nikki_20240502「米澤穂信『巴里マカロンの謎』『冬期限定ボンボンショコラ事件』」

 

米澤穂信氏の〈小市民〉シリーズが完結した。4/29に東京で行われたM3(同人音楽即売会)に行った際、行きの夜行バスで読んでいなかった『巴里マカロンの謎』を読み、帰りのバスで『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読んだ。今年に入って漫画以外に読書といえるものをしておらず、もう駄目かもしれないと思っていたけれど、一気に読むことができた。本が出てからネタバレを踏まないように急いで読んだのも初めてだ。思い出に残る読書体験だった。

 

しかしそれ以上に、私にとってこれらのシリーズには長い時間の思い入れがある。もっとも本を読んでいたであろう中学校の頃、図書室で見かけた『秋期限定栗きんとん事件』を一気に読んでからこのふたりの態度を真似しようとしたし、推理小説を書いたときには探偵役の造形が小佐内ゆきに似ていた。そんなシリーズが幕を下ろしてしまったのは寂しかった。最後まで読んで終わってしまったと分かって、思っていた以上にこのシリーズが好きだったのだ、と気付いた。こうして感想を書いてしまうことで本当に終わってしまう気がして、なかなか書き出せずにいる。解説を読まずに書いたので重複する箇所があり、考えながら書くのでかなり散らかると思う。それでも、いつものように考えたことを取りとめもなく書き出していく。

 

『巴里マカロンの謎』

 

全体的に小佐内ゆき(ゆきちゃん先輩)に萌えた。かわいい。これに尽きる。春期と夏期の間にあった出来事を綴った4作品の短編集であり、読者は既に夏と秋を知っているが、登場人物はそうでないため比較的穏やかな読み味になっている。最初のふたつである「巴里マカロンの謎」「紐育チーズケーキの謎」はどちらも時間や場所の制限を課された状況で、目の前にあるおかしな状況を整理して真相を辿る話である。ゆえに通常の事件というよりも「九マイルは遠すぎる」の形式を思いだした。そしてどちらも少し結末が苦くてこのシリーズらしい。マカロンはお菓子の知識と観察眼が遺憾無く発揮されており、チーズケーキの真相は分かりやすかったが真相に絡むスイーツとの結びつきが面白かった。

 

「伯林あげぱんの謎」は元々犯人当て懸賞用の作品ということもあり、この作品の中だともっともミステリらしいと感じる。前二作の苦さを踏まえると、ここでユーモアミステリのようなドタバタ感が来てよかった。あげぱんを食べ(てしまっ)た犯人は小佐内ゆきだが、彼女が犯人なのは秋期を思い出させる要素でもある。冒頭の描写からそれはかなり分かりやすいものの、真相は合理的に示されなければならない、という犯人当てのルールに従い、そこまでのロジックがはっきりしているのがよかった。彼女の存在は読者には示されているが、部室内の登場人物にとってはほとんど知らない存在であり名前は当然あがらない。途中で「背の低い一年生の女子」が言及されるくだり(p203)もミスリードになっていて、シリーズものだからこそできる犯人当てとしてよかった。収録作の中ではマカロンと並んで好き。

 

「花府シュークリームの謎」も真相は分かりやすかったが、短編集のための書下ろしということもあり、どちらかというと謎よりも小佐内さんの性格が印象に残る話であった。彼女の知り合いである後輩が停学になり、その理由を探っていく。自らの小市民としてのスタンスからこのようなことに関わるとは思えないし、後輩にも「諦めてほしい」「小市民になってほしい」(p252)と願っているが、一度頼まれたら危険な手段でも真相のために行動する。それはある意味優しさともとれるし、冷たさともとれるようでつくづく行動原理として不思議である。ハッピーエンドが大好きなのでラストシーンは嬉しかった。

 

冒頭でも述べたように穏やかで、そして少し笑えるコミカルな空気のある作品だけど、この話を書いてきた作家の背後にはたくさんの読書量があるのだと思うとすごい。古今東西のあらゆる名作を取り込んで出力されているのが変な言い方をすると私達が楽しめるかわいい物語であり、一方で全然異なる読み味の作品も書いていることに作家としての技量のすごさを感じている。

