 

 

 

音楽ライブではだいたい隅の方にいるし、終わったらいかに素早く立ち去るかのことしか考えてなくてすぐに帰ってしまう。他のイベントもそうで、小学校のときの帰りの会とか、部活の何らかの催しとか、終わったらすぐ帰ってたのから根っこは変わらない気がする。立ち去ることが目的というより溜まるとかだべるみたいな行為からずっと逃げていて、最前列の真ん中で声を上げ、終わったあとも余韻からなかなか帰らず誰かと話している、ような、最初から最後まで我を忘れて熱狂することへの恥ずかしさがまだまだあって、冷めた態度をとってしまう。いつかちゃんと熱狂してみたい、と思っているのだけどそんなものはないのかもしれず、分からない。