nikki_20250103

 

ウォークマンで音楽を聴くようになってからだいたい2年くらいになる。そう書くと語弊があり、もともと中学高校とずっと使っていたら本体が起動しなくなってしまった。使えなくなったと思い込んで数年経ったが、2年前にふたたび触ってみるとすんなり使えるようになっていた。イヤホンジャックの接続やバッテリーの持ちなどは悪化し続けているけれど使い続けている。音楽サブスクももちろん使うが主に家でパソコンを使う時に聴いていて、外にいるときはウォークマンを使っている。ゆえにけっこう音楽の趣味が保守的になりつつあって、これはちょっと問題なのかもしれない。

 

今はサブスクを聴けるウォークマンの端末もあるらしいが、持っているのは取り込んだデータを入れて聴くタイプのものなので音楽サブスクは使えない。それを聴くならばスマホやパソコンで、ということになる。当然サブスクの方がたくさん聞けるし便利だけれどスマホで音楽を聴くと関係ないアプリをつい開いてしまったりなどがあり、あとは個人的に馴染んでいたり、音質だったり、なんだかんだで外では音楽専用のウォークマンで聴くほうが好みになっている。そうなると音楽のデータを取り込む必要があるわけで、結果として中古のCDを集めることが趣味になった。

 

もともと古本を集めるだけ集めて積んだりしていたので、その延長でCDを集めるのもすぐ習慣になった。定期的に周回する店があったり、旅先で見てみたり、あちこちで好きな曲を買い集めてだんだんと端末の中で知っている曲が増えていくとうれしい。ゲームをほとんど通ってこなかったのでモンスターを集めたり実績を集めていく満足感はこんな感じだったのかなと思う。ただ自分の収集欲をCDや本で満たしているだけで、内実には本当は興味がないのでは?みたいな疑念もある。あとは知っているものだけを集めているのはまだ浅いのかもしれない。得体の知れないものを買って聴いてみる、というギャンブルもしてみたい。

 

中古のものを集めるのはなぜか、と問われて一番に浮かぶ理由といえば安いからということになるだろう。だいたい半額以下の値段で手に入ることが多い。しかしそれ以外の理由もあるかもしれない、と思い至った。それは選択の余地、あるいは運命観みたいなものである。新品のものを買う場合を考える。まずあれやこれやと欲しい候補が湧いてから絞っていくわけだが、このときに比較対象となるのはおよそこの世に存在しうるすべての本やCDである。絶版していない限りは仮に目の前の棚に無くても、ほかの店に行けばあるかもしれないし、ネットショッピングで手に入るかもしれない。他方で中古のものを買う場合、あれやこれやと欲しい候補が湧いたとしても、中古で売っていないならば自動的に比較対象から外される。そして目の前の棚に無いならば、同じような値段で売られているものを他で探すのは難しい。つまり、中古で買うと決めると選択する手間が減るのである。無意識だったけれど、これは優柔不断な自分にとってはありがたいのかもしれない。そしてさらにその選択する手間の減少が、一期一会的なこれは運命の出会いだ、という思いを強くすることに繋がる。ゆえに中古の物を買いたくなる。手に入れようとするものにもよるけれど、私の好きなものはだいたいこんな感じである。ロジックが破綻しているような気もするけれど、そんなことを考えていた。

 

しかしこれで中古の物を買うことを正当化しようというつもりはない。やはり自分がそうしているのはお金を節約しようとしているゆえだし、もしも巨万の富があったらすべて新品で買っているだろう。あとどうしてもこれだけは新品で買いたい、と思って中古で見かけても買っていないものがあったりも、する。そしてなにより中高の頃は新品で買っていた思い出がある。なけなしの数千円を握りしめて3-4時間本屋やCDショップを徘徊しながら候補を絞っていきどんどん頭が熱くなっていた、あの時間も忘れがたい。

 

新年で奇跡的にお年玉めいたものが手に入ったので、今日は久しぶりにそれを実行しようとCDショップに赴いていた。通っていたところは縮小されていたけれど謎にアニメの棚だけ充実していたり、そうかと思えば好きなアーティストがごっそりなかったりする。候補を絞って迷いに迷った末、スマホを開いて欲しいものがアマゾンでも同じ値段なのかなと思って調べてしまった。表示されたのは公式な価格と比べてセールで20パーセントほど引かれた値段だった(もちろんアマゾンが販売している正式なもので)。いたたまれなくなって何も買わずに帰った。もう今の自分には(そして今の時代には?)「CDショップで迷って買う」という行為自体に価値を見出さないとやっていけないのかもしれない。