nikki_20231230

 

1年のまとめを期待した向きもあるかもしれないけれど、余裕がないのでぶつぶつ最近あったことを書くのみです。クリスマスイブから更新できてなかったのだけど、特に風邪をひくなどもなくいろいろしていた。

 

Study:大阪関西国際芸術祭/企画「拡張される音楽」という展示が大阪駅あたりでやっていたので見てきた。展示は今日までらしいのだけど、私にとっては馴染みのあるボカロPの方々が音声と音楽に関する展示をしている、というものである。一言で書くとどの展示も一回性のある音楽というものがテーマである。複数のパターンを組み合わせて演奏される音楽を聞くことができて、そのパラメータを調整する手段は様々。手動でフェーダーを動かしたり、プログラムされていたり、組み合わせが視覚化されていたり、聴いた人の感想に応じて変化する。ゆえに複数回おとずれて変化を比較したり、時間をおいて鑑賞することが重要になってくる。集客率をあげる動機としてそうなっているのなら面白いが、別にそういうわけでもない気がする。複数回いくのが無理だとしても、SNSで感想を呟くことで他人の聴いたものと比較ができる。写真をとったりがokなのはそういう意図っぽくてそれは面白かった。

 

惜しむらくは、ひとつの展示を除けば音楽をヘッドホンでしか聴けないことである。実際に鳴っていたり動いたりしていたら動画で共有して比較できるのに、と思ったが、それなら別にweb上でやればよい。それにそんな感じの試みは既にwebであるだろう(音楽じゃないけど劣化していくホームページとか)。よりsnsで共有する意義をふやすために視覚でわかる変化をもっと織り込んだり、わざわざwebでない場所でやる意義が増えるとうれしいとは思った。ほぼほぼフロクロさんの展示目当てで行ったのだけど、視覚と結び付けていた氏らしい展示は、先に述べた点をふまえると一番すきだった。

 

 

塚口サンサン劇場で上映されていた「響け!ユーフォニアム」の劇場版を見てきた。劇場版誓いのフィナーレ、リズと青い鳥、特別編アンサンブルコンテストである。アンサンブルコンテスト編はどうしても前ふたつと比べると幕間感というかファン向けの二次創作感はある。1回目に見たときと同じ感想だけど劇場の音響で聴くマリンバの音はかなり良い。誓いのフィナーレとリズと青い鳥は大画面で見るとどちらも圧巻だった。フィナーレのほうは演奏シーンが長いのもあって展開が詰め込まれており、すべてのシーンが物語を進めていてスピードが速い。リズ青のほうは心情を丁寧に描くことに終始していて、ゆっくりしている。どちらかというと後者のほうが好みである。ほかにもいろいろ考えたけど、長いしこまごましているので書かない。ただリズ青は大画面で見ると美しさに恥ずかしくなってきて画面を直視出来なくなり、上を見たり目を瞑ったりしていた。帰りにラーメンを食べた。歩いたのは5分ほどだけど、年末感のある知らない街でふらふらとラーメンを食べるのはよかった。お店を出て息が白いことに気付いた。

 

同窓会に行った。前にいったときに大人になった二次創作を見てるみたいだと思ったけど、同じ感想だった。こんな感じで話すより書く方が得意なのでたくさんの人と話したわけでもないし、名残惜しむ感じもなかった。惜しんでも無常だし、ちょっと恥ずかしいしとか色々。でもまあ最後なんだろうなとも思って複雑である。こういうときにいつも思い出すのは星野源「Frend Ship」で、ライナーノーツにある「依存なく離れていけるのが、本当のフレンドシップだと感じます」という一文である。それだとぜんぜん内容は違うけど辻林美穂「さよならはそれなりに」もタイトルつながりで思い出してしまって、これも大好きな曲なので帰りながら聴いていた。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

二次会三次会的な感じで仲の良かったひととカラオケでスーツのまま20回くらい大富豪をした。共通の趣味もあまりなく、そういうゲームだけがつながりであり、それも心地よいと思う。ところで先に述べたユーフォの映画ではそれなりにきれいに描かれているが、私の妹のしている吹奏楽もなかなか大変そうである。自分のときもそうだった。強いこと、上手いこと、評価されること、楽しくやること、保護者の支持を得ること、両立することは難しいのだなあと苦い気持ちになる。ただ同窓会で見た当時の同期のひとたちはいまだに交流があったりしていて、そんな感じで良い思い出とか人生の一部になってつながりが増えたりとか、各々が良いようになっていってほしいなーと思った。

 

かつて通っていた道などを通って、いま見ているこの建物とか道は10年前にもあったのだ、と思うことが増えた。10年前はその道や建物に、過去と歴史があることに実感が伴わなかった。過去の姿を見ていないからである。でもじっさいに過去の姿を見ているものに対しては実感が伴ってくる。

 

盆も正月もクリスマスも誕生日も一続きの時間を勝手に区切ってるだけだとも思いつつ、そうして強制的に区切らないと無限に続く日常をやっていけないということもわかってきたし、いちおう年末感があるのでそういうことを書いて締める……ほぼ毎日日記をつけはじめたのが2021年1月1日のnote記事(今年はずかしくなって全部消してしまった)、2022年1月からはてなブログに移行してだいたい1年くらいになる。ゆえに大晦日あたりは来年も続けるかどうかを書くのが恒例なのだけど、まあ続けると思う。ただ来年もいろいろあってツイッターをログアウトするかなど考えているので続くかは怪しい。ともあれ読んでくださっている方にはとても感謝しています。ありがとうございます。よいお年をお迎えください。