nikki_20220703「ボールを投げる」

 

 朝から夕方までTRPGというものをしていた。6時間くらいというと長く思えるが、実際だれかと話しながら過ごすと時間というものはひとりでいるときのそれよりも速く溶けていく。それは楽しいからとかではなく別にそこまで楽しくなかったりしても起こることで、そういう性質なのだと思っている。つまらない授業とか一方的に聞かされる場合は別かもしれない。Twitterのスペースやdiscordのボイスチャットに同じ人が何時間もいるとまずは「よくそんなに長く人と話せるな…」という感想が直感的に来るのだけど、でも当人にとっては半分以下の体感時間なんだろうな、と考えたりする。とはいえTRPGのセッション自体はたのしくできてよかったです。

 

 

 

 

 最近は自分のツイートにくる反応などをとても気にして、なんか呟いて反応がないと不安になるみたいなことがある。以前もあったけど頻度があがったかもしれない。そのたびスマホの電源を切って忘れようとしたりするのだけど、思うに投げたボールがどこかに当たることって当たり前ではないのかもしれない。何らかの言葉を放って、それが誰に見られているか分からない空間というのは本来は異常なことなのだろう。SNSとかない頃はボールを投げてもどこに飛んで行ったか分からなくて、でもいまはそれが壁に当たった音が聴こえたり、遠くの景色が見えたり、場合によっては飛んで返ってきたりする。別にTwitterに限らずともそういうのに慣れすぎている感があって、なんか後戻りできないなあと思っている。

 

かつて似たようなことを書いていた。

すごい遠くにボールを投げ続けていて、それが何かに当たっていたりキャッチされている光景がかなり遠くでぼんやり見えている。そこにある日突然、こっちにボールが飛んできた感覚を覚えてしまう。見られている意識があるとこわばってしまうけど、揺るがずに書いていきたい。

日記_2021/12/12「転ぶ」|遺失物届|note

 

 

 

 

 これは7/4のことだけど、ヨルシカの新曲も出ていてよかった。このn-bunaさんのコメントは、同じ7/4に出た藤本タツキ×遠田おとの短編読み切り「フツーに聞いてくれ」と類似するものがある。漫画自体は2分くらいで読めたのでぜひということなのだけど、過剰な考察に対するカウンターのフェーズに入ったのかな、などと思っていた。

 

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@nbuna_staff

僕達は皆ただの動物で、足りない頭を使い過ぎるくらいなら最初から考えなくてもいい。歌詞にも題にも大した意味はない。
 n-buna

 

 かつて自分も考察云々を書いたことがあったけど、これで考察するほうがダサいみたいな風潮に簡単に傾いたら流行りってチョロいな~と思う。実際のところはそんなことは起こらないと思いますが…考察はたのしいので おやすみなさい