nikki_20240315「とてもおいしかったもの」

 

印象に残っているご飯について。外食の頻度が多くないのでハズレを引いたことがほぼなく、だいたいおいしいの範疇に入って楽しんでいる。その中でもまた食べたいと思っていたり、実際に何回か食べておいしかったと感じているものを挙げる文章です。

 

・麺屋たけ井のつけ麺

大阪の阪急梅田駅の改札内にあるお店で食べた。他の場所にもある。つけ麺一般のイメージとして魚介豚骨のものが多く、ここもそれである。同じ味のものは違う店で5回くらいしか食べたことはないが、その中ではここが一番おいしかった。醤油と魚介と豚骨の味がどれも濃いが柚子の香りもしておいしく、麺の噛み応えもある。JR新大阪駅の近くにある時屋もおいしい。

 

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ロイヤルホストにあったステーキがガーリックライスのうえに載ったもの

別で書こうと思っていたが1月にひとりでロイヤルホストに行った。幼稚園のとき以来だと思う。デカンタが想像以上にデカかったこと・周りの雰囲気が貴族すぎて怖かったことはまた別の話として、何を頼んだらいいか分からなくてとりあえずおいしそうなのを頼んだ。ステーキがガーリックライスの上に載ったもの(名称は知らない)はひと口食べた瞬間にヤバ!と口に出してしまうくらいにはおいしく食べ終わるのが惜しかった。これは当然良いに決まっているおいしさで、先のつけ麺で魚介の味がとか言っていたのとは違う、旨味という概念そのものを食べている印象だった。たぶんどのメニューもそんな感じなんだろう。デザートで食べたパフェは林檎とキャラメルとバニラという自分には予想できない味だったので楽しく、全体的にファミレスでこんな体験もできるんだという気持ちだった。このペースで書いてると終わらない。

 

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・お寿司・すき焼き・お好み焼きの一口目

単に好物というだけだが、食べるたび一口目に感動している。そして食べてから数日経つとまたすぐに食べたくなる。一口目としたのはだいたいおいしいので調子づいて食べすぎて、終盤苦しくなることが多いから。お寿司はトロ系が好き。肉の油はそんなにたくさん食べられないため、すき焼きは一口目が常にピークになっている印象がある。お好み焼きは広島風

 

・関谷スパゲティの塩バジリコ

これも別で書こうと思っていたが1月に東京へ行き、中目黒に行って食べた。オモコロチャンネルでおすすめされていたため。そもそも散々家でパスタを食べるため、お店で食べることはほぼ無い。それでもここはパスタ専門店のため頼んで食べたら家とは全く違うと分かった。まず具材が多いし、麺も太くてもちもちしている。パプリカ、海老、ベーコン、玉葱などの旨味がちゃんと油に絡んでいて、しかしバジルのあっさりとした感じもあり、大盛にしたけど一気に食べてしまった。近所にできたら毎日通いたいし、家でもちゃんと具材を多めに入れて作ってみようと思えた。余談として前菜でパクチーのサラダを選び、生まれて初めてパクチーを食べたら意外といけた。

 

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エスビー食品 サヴァ缶とレモンバジルのパスタソース

前に成城石井で買って(別に成城石井でなくても買えるが)おいしかった。鯖とレモンで既においしく、バジルでさらに爽やかになっている。たぶんこのサヴァ缶シリーズは他もおいしそうなので試したい。既に消してしまったが、noteに書いていた日記でも言及して、同じものを再現しようとしたことがあった。その際に安い鯖缶と100円とかのバジルソースでやったが遠く及ばず、Barillaのジェノベーゼソースを使ったらおいしくできた。そのソースもおいしかった。以下は試行錯誤の跡

 

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・近所のまぜそば

一回たまたま行ったらかなりおいしくて、外食であたりを引くという経験が分かった。スパイス?だったりが入っていて複雑な感じなのだけど、全体として癖になる感じ。替え玉をしたかったけどお金が足りなかったのを後悔しているので、また行きたい。

 

・ファミマの台湾まぜそば

まぜそばだと手頃に買えるこれもおいしい。いちど2つ買って食べてみたいと思いながらできてない。

 

・バッケンモーツァルトのチーズフロマージュ

幼稚園くらいのころに食べてから好きであり、これなら無限に食べられると思っている。広島の洋菓子会社が作っている一口大のチーズスフレ。先日久しぶりに食べたけどやはりおいしかった。

www.b-mozart.co.jp

 

・Route271のパン

これも大阪梅田にあったパン屋。評価が高かったのでちょっと並んで食べたらおいしかった。そもそもコンビニの菓子パンばかり食べているので、お店の焼きたてが久しぶりというバフもあったと思う。コンビニの全部が一体となっている薄っぺらさとは違い、やはり焼いた風味や妥協していない具材の味がちゃんと合わさっている!という感動がある。どれもボリュームがあってジューシーな印象でまた食べたいと思っていたが、いまは閉店してまた高槻に店舗ができる予定らしい。

 

