nikki_20230716「感想/体験」

 

映画の感想がちらほら出始めて、せいぜい数時間の間ではあるけど自分の感想を前の投稿でまとめるまで他者のものは見ないようにしていたので、安心していろいろ見ている。そうしていると、あまりに自分が分かってなかったみたいだった。正直みてるときも、自分の感想を整理してるときも、あれが監督自身の創作の話だなんて1mmも頭によぎらなかった。的外れなことしか言えないのに感想とか書いても意味ないかもなと落ち込んでいる。前からなんとなく何かの感想を他人と話すとき、なんとなく的外れなことを言っているという疑心暗鬼がうっすらあって、それが確信になりつつあるみたいな こんな状態は一番なりたくなかったことで、どんな感想を見ても絶対に自分の意見を卑下したりしないとそれなりに固く思っていたけど、核にあるだろうテーマを一切スルーしていたっていうのはちょっと悲しい。

 

もう少し冷静になって考えると、作者と作品を切り離したい、という自分の考えが出たのかなと思う。外の文脈は考慮せず、作品の中の要素だけで何かを読み取ろうとしたからあのテーマに気づけなかった。改めてそういうことを意識すると、そんなに映画で個人的な話をしてもいいの!?という気もしてくる。言いたいことのためにキャラクターや物語自体の筋が消費されてるような。でもやっぱり変わらない感想として、老若男女が楽しめる作品であるのはある。だから別に監督の内面が伝わらなかった、というのも想定されているだろうな。もう1回くらい見て考えたい。

 

上の文章を書いてから一日くらい経って考えるとそこまで悲観することでもなかったとは思うので、感想はこれからも書きます。自分も感想もらえるとうれしいので

 

nikki_20230709「計算」 - 遺失物取扱所について これは本当にあったことだけど、こういう生活しているとき必死に考えているけど1時間後には忘れてる、みたいな思考の体験をちゃんと書いてみたいという趣旨で書いていた。ほかにも人と話しているときに、どうやって返答するか脳内で考えていたこととか、あるいは話してるひとの背後にある無意識に目に入っていた風景のこととかが似たものとしてある。

 

このことへの興味は小学校くらいのときからあって、教科書とかでも読む話はどれもドラマチックな出来事ばかりで、生涯全体で見たときのミクロな場面って小説になっていないのかなという疑問があった。たとえばこれはこの間あったことだけど、1000円札を崩すためにコンビニに行ってミンティアを買った。レジで113円の金額が表示されたとき、おつりを分かりやすくしよう!という思考が働き、小銭をまさぐって1100円を出した。すると店員からは?という顔をされた。そうか千円札は要らないなと気づいた。たぶん小銭がほかにある素振りを自分がしたので、ならば200円なり120円なりを出せばいい、1000円は要らないというリアクションだったと思う。だけど崩したいのでそのまま出して、あーいま自分はお札を崩したいために利用した人として見られてるんだろうなと思って店を出た。この話はたぶんちょっと矛盾してて不自然な気がするけど、記憶もあいまいだし一例なので許してほしい!

 

今でいうならそういう感じの思考って誰も小説に書いたりしないのかな?と小学校くらいのときに思っていた。別にそのことを話したところで人の心を打つわけでもない、かといって完璧に面白くないと言い切ってしまえる不快さもない、はい。としか言えない出来事って本当にたくさんある。それらが書かれていない。そう思っていたのは小学生の自分の見識が狭かったからだし、そういう話は書いたところでたくさん読まれるわけでもなくて自分の目に止まりにくかったからだ。いまもそんな話があるのか分かってないけど。前に人からニコルソン・ベイカーの「中二階」という本を紹介されたことがある。わりとそういう話らしいので早く読みたいと思っています。