 

『冬期限定ボンボンショコラ事件』

 

読んでいるときはシリーズが終わる寂しさ・事件の真相・小鳩君の過去に迫っていく緊張感が同時に来ていてヒリヒリする時間だった。このシリーズは秋という例外はあれど基本的に小鳩くんの視点で語られてきたし、小佐内さんの視点が描かれたことはない。そのなかで先の巴里マカロンは彼女に比較的迫っていると感じて、だからこの作品は小鳩くんの話なのだと思った。今回は彼は動かない。しかし小佐内さんも出てこない。ならば何が物語を動かすのかというと過去の物語になる。

 

米澤穂信古典部』においてこのシリーズは「起きる事件の罪状をどんどん重くしていくことが裏テーマ」であること、「「冬期~」のプロットは「夏期~」を書いた頃からすでにできており、ジョセフィン・テイの『時の娘』と同じモチーフを扱うつもり」だと紹介されていて、どちらも本当だったと納得した。『時の娘』は読んだことはないが、いわゆる過去の事件を扱う歴史ミステリだと聞いたことがあるのでそういうことなのだろう(解説でかなり言及されていた)。

 

小鳩くんと小佐内さんが出会った事件を回想して進んでいく物語はエピソード0であり、口癖や小佐内さんの身長のコンプレックスなど現在のふたりに通じる要素があってよかった。メインとなるのはひき逃げの事故であり、犯罪ではあるのだけどミステリの題材としては大きく目を惹くわけではない。それでも面白い話になっているのが嬉しい。描かれる過去と現在の入院生活を往復するうちに私は確かにずっとこれが続くのかと飽きかけたけど、そうして過去のエピソードに集中させて重要な事実は現在にあるという構成である。過去のひき逃げの犯人は重要ではなく、現在の事件こそが模倣犯であったという真相も含め目新しいものではないが、私はしっかり騙された。そして帯にもある「車」が消えた問題で気を引きつつ、そこも現在と過去をダブらせて描くことでうまく隠している。

 

おそらく最もサプライズであるといえる看護師が犯人であった、という真相は意外で、そんな状況ってある!?というのが実際に成り立っているのを見せられている感じがする。そうはならんやろなっとるやろがいというアレである。これは巴里マカロンを読んだときにも思ったことで、3つあるマカロンが4つに増えるとか、ロシアンルーレットで誰も当たらなかったとか、今回は入院したら看護師が犯人だったとか、これはミステリにおいては珍しくないことなのかどうなのか分からないけど、シチュエーションが先行している印象がある。今回において看護師が小鳩くんに当たったのは「最悪の偶然」だったけど、そういうものも作用してあり得ない構図が成り立ってしまう不思議さ、これも解説にある人間関係の機微が推理の域から想像もつかないところへ連れて行く一例なのだろうか。米澤氏は連城三紀彦氏の作品が好きという話もあり、連城氏の作品もいくつか読んだことがあるのだけど似たものを感じる。

 

全体について述べたうえでふたりについて思うことを書く。最後でお互い素直になって正面切った告白をすることも考えていたけど、それはなかった。そもそもこのふたりにとって素直になるとは何なのだろうか。夏期では狐でも狼でもないふたりは「傲慢なだけの高校生」だと小佐内さんは示すわけで、小市民を取り去って残る傲慢さを、ふたりはどう処理したのか分からない。あらためて少し秋期を見てみるとpp212-213でこのように述べられている。

 

 「小市民」とは、まわりと折り合いをつけるためのスローガン。もう二度と孤立しないための建前。ぼくは使い物になりませんから放っておいてください、という白旗。
 そんなスローガンを三年も掲げ続けて、ようやくわかった。本当に折り合いをつけたいなら、最後の瞬間にぐっと我を殺すためには、そんなものは必要ない。ぼくが白旗を振ればふるほど、内心との乖離がいやみになる。心の中で相手を馬鹿にする気持ちが、積もって腐る。
 そうじゃない。必要なのは、「小市民」の着ぐるみじゃない。
 たったひとり、わかってくれるひとがそばにいれば充分なのだ、と。