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・フランソワ喫茶室のクリームソーダとプリン

これも別で書こうと思っていたが2月末に友人と遊んだときに京都で食べた。もともと京都 喫茶店とかで調べると出てくるお店で、前に行ったときは並んでいたので諦めていた。平日でも混んでいたが、まさに純喫茶という感じの店内だった。コーヒーが飲めないので迷った末にクリームソーダとプリンというお子様ランチみたいな注文をした。どちらもイデアっぽい、クリームソーダといったらこれ、プリンといったらこれ、という決定版みたいな味がした。クリームソーダは炭酸は弱く甘めなのがバニラの風味が強いアイスにあっていて、プリンはカラメルの濃さがよかった。

 

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・りくろーおじさんのチーズケーキ

これも友人と遊んだときに直営店に行って食べた。ホールで食べると言っている人をよく見るので疑っていたが、確かに口の中ですぐに溶けるのでほぼ霞を食べているみたいである。でもその軽さが癖になるし、甘くておいしい。直営店ではパンも売っていてたまごサンドも食べたのだけど、こちらも甘い卵焼きレベル100みたいな半熟加減でおいしかった。

 

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出町ふたばの豆大福

和菓子で格別においしいという体験はしたことなかったけど、これを食べて和菓子にも違いがあるのだと分かった。お餅にふわふわやとろとろという食感を感じたのは初めてで、ほどよく甘じょっぱくてよかった。言わずと知れた?京都アニメーションたまこまーけっとのモデルになったお店だけど、その評判以外でも絶えず列ができているお店である。

 

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上述した友人と会ったとき、ここでしか食べられないみたいなものにこだわる性格であることを指摘されて初めて気づいたのだけどそういうところはあると思う。これからもおいしかったと思えるものを増やせる人生でありたい。

 

nikki_20240314


前にも書いたのだけど「すのはら荘の管理人さん」というアニメが高校のころ塾から帰ったらやっていたので見ていて、最終回で終わってほしくなくて泣いたことがある。いまでもアニメはそんなに見ないが、後にも先にもリアタイして全話見たのはそのときだけ、大人?向けアニメで泣いたのも初めてだった。ねこうめ氏の漫画を原作とするおねショタを描いた作品で、お色気枠であり泣き要素はない。見ていたのは塾から帰っていたらやっていたのもあるし、お色気ものを見る背徳感もあたぶんあった。いわゆるバブみを感じられるような大家さんが登場するのだが、単純にそういう癒しに包まれたいという気持ちが強く、それが泣いてしまった一番の理由だった。もうひとつというかこれは先の理由とも関連しているが、最終回が終わっても日常が続いていくことをひしひしと感じたからだと思う。ラストシーンはいつも通りの道を歩いていくものだったと覚えている。彼女たちの日常は続いていくけどそれを見ることができないし、登場人物は大家さんの癒しを甘受できるのに自分にそれはもうできないんだ、という寂しさがあって泣いていた。原作は完結したらしいのでどうなったのか気になる。些細な記憶としてとどめていたけど、そういう終わったあとも人生や日常がだらだら続いていくというモチーフは今も好きで、ある意味自分の原体験だったのかもしれない……と思い出していた。

 

nikki_20240304

 

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オモコロの原宿氏と東海オンエアの虫眼鏡氏が対談している動画を見た。全体的に能動的であることの大切さを述べているような印象だった。話の中で原宿氏のやっているありスパの話題が出ており、ほぼラジオは聴いてないのだけど最新回が面白そうだったので半分くらい聴いた。いろんな人の些細な事件を共有する回でよかった。そもそもこれに限らずラジオってそういう様々な人のエピソードが交錯する場だ、という気づきもあった。対談でもどんなの人生にもいろんなことがある……という話があった。この日記でも多く言及している気がするが、自分も日常のささいなことが集積して世界を形作っている感じが好きであり、そこの視座は原宿さんも一緒だったんだ!という気づきがあった。でもどうなんだろう、世の中における話題はどうしても共感できる人が多いものになっていく傾向がある。単にこういう日常の小さなことは取りこぼされるだけで、みんな実は好きなのかもしれない。

 

関連して思い出した関係ないことを書く。中学校のとき、体育祭に伝統をつくろうということで自分たちの代からソーラン節を踊ることになった。まず自分の学年が一通り踊れるようになってから「いま練習中の下級生の踊りを見る」という機会を設けられ、目の前で下級生のソーラン節を見た。するとやる気がなさそうで、どっこいしょどっこいしょのところで全く腰を落としてなかった。それでみんなが「なんだこれはもっと腰を落とせよ」みたいにちょっと怒って険悪な空気になったということがあったのだけど、「腰を落とせよ」って言ってみんなが怒っているのは面白すぎる。実際中学生なんてそんなやる気がないもんだし、ちょっと先生がやる気を出すためにマッチポンプというか対立煽りをしたのかなーと思い返すと気づくものがある。

 

