nikki_20231224

 

ツイッターではサンタクロースについてどう言及しても冷笑っぽくなってしまうのは少し悲しく、しかしサンタに限らず、何を言っても文脈に回収されるような、そういう空間ではあると思う。もちろんサンタクロースはいるだろう。自分が小学生のころを振り返ると、そういうものなのか分からないが、わりと夢想家な生徒だった。ひとりで帰ってばかりいたので、自分に都合のいい想像を繰り広げていたり、空を見てufoがあったらいいなとか探してたりしていた。四つ葉のクローバーを探すのも好きだった(いまもたまにやる)。

 

物語の中のオカルト研とかオカルトマニアとかはずっと好きである(黒鳥千代子の影響?)。オカルト研と聴いて思いつくのはけいおんに出てきた2人くらいではあるけど。小学校のころはそういうキャラを単なる同志として見ていたが、いまはもう少し違って、単に好きなものを突き詰めている姿とかイノセンスさによさを感じる。校舎の隅っことかで不気味がられながらも本人たちは楽しんでいる、みたいな光景が愛おしい。

 

オカルトもufoもいまでは陰謀論のことを考えずにはいられなくなってしまった。あまり見かけないというか、児童書とかでの扱いはどうなったのか気になる。TRPGではオカルトや怪奇現象を探究する集団や部活というのはよくある。こちらも親にtrpgのセッションを理解してもらうにはどうすればいいか、という話題が前にツイッターであったのを憶えている。何時間もネットに向かって神話生物だったりの用語を話すわけである。そういうことを信じるのが難しくなっているのは、単に自分が大きくなったからだけではないだろう。小学校のころの私が持っていたのは好奇心だった。だからその対象が魔術や怪奇現象でなくてもよくて、図鑑とかを読めばそれは満たされていた。でもサンタとか魔法とかいまだに信じたくて、それはまた陰謀論疑似科学とはまた違うところで成立すると思いたい。それでも、かもしれない、と想像する愉しみを持っていたいというかそんな感じである。