 

「わたし、小鳩くんがベストだとは思わない。きっとこの先、もっと賢くて、それでいて優しい人と、巡り合うチャンスがある。わたし、その日を信じてる。
 でもね小鳩くん。この街にいる限り、船戸高校にいる限り。白馬の王子様がわたしの前に現れるまでは。……わたしにとってはあなたが、次善の選択肢だと思う。だから」

 

ここで互いの傲慢さを理解し合う関係としてふたりは受け入れる。『冬期限定ボンボンショコラ事件』はふたりが自分と改めて向き直って、小市民としての道を諦める話なのか?と考えると答えはノーだろう。秋で既に小市民のスローガンは捨てられている。ここからふたりの関係は変わったように思えない。小鳩くんは自身が過去に関わった事件、その報復としてひき逃げに遭った。後悔を抱えていた日坂くんに謝った。そのうえ小佐内さんからも「わたしの次善」と言われて最後には病室を出ていく。こう考えると小鳩くんがただただ酷い目にあっているだけな気がしてきた。

 

それでも小鳩くんはしかし自らの傲慢さを捨てたわけではないだろう。小佐内さんも小鳩くんが眠る傍らで動き続け、最後はいつも通り復讐を果たしている。ふたりは内面を変えようとはしていないが、時間だけははっきりと過ぎる。小佐内さんは「この街」からいなくなる。そこで互いはどうやって自らの傲慢さを制御するのだろう? ここではただ問題が先延ばしにされただけのように見える。でも354pで小佐内さんの言葉を受けて小鳩くんが泣いたように、ふたりを繋ぐ思いの強さが離れていても通じ合うのかもしれない。だから小佐内さんの「次善」も照れ隠しなのだろう。

 

照れ隠しと推測しかできないのは、そんな小佐内さんの視点は出てこないからだ。永遠にミステリアスなヒロインなんだと思った。彼女が事件以外でも全く際立ってなかったかといえばそうではない。心配とはいえ物理的に遠距離になってしまった相手に盗聴器を仕掛けるのはイチャイチャしすぎだろ!と思ったし、「だからきっと、わたしを捜してね。そうしたら……最後の一粒をあげるから」(p417)はあまりにオタク・キラーすぎる。こんなことを言っておいて小鳩君が京都にわざわざ進学して小佐内さんに会えなかったら事件以上に一生引き摺るだろうし、逆があっても小佐内さんは許さない気がする。そんなロマンチックな言動は終盤の推理の畳みかけも含め、ノリノリで書いてるんだろうな~という感じもよかった。

 

また「この街」から小佐内さんがいなくなる物語であるこの話において、(事故現場ではあるが)舞台が河川敷なのも個人的に嬉しかった。街と街の緩衝地帯みたいになっている河川敷が好きなので、何度も事件現場が描写され、頭の中で反芻し続けることでだんだん街の情景が見えて沁みついてくるのがよかった。第二章の「街と農地が彼方まで続いている。鉄塔に中継された電線が、遙か向こうから先へと伸びている。六月だった。」の風景とか、第五章でひたすら初夏の河川敷を歩く感じとか……。

 

これで京都で合流した話を書いても個人的には面白くないと感じるので、本当にもうふたりを見ることはないのだろうと思う。小佐内さんが京都に進学しようとしているのは分かる話で、たしかにおいしいスイーツが多そう。なんだかんだ卒業まで間はあるから、ふらっと1週間後くらいに学校とか道端で出逢っていてほしい。何か次に見るとしたらアニメになってオリジナルの話が挟まれたり、特典で何かエピソードが書かれるとかなのかもしれない……。でもひとつの作品がトラブルなどを挟まず、ちゃんと終わってくれるのは嬉しいことだ。氏の作品はほとんど読んでないといっていいので、まだそこと出会う楽しみはあると思って生きていきたい。でもやはり寂しくて、こうして書き終わることでふたりの高校生活が終わり、いま社会人とのあわいにいる私にとっての私の中高時代も終わるような気がして、居ても立っても居られない気持ちになってしまう。