「パソコン触ってて、調べ物しようとしてChromeを開くその数秒の間に何が目的だったか忘れるようなことが結構ある」というツイートがあり分かると思った。たぶんこれはわりとあるあるで、自分なら例えばあるツイートのリンクを貼ろうとdiscordを開く→あるサーバーに書き込まれている内容に気を取られる→結局忘れてツイートのタブを閉じてしまう(タブは溜めない主義)ことがよくある。実際はもっと複雑で、これに「今浮かんだ文言をメモしよう」とか複数のことが頭で並行している。つまり数秒前に考えたことを忘れるのはよくあるってことで、これは自分の気質もあるだろう。何もしなくてもいろんなことを次々と頭で考えてしまう癖がある。でもそれだけでなく、情報が溢れているインターネットの仕組みがそうさせてるんじゃないか?とも思う。先の例だとdiscordのサーバーに書き込まれていることだったり、ちょっと開くとたくさんの情報が飛び込んでくるのはすごい。

 

でもこれはインターネットに限らないかもしれない。去年に大阪のシカク(個人発行の同人誌やZINEを扱うお店)へ行き、買った本をいまだに積んでいたのでちょっと目を通した。そのときに「野良サイン」についてのちかく氏の本も買っていた。いわゆる駅にある公式でないサイン、駅員さんが手で貼った紙だったりを「野良サイン」と呼んで集めているのがちかく氏である。この概念についてはpanpanya氏もユリイカのインタビューでちょっとだけ触れていて、うれしかった。本を読んで思ったのは私たちの視界って客観的に見るとめちゃくちゃ情報に溢れているなということで、見慣れた駅でも視界の中に文字がいくつがあるか考えると結構すごそうである。駅は特に顕著だけど、街の看板とかもそうだ。情報が多いのはインターネットも街も同じで、色々考えが移ろうのは仕方ないのかもしれない。そういう意味で住宅街だったりを歩くのが好きなのは、そこに文字情報が少ないから、というのもありそうである。

 

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「集団に対して「ここには自分と似ているような人しかいないから居心地がいいだろうな」というような期待は抱かないほうがいい気がしてきた 5人くらいまでならまだしも10人とか超えると色んな人がいるから」というツイートを自分でした。ちょっと言葉足らずな気もしたのでもう少し考えたことを加えると、依存先をひとつにしないほうがいい、ということかもしれない。ひとつの集団にすっぽり自分のすべてを満たしてもらおうとするのは不健全で、自分のAの部分を満たしてくれるのはA’という集団、Bの部分を満たしてくれるのはB'の集団というようにするのが健全なんだろう、これはいろんな人が言っていることである。それを飛ばして、ここは自分と似ている人しかいないんだ!と期待をかけすぎてしまうとあまりよくない。

 

今年に入ってからのここの更新ペースをふと見てみると過去最低ではあった。気が向いたときに書くのか、なるべく更新したいのか、立ち位置をはっきりできていないのでさもありなんという感じである。自分が楽しく続けられたらいいと思う、などど凡庸なことしか言えないけどそんな感じなのでぼちぼち書きたい。暗い話題ばかり書いているような実感があり、それは自分の文体も関係しているのかもしれない。そもそも自分に文体というものがあるのかも分からないけど、なんとなくシリアスというか感情が見えてこないような文章では!?と感じている。2020年以降こういうことを書いてきて変化しているとは感じていて今いちばんしっくり来ているというだけではあり。もっと感嘆符とか三点リーダを多用していったらいいのか、そういう問題でもない気がする。文体は置いておいても暮らしているうえでぜんぜん楽しいこともあり、それらをまとめて書きたいと思いながら書けていない!また更新したいです。

 

nikki_20240227

 

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マシュマロが来てました。うわー久しぶりですね……おすすめありがとうございます。公開されたときにたまたまyoutubeをぼーっと見ていて、チャンネルをフォローしていたのでなんか更新されてる!?と思ってました。たぶんPotsunenは「maru」「P+」「THE SPOT」は見たことあるっぽいので舞台のほうも見れたら見たいですねー。このマシュマロのおかげで数回小林賢太郎さんについては書いてるんですが、2021年にnoteで書いた日記はすべて消してしまった。ふたたび書くと中学くらいのときにテレビくらいしか映像の娯楽がなくて、BSでやってた「小林賢太郎テレビ」を見て知って好きでした。

 

 

 

大阪であったパスピエのライブ「有象無象印象万象現象」に行った。かっこよかった。まず演奏がかっこいい。1曲ごとにリズムなど趣向が異なっていて、それをやりきっている。アンサンブルの妙をやってるバンドだと思ったし、各人が楽器を介して会話しているような、そういう意味で現象を見ているようだった。「化石のうた」とか「cube」あたりでそれを強く感じて、流石にかっこよかった。

 

もうひとつバンドとしての姿勢もかっこよかった。成田ハネダ氏がバンドが15周年であることを話していた。続けることで分かったこととして、最初はうまくできなかったけどどんどんやりたいことが思い通りにできるようになった、ライブの度に最高を更新できている、と話していた。また、同世代のバンドと比較したときにパスピエはクリエイテビティが特徴だと思う、ともあった。それは納得だった。たとえばライブでは回文構造になっている「oto」も演奏していたり、「選択詩」が「どれ」にちなんでドとレのみでメロディが構成されている、という話もあった。パスピエが好きなのはそういう言葉への遊び心があって、私が短歌や言葉遊びが好きなのと呼応していると改めて分かった。どちらが鶏と卵か分からない。前述したような音楽面でも、曲ごとの趣向から果敢に挑戦していく姿勢を見せつけられてかっこよかった。自分も創作を長く続けたいと思った。

