nikki_20230724「「ねぐせ」について」

 

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たまこまーけっと」を京都の出町座で見てから1か月半くらい経った。あのEDもよかったなと思い出した。いろんな人が既に語っているだろうけど、自分なりになにがよいと思っていたのか書く。またこの作品の話してるよ……。

 

曲について。まず本編のドタバタ感と対比してエンディングはしっとりしている。この雰囲気の切り替えはアニメにおいてたぶん珍しいことではないのだけど、たまこまーけっとではこれが採用されていて印象に残る。本編がどうであれ、全く変わらないエンディングが迎えてくれるというのは安心感があるし、曲調もあいまってより落ち着く。

 

歌詞について。アニメの尺で採用されているワンコーラスには含まれていないが、フルで聴くと1番と2番のあいだに台詞が入っている。CDを持っているので歌詞カードを確認してみても付記はされていないので、文字に起こすと以下になる。ただのキャラソン的な萌える台詞というより、たまこがあまり出さない一面が出ている台詞に思う。どちらかというとポエトリーリーディングを想起させるような意味深長さのある部分で、面白い。二分休符についてはピンとこなかったのだけど、調べると他の人がおもちみたいだと書いており腑に落ちた。切り餅が焼けていくように見えなくもない。

 

ふくらむ
白い
二分休符
だって
不用意な一言
それでも

 

全体を通じて扱われているのは「丸いもの」で、レコード、コンタクトレンズ、音符、和音(全音符や二分音符などの白玉音符で表される場合が多い)、おもち、という単語が出てくる。丸いものたちが連想されていき、最終的におもちに帰結するというおかしさはたまこらしくもあり、だけれどその丸さからは、やさしさが伝わるようである。この丸いものの連想が、「たまこラブストーリー」では林檎として、小石として、地球(宇宙)としてつながる。映画のEDではパンダの着ぐるみが林檎を持ち、顔の周りでくるくる回すシーンがある。絵コンテでは「地球と月の関係性を犬山パンダがリンゴを使って表現している気分」(犬山はもち蔵の所属する映画研究会の部員)と付記されていた。

 

映像について。音楽だけではなく、映像の雰囲気も本編とは異なっている。詳しくないので、具体的な技術の名前を出してどう違うとかは説明しにくいけど、本編の平面っぽい印象と比べて、光の表現の仕方とかが特徴的な気がする。そして前述した丸いものも映像でも描かれている。レコード、ビー玉、たまこの髪飾り、部屋の壁紙の水玉、風船、コーヒーカップなど。特に最後は丸いレコードが月と地球に重ねて描かれている。地球と月はたまこともち蔵でもあり、月なのはうさぎ山だからだろう(いま書いていて気付いた)。

 

 

公式ガイドブック*1ではEDについて監督のコメントが付記されているが、もち蔵が撮ったプライベート・フィルムだというのがとてもいい。確かに意識してみると、たまこたちを写した目線の高さなどからそれを感じることができる。この距離感というのはそのまま山田尚子監督のテーマとしてある。日記で数回引用している*2劇場版けいおんに関するインタビューの文言(キネマ旬報社キネマ旬報」,2011年12月上旬号,p80)があるが、ここで言われている美学みたいなものを表現するために、登場人物そのものにカメラを与えて撮影させるという方法をとっていて面白い。

 



 

もち蔵がたまこのことを撮影する、その熱意はたしかにすごく、もはやストーキングっぽさすら感じてしまう。ほかの人が言っていたが、それだけで美大を志すというのも動機が見えない部分がある。けれども、もち蔵の手つきはそのまま山田監督が重ね合わされているのかもしれないなー、というのをこのEDを思い出しながら考えていた。

 

本編と少し雰囲気を変えたEDでは、丸いものが連想される。それがおもちに繋がるのだが、しかし、おもちに帰結するまではテレビのEDでは描かれない。ワンコーラスだけ切り取って浮かんでくるのは、互いに距離感をつかみかねる少年少女同士のちぐはぐさと、丸を通じて描かれるたまこの愛らしさ、やさしい雰囲気である。その距離感が、キャラクターの仕草だけではなく、むしろカメラの動きによって伝わってくる、いいエンディングだと思う。

 

*1:本では「たまこラブストーリー」のほぼ全カット?を載せて、最初から最後までのあらすじや演出意図が書かれているのだけど、考えてみると異様な気がする

*2: