nikki_20230705「Twitter」

 

ここ数日のTwitterでのいろいろについて。私もツイートが取得できなくなったり、呟けなくなったりでいろいろ翻弄された身だった。いちおうTwitterに張り付いてツイートしていた時間はあったけれど、騒動があった土日はどちらも長めの予定があったのでインターネットしかすることがないのに!という事態にはならなかった。こういう異常事態に大して心が躍ってしまう現象というのはあって、騒動のあいだは流されるままにツイートしていた。それは人間の心理だとしても、結局はCEOの手のひらの上で踊っているだけというダサさはあったな……と自意識に苛まれている。なにも呟かなかった人がいちばんかっこいいと思っているが、自分にはできない芸当だと思う。

 

他のサービスへ移っていく動きがあった。よく見ているリストも少し更新頻度が落ちていて、例えるなら本の厚みが薄くなったような感覚で確かに変化したのだと実感している。寂しい。この文章を書いているひとつの目的は自分のスタンスを表明することで、基本的に移住はしないかなと思っている。理由はなんかブログだけで生存確認ができる人ってかっこいいじゃん?というプライドだけです。

 

こういうちょっとおどけた理由しか吐けない時点で、私はまだ本当に終わる実感を持っていないのだろう。「いつまでも続くことなんかは/そうないさ マンガもそう 終わるのさ」という星野源の歌詞がずっと好きだけれど、Twitterも永遠でないことは分かる。たぶん唐突に終わるし、それがいまというのも肯けるまま何もせずにいる。

 

ただ、今回のことは重大だとは思っている。大して調べてない私でも、たとえばTwitterの拡散力に助けられているVtuberはどうなるんだろうとか、それ以外の広報アカウントの機能は麻痺するだろうとか、災害のときの情報確保はどうなるんだろう、などが容易に想像できる。それを前触れもなく起こしたという点は批難されるべきだと思うし、そのスタンスに対するボイコットでTwitterを一時的にやめるという人も見た。だからTwitterを離れるひとの気持ちもわかる。同時に自分はこれでいいのかとも思う。

 

たしかにこんな独裁者がいる場所にいられるかとは思うけどやめられず、ただ皮肉を呟いてもそれもシステムの中に取り込まれて、上からあざ笑われているような気もする。でもこのロジックだと日本に住んでいて政権を批判することも意味がないと言っているようなものになるので、なんとなく違う気はする。反骨精神は持っていきたい。拡張機能も使いまくっている。

 

別サービスのノリが云々というツイートもたくさん流れてきた。面白くないという意見に対して、一部のノリが合わないだけだという反論があり、歩み寄ろうとしない水掛け論の様相を感じたのでつまらないと思った。結局登録していないので真相は分からないがどうでもいい。完全に見聞した内容をもとに書くのだけど、新しい場所に大量に移入したから従来いた人々が使いにくくなったとか、Twitterがあまりに大きかったのでそれ以外で似たサービスを作るのは難しそうだ、などの話を耳にした。どの気持ちも分かる。

 

こうして「気持ちが分かる」とか言っているように、私は自分の立場をはっきりさせてものを言うというのが苦手で、常に中立みたいなふわふわしたところに定住しようとしてしまう。だから今後も続けば何事もなかったかのようにTwitterでうだうだ言っていくのだろう。そして終わったならばブログだけにいるんじゃないかと思う……本当に?ROM専でやるかもしれないし、Tumblrやインスタくらいはやろうかなという気持ちもあるけど。

 

どういうスタンスをとっても誰かからはダサいと思われてるわけだし、結局Twitterをやってない人にとってはこの話題もぜんぶどうでもいいわけだとも思う。ただこうして書いている最後になって、インターネットは最高だと言いたいという思いが湧いてきた。前に「モッシュレース」の感想を書いたときにそんな文言で日記をくくったのを思い出したからだ。あれだってTwitterが噛んでいただろうし、やっぱりインターネットってそういう場であってほしい。というのを、どう締めたらいいか分からなくなったので書いて終わる。インターネット最高!