 

最新アルバムはピンと来ていない曲もあったのだけど、ライブ後にアルバム全曲演奏したと分かって少し驚いた。振り返ると確かに全曲そうだったし、良い曲ばかりじゃんという思いである。大胡田氏がアルバムをこう聴いてほしい、という思いをライブに託していると言っていてそれを受け取れた気がする。アルバム以外でやった曲だと、わたし開花したわ、ONOMIMONO、幕の内ISM、ネオンと虎、からはなかった。アルバム全曲やると当然なのだけど、自分が中学のとき聴いていた&DNA以前のものは少なく、それ以後の方がほぼ長くなりつつあるんだと寂しくも実感した。挑戦する姿勢ゆえに過去の曲からは明確な転換点があったように思う。「ユモレスク」が分からなかったのでもっと追わないといけない。

 

あとは細かいこと。曲を聴いていてキーボードを演奏している姿をイメージすることが薄くて、それはだいたい打ち込まれていることが多いからだと思う。そんな感じで成田ハネダさんの印象があまり無かったので、実際に弾いているのを見られてかなりよかった。大胡田なつき嬢も快活な人なんだと分かった。あのワードセンスがここから出ているのかと感動したりしたわけだった。また見に行きたい。

 

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1か月近く更新できてなかったのは忙しかったからではなく、むしろ真逆だったと思う。何もする気が起きずぐだぐだしているのが2月前半で、後半に差し掛かりつつある今は順当に忙しくなりつつある。元旦に祖父が亡くなったあと、もう一人の祖父が倒れたとの報告があり、先日亡くなったので葬儀に急遽行ったりしていた。

 

なんとなく書きにくくて避けていたこととして、少し前にレポートのコンクールのようなもので賞をもらった、ということがあった。応募するだけで参加賞として数千円もらえるようなもので、資金を使うために設けられてるのではと思う。就活の適当な自己アピールのような文章を書き、応募総数が10人にも満たないようなそれで一番上の賞を貰った。想像はつくだろうが賞金目当てで応募したため、困惑の方が大きかったわけである。家族にも言うほどではないと思って特段連絡もせず、ちょっとしてから伝えた。当然といっていいのか喜ばれ、祖父が亡くなったのはその後である。コンクールの件は祖父にも伝わり、病床でその文章を読むことを欲していたらしく、わざわざ印刷したものに目を通していたという。メールを介して言伝された感想には、生きる希望をもらったことや才能がある云々とあり、それが最後に受け取った言葉になった。特に強い思い入れのあるわけでもない文章が重みを持ったものになったことには戸惑いがあり受け取りあぐねているところはあるが、こうして自分の文章が褒められるようなことはこれまでの人生で何回かあった。それにすがってこのブログで書きつづけているところがあり、またひとつそのような経験が増えた。

 

もうひとりの祖父についてはレコードプレーヤーを貰おうと思ったが、既に捨てたらしくラジカセを譲り受けてきた。CDを入れて止めずに最後まで再生する経験はパソコンだけだと意外としないので嬉しく。かつて通っていたTSUTAYAに行ってレンタル落ちのCDを買ったりしたので、聴いたりしようと思っている。

 

正直どちらの経験もあまり実感がなく、今もそうである、葬儀や亡くなることについては1月にも書いたので深くは書かないが、夫婦の片方が亡くなったときに喪主がもう片方なのはすごいと思う。血のつながった人々がたくさんいて集まる中で、最終的に弔うのは血のつながっていない他人というわけである。血のつながりって重要ではないのかとか、ここから色んなことが引き出せるのだろうけど、とりあえず不思議で強固な何かを見た気がした。

 

私の家には神棚があり、小学生くらいのときは毎日手を合わせるのが家族の習慣だった。別に宗教色が強いわけでもないため、今はそうでもなく、ことあるごとに手を合わせている。当時はみなが元気で世の中が平和でありますように、と呪文のように唱えていたのだけど、あるときそれもどうなのかと思った。人はいつか亡くなるし、だんだん元気でなくなるし、世の中にはどうしようもない事故や災害もある。そこでみなが元気であるように、自分が何事もないように、と願うのは欲張りすぎるのではないか?と中学校くらいのときに思って、以後お墓参りも初詣のときもそうは思わなくなった。ただただ何かそういう存在が私たちを見守ってなんとなく良いと思える日々を過ごせますように、みたいなふんわりしたことしか考えていない。ただそれでも、もう今年は葬儀に出るようなことがないといいなと思う。

 

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nikki_20240123「金子みすゞ『金子みすゞ童謡集』など」

 

2023年に読んだけど特に感想を書いていなかった本の記録と、2024年の三が日に親戚と見に行った映画の感想です

 

 

東浩紀動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』

評論。別に批判的な思考もできず、そうなんだと思いながら読んで終わった。タイトルから難しそうだったが、思ってたよりもオタクについてというか、二次創作の話などが中心である。小さな集合から大きな物語を見出すのではなく、大きな非物語つまりデータベースから無限に組み合わされて生まれている小さな物語たちを消費している、というデータベース消費の話は昨今の画像生成の話とも重なる思った。


ところで図書館で文芸の棚を見るのはずっと好きで、百発百中であるのが清涼院流水推理小説だったりする。見かける度に中身をパラパラ見ているけど、あんな長いのをまともに読んでいる人がいるのか疑問だった。立ち読みだけしている人の感想として、同じ長いのでも京極夏彦のそれなどとは異なると感じる。好き勝手やっているというかSFとか超常的な話まで発展しているような印象があるので。でも彼の本がたくさん刊行されたということは読まれていた証左だろう。この動ポモでも清涼院流水は「変化にもっとも敏感に反応し、もっとも根底的に小節の書き方を変えてしまった作家である」とミステリの要素を自己言及的に取り入れたことで評価されていた。あれって結構すごい本だったんだ……と思った。

 

東浩紀クォンタム・ファミリーズ

ついでで読んだ。現代とほぼ同じ日本を舞台にした並行世界もののSF。図を書いて整理したりしたが、難解で分からなかった。その難解さで何を言おうとしていたのかも分からない。筒井康隆の解説には「現代思想としての多元宇宙SF」というフレーズがあったが、どうつながるのかも分からなかった。ただ参照されている文献が多く、村上春樹論とかも出てくる。そういう意味で衒学的だし、そういう知識が散りばめられているから現代思想ってことなのだろうか? 話としても難解すぎてあまり楽しめず、これが三島由紀夫賞ですか……という気持ちではある。先述した解説はあらすじをなぞった部分が大半であり、やる気のなさそうな文章で笑った。

 

展開はちゃんとエンタメをしようとしている。未来と過去が交互に描かれ、ふたつの時間軸を越えてやりとりが行われる。そのうち別の世界線が出てきたりして、大事件が起こり、最後はすべてがひとつに収束して終わる。その収束の場面では、謎の広い砂漠で暴風雨のなか登場人物たちがひたすらに走る。いかにも!という感じで、思い当たるのは「君の名は。」くらいだが、最果ての地で全てが収束する感じはオーソドックスな印象である。結末では幼少期の自分が犯した性犯罪を大人になってから自白しに行って終わる。いい感じの書き方で終わっているが、それも数ある世界線のうちのひとつの話だろう。自分の性的な罪に向き合っておわりというのも安直に感じた。

 

金子みすゞ金子みすゞ童謡集』

にほんごであそぼ」などでおなじみ、図書室で読んだりもしていた。26歳で亡くなったことや、ネパールにみすゞ小学校があることを知った。基本的に動植物への共感をうたっているイメージだったが、景色をただ描写したものも多くある。日記みたいなものもある。拗ねて家の外にいて、ほとぼりが冷めて戻ろうとしたら「ばんまでそうしておいで」と親に言われたのを思い出してもっと拗ねておかないといけないと思った……という「あるとき」とか実際に体験したのかは分からないけどかわいい。

 

幼い日の記憶や目線の純粋さは子供そのもので、しかしそれを記述して詩にしているのは大人の技術である。大きくなってから見ると子供の目線をそのまま書けるというのはすごいと分かる。しかもそれが十や二十ではなく何百とあるわけですごい。

 

もしもお空が硝子だったら、
わたしも神さまが見られましょうに。
――天使に
  なった
  妹のように。

 

「山と空」(妹には「いもと」のルビがある)

 

死んだ妹についての詩もあったが、調べた限りみすゞに妹はいない。おそらくフィクションっぽくてそれもびっくりした。

 

𠮷田恭大『光と私語』

本屋から毎週少しずつ届く乗り物の模型の一部分

乗り遅れたバスがしばらく視界から消えないことも降雪のため

一年が終わる。青物市場の裏に、夏石番矢の幽霊がいる。

少年の、季節は問わず公園でしてはいけない球技と花火

踏切の向こうで待っている人の、大きなきっと、金管楽器

 

歌集。付録栞にある堂園昌彦の文章には「吉田くんの短歌の特異なところは、通常の短歌が細部の描写へと没入していくのとは反対に、ちょうどカメラの解像度を下げるようにディティールをあえて無視しているところだと思う。そのことが逆に、物語の構造自体に潜んでいる、奇妙さや寂しさや抒情をあぶりだしている。」とあり、感じていたことを的確に述べていてなるほどと思った。生活のことを客観的に離れて見ている感じがしてかなり好きだった。撮影された知らない町の写真のアルバムを見ている感じ。いぬのせなか座による抽象的でリズミカルなデザイン、レイアウトもそれにあっている。


ところで「解像度を下げるように」という表現からは最近「解像度」という単語が多用されていることを思い出すけれど、ここではそれが高いのではなく「下げる」で肯定的に用いられている。刊行されて文章が書かれたのが2019年なので全く現状は関係はないのだけど、面白い。

 

若鶏にこみ『ぎんしお少々』

きらら四コマ。2巻完結かつフォロワーの人がおすすめしていたので。2組の姉妹が登場し、どちらも姉と妹は進学などで別居の状態にある。そこで姉同士妹同士が偶然それぞれの場所で知り合い仲良くなっていく……という漫画。そんなことある!? この4人以外のもそれぞれの知り合いも登場していき、人間関係の把握がなかなか難しかった。そして欠かせないテーマとしてカメラがあり、主人公は姉からもらったそれで人物や景色を撮ることで関係を深めていく。これって結構重要なのだろうけど、登場人物の把握に手いっぱいでうまく咀嚼しきれなかった。もう1回読みたい。

 

隈井『うさぎのふらふら』

イラストレーター・クマノイ氏の漫画。『女子中・高生の制服攻略本』『図解 閉校中学校の女子制服』など制服マニアでそんな女の子を書いている好きなイラストレーターのひとり。こんな最高な漫画書いてたんだとうれしかった。目立ったあらすじはなく、ふたりの幼女が毎回実在する街を歩いていく、そんなごく短い漫画が2巻を通して続く。街にはふたり以外に人間はおらず、あとはぬいぐるみのようなうさぎたちが人間のように生活しているだけ。毎回途中で片方が片方を見失い、うさぎに紛れて「ふらふら」しながら探し、見つける。という漠然とした説明しかできないが、町の書き込みが細かくてうれしいし、一方で交わされるシュールなやりとりや空気はぼんやりしている絶妙な空気が好きだった。

 

草間さかえ『さよならキャラバン』

漫画。好きなアーティスト、スカートの澤部さんがおすすめしてたので。行間で語るものが多すぎて考えてしまい、つっかえながら読むところは多かった。表題作が好き。街を渡り歩くサーカスのキャラバンが来て、そこで曲芸をしている高校生が主人公の学校に期間限定で転校してくる……という話。ちょっと不思議だけどぜんぜん起こりうる話で、日常のさりげないところだけでも色んなドラマがあるんだなという感じが好み。あとは学校という限られた場所で展開される物語と、美しく舞う曲芸との自由さとのギャップがよかった。

 

大白小蟹『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』

短歌の雑誌「ねむらない樹」に短歌とイラストの連載をしている大白小蟹氏の漫画短編集。雪とか氷とかをめぐるちょっと不思議な話ばかりで、冬のイメージがずっとある。秋に読んだのでとても冬が恋しくなったのを覚えている。見開きを使うけど、書き込みが細密というわけではないというのが面白い。死別や失恋など喪失について扱っているものも多いが、その穴が再び埋められるのではなく、ゆっくり受け入れていくよう解決が好み。

 

衿沢世衣子『ベランダは難攻不落のラ・フランス

金子みすゞのように子供の純真さがまぶしい漫画の短編集。純真さから生じるかわいさ、健気さといった感情がある。「リトロリフレクター」に出てくる天文台の女の子が主人公のことを少年呼びするところが萌えでよかった。

 

 

華がないなと思ったので適当に画像を挿入する
片桐崇『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』(2023)

映画。スパイファミリーの予備知識としては「殺し屋とスパイと予知能力のある子供が作戦の都合上疑似家族をしている」くらいで、作品に触れたことはなかった。謀略騙し合いみたいなのを予想していたが、ぜんぜんそうではなく、メインとなるのはアーニャが学校で作るスイーツの材料を3人で旅行して買いに行く!というグルメ漫画だった。いかにもエンターテイメント!って感じでよかった。

 

ロイドはマイクロフィルムがどうとか上部からの指令とか、いかにもフィクションのスパイというかっこよさをずっとやっていた。淡々と敬語で喋りながら倒していくヨルもいかにもフィクションの殺し屋でよかった。最後の口紅のシーンはそんなことある!って感じで笑った。アーニャはひたすらかわいかった。彼女には相手の心が分かる能力があり、犬のボンドに未来予知能力がある。ボンドが読んだ未来をアーニャが読むというふうに二つ合わさってスムーズに物語を進めていて上手いなーと思った。ヨルとロイドが互いの正体に気づいてないなどそれは無理があるだろ、という点はいくつも思ったけど、別にそういうものだし映画そのものの評価が下がるわけでもない。

 

相手の心が分かるだけならば気持ちの齟齬も起こらないようだけど、そうではない。完全に一心同体になれるわけではない。アーニャはロイドやヨルの心が読めるが、逆はないからだ。アーニャは他のふたりに対して自分が心を読めること、ボンドが未来を予知できることは隠している。それは家族がばらばらになってしまうと恐れているからだ。

 

物語の後半においてはお菓子作りのために必要なリキュールが見つからない。アーニャはボンドの未来予知を読んでリキュールがどこで売られているか分かっている。しかし、それをロイドやヨルに話すと家族がばらばらになるかもしれないという怖れから何も言えずにいて、ひとりで探しに行ってしまう。(ちょっと時間が経っているので正確じゃなかったらごめんなさい)これが終盤の展開につながるわけだけど、そういう心が読めてもディスコミュニケーションはある、というのはなんかよかった。実際の家族も完全に心を通い合わせることなどないし、さらにそもそも疑似家族であり、そういう人と人との普遍的な在り方がたとえ超人同士であってもあるんだなーいう感じがよかったのだろうか……

 

そこから終盤はアクションが怒涛のように展開されており、ロイドもヨルも凝った戦闘シーンになっておりすごかった。それと並行してアーニャが便意を限界まで我慢する様子が描かれる。序盤で彼女は重要なマイクロフィルムを食べてしまうのだが、それを敵が取り出すために彼女を捕らえるのだ。普通にその場で殺す残虐性があってもいいが、そこは都合なのか便が出るまで監禁する。便意から解放されるシーンではクレヨンで書いたようなタッチになり、神様と共に空を飛ぶ。やけに手が込んでいてよかった。先日の京都文学フリマでフォロワーの人が描いていた映画レビュー本を読んだところ、同じところを褒めていたのでよかった。

 

思った以上に皆さんから「欲しい!」というお声をいただけたので、京都文フリで頒布した映画レビュー本の電子データを頒布します!
ただのオタクの感想でしかないですが、気になる方は是非🙇‍♂️

【電子版】2023年に映画館で観た映画100本レビュー | negishiso https://t.co/ywG2NVtD2Q #booth_pm

— ねぎしそ (@negishiso) January 15, 2024

https://x.com/negishiso/status/1746849985407353318?s=20

 

映像の話だと最後に噴水を挟んで向かい合い水が途切れるとともに合流する、など3人のつながりを描いたシーンがあった(あともうひとつ思い当たるのは旅先のレストランで銀のポットを挟んでテーブルで向き合うシーンとか?)。あと細かいところは覚えてないが、敵幹部が部下に何かすると血溜まりだけ写され、反射してそ姿が映っているシーンも印象に残っている。結構ダイレクトに死は出てきたし、旅先のレストランで軍部が乗り込んでくる場面とか、戦争下の残酷さもちゃんと描くんだと思った。

 

全体的なテンポとか動きにとても既視感があって、見ながら考えていたが『かぐや様は告らせたい』だと思った(1,2期だけ見たことがある)。フィオナがロイドへ恋していて、表には出さないけどずっとときめいている描写とか。関わったスタッフとかをよく見比べてみたけど、かぐや様1期のプロデューサーである林辰朗氏が、この映画ではチーフプロデューサーをしてることしか分からなかった。うーん単に最近の大きいアニメは全部こんな感じなのだろうか

 

主題歌に星野源がいる!というのも星野源楽曲ファンとして気になっていたが、ダブル主題歌でOfficial髭男dismもいてエンディングで2曲流れていた。いま思うとこんな豪華な楽曲のエンディングは今後二度と見られないかもしれない……。アニメ版がそうだったので今回もこの2組だったのだろうけど、星野源「光の跡」のほうはいまいち映画との関わりが分からなかった。曲としては好きだけど、「喜劇」のほうが好み。なにかのテレビ(関ジャム?)かで髭男はタイアップが上手いと言われていたけど、今回のSOULSOUPも映画のテーマがグルメなのでそのままぴったりでよかった。

 

2023年振り返り

 

 

出来事

1月

 

2月

ツイッターのフォロワーに会う

 

3月

大阪城で行われたカネコアヤノのライブに行った

人生で初めてフィギュア(中古)を買って迎える。鳩羽つぐのねんどろいどと1/8スケール。

 

4月

フォロワーに会う

大阪の万博公園に行く

 

5月

みそきんが発売された当日に買って食べる。いまは食べられないので、逆張りで食べずにどんな味だったか気にするより、ちゃんと買って確かめてよかったと思う。味がというよりそういう学びを得た体験として印象に残っている。

gwに期限ぎりぎりで自動車学校を卒業する。

免許センターに2時間かけて行くが住民票のある広島でないと受験不可と言われる。

初めて文芸以外の同人即売会に行った。関西コミティア(@大阪)。

初めて参加した音mad合作が公開「オモコロ合作 ~FavOmoMædⅣ Amethyst~」

 

6月

京都の出町座で行われた「たまこナイト」に行く。アニメ全話と劇場版をオールナイト上映するという企画。

フォロワーに会う

 

7月

君たちはどう生きるかを公開当日の朝に見た。これもみそきんと同じ意味で印象に残っている。

 

8月

帰省先でやっと自動車免許を取得する。通い始めてから約1年にしての達成だが未だペーパー。

全日本吹奏楽コンクール中国大会を見るために岡山へ。2022年は鳥取に行ったようにこれのおかげで行ったことのない県に行く機会が得られておりありがたい。どちらでも観光というほどのことはできていないが、単に田舎に行けるだけで楽しい。

 

9月

免許が取れたらサイゼリヤで3000円食べると言っていたので実行する

フォロワーに会う

 

10月

東京で行われた「暴力的にカワイイ 2023」に行く。クラブイベント?は初めてだったが数日後にインフルエンザになる。

 

11月

 

12月

 

その他

留年が決まって就職活動を中断した。教育実習に行った。卒業論文締切の直前の年末年始に親戚が亡くなった。提出は無事できた。このその他の部分がかなりあり、この振り返りは文章の形をとって大変だったんだよーと愚痴るみたいなつもりで書いているところが大きい。そういう点で人生に関わる大きめな出来事が比較的多い1年だった、ので年を越してもちゃんとまとめておきたいという気持ちで書いている。

 

直近であったということもあり印象に残っている年末について書く。近い親戚が亡くなるのも、ちゃんと葬儀に参加するのも初めてだった。どこかで卒論の心配をしていたし今もあまり実感はない。隙間を縫って田舎の小さな図書室で2-3時間ほど書いたりしていた。それでも亡くなってすぐは悲しいという言葉のもう何段階か下みたいなもののなかにずっといる、暗くて重い、なにかに閉じ込められてるというか押し当てられているような気持ちがしばらくあって、皆がそれを色んな形で共有していたように思う。死というのは避けようがなくそれに向き合わないといけないのがつらいものだとわかる。

 

一人の人間が亡くなるかどうかでたくさんの人がドタバタしたり心を一喜一憂させているなかで、世界情勢のことなど考えるといたたまれない複雑な気持ちはあった。それに追い打ちをかけるように元旦には地震があり驚いた。地域は異なったので被害はなかったのだけど衝撃を受けた。ちなみに発生当時の私はひとり海で散歩しており砂浜で地震速報が鳴るのを聞いたわけで、ちょっと怖かった。何回か散歩をしたが数日間晴れない天気だったり、人もほとんどいなくて全部灰色のなかにあるような閉塞感がひしひしと感じられていた。どこかの家で家電がピーとなる電子音も聞こえてくるような静けさだったこと含めて、たぶんこの年末年始は忘れないだろうなと思う。

 

見た映像作品

そもそも母数が少なく取り立てて述べるほどのものもなかった……のですべて。リンクは貼らないけど映画の感想はすべて記事に残している。

映画

井上 剛『その街のこども 劇場版』(2011年)
岡田磨里『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2008年)
宮崎駿君たちはどう生きるか』(2023年)
細田守サマーウォーズ』(2009)
クエンティン・タランティーノパルプ・フィクション』(1994年)
石原立也『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』(2023年)

アニメ

新房昭之魔法少女まどか☆マギカ」(2011年)の6話まで

その他

【holo*27 MV】さくらみこ x 兎田ぺこら - モッシュレース【ホロライブ x DECO*27】
https://youtu.be/_ZJ8MrEXIio?si=_aFjraI56pQLcX7K
その他の動画とかも含めて映像作品について書くと長くなるので割愛しよう……と思っていたがこれには触れておきたい。予備知識なしで見て音madの手法だと分かったときはとてもびっくりしてうれしかったし、一部映像を担当した瀬畑さんとちょっとだけ会ったり、これつながりで知り合った人がいたのも今年だった。

 

よかった本

2023年のものかどうかは関係なし
全ジャンルふくめて読んだ本を数えたら72冊だった。去年は90冊ほどなのでなかなか100冊を超えない。読んでない本ばかり部屋に増えており本棚も増設した年だったがそれでも今は入らなくなっており崩壊が近い。

千種創一『千夜曳獏』阿波野巧也『ビギナーズラック』 まず生活を題材にしていて好み。それらを韻律の中にきれいに落とし込んでいてきれいだと思った

小川洋子薬指の標本 なぜか印象に残っている。出てくる小道具の数々が作っている静かで耽美な世界が好きだった。

幌田『またぞろ。』 留年したため。かわいい絵柄とキャラながら生々しい日常の息苦しさを描いていて印象深い。

毛塚了一郎『音街レコード』A面/B面 『音盤紀行』に引き続いて音楽と記憶というテーマが好き。音盤紀行の2はいまから読みます。

三浦哲郎『拳銃と十五の短篇』 生活のなんでもなさの中に面白さや美しさがあるのだと分かった。それらを面白い、美しいと感じるのは当然作者の手つきのすごさでもある。先述した葬儀に行ったときそれでも先の生活のことを考えないといけなかったり、私の妹が思春期らしく生意気に振舞っていたり、いろいろな人の姿を見たのだけど、それらすべて人間の営みと態度なんだろうなと受け入れられたのはこの本を読んでいたことが大きいと思う。

 

よかった音楽

1万5000字ほどになったので別記事にした。

isitsutbustu-todoke.hatenablog.com

 

おわり

毎年まとめるにつけ去年はこんなことになっていると思わなかった、という実感がある。それは自分の知識について、身の回りについて、世界についても同様である。いまはこの作品が最高と思っていても来年には更新されているし、知らなかった人と知り合ったり、あったものが消えたりしている。期待と不安があるが、いまは若干不安のほうが大きい。みなさまの2024年もよいものでありますよう。