nikki_20220303「才能とトレードオフ」

 

 起きた 昨晩の食器を洗った 部屋のごみを捨てた 換気した 掃除機をかけた 洗濯をして干した オンラインの説明会に参加した 市役所に電話をした ATMで用事を済ませた 散髪した 料理器具などを買った 食材を買った お米を買った トイレットペーパーとティッシュを買った 帰って買ったものを片付けた 18時くらいに眠ってしまった 0時に起きて日記を書いている

 

 夕方まで完璧だったのに夕方に寝てしまったのが汚点で、完璧な一日なんでないものだな…と思う。そもそも朝ごはんにフルーツグラノーラをつまんで野菜ジュースを飲んだだけで一日を過ごしたから、それもよくない。ゆえにいまとても空腹だけど、日記を書く気分なので書いている。書いたらごはんを作って食べてまた寝る。

 

 散髪をしたのは実にこのときぶりだったと思う。日記をつけて検索性があるようにしておくと、こういう「前にいつ散髪したか」みたいなことを正確に把握できるのでよい。

 

note.com

 

 

 

 

 きょう3月3日はひな祭りで、食材を買ったスーパーでひし餅やひなあられが売っていた。妹が産まれるまではほぼ無縁の行事で、それからはわが家に立派な人形が飾られるようになったものだった。卒業式があったという旨のツイートも複数流れてくる。最後に卒業を経験したのは高校で、そのときからもしばらく時間が経過したことを考えている。まだまだ卒業したてですよ(^^♪みたいな気持ちでいるのだけど、客観視すればどんどんそうでもなくなってきているのだろう。

 

 こういうときにTwitterであるあるとされるのは「年上だと思っていた絵師が卒業を報告するツイートを見てびっくりした」みたいなものである。これは絵師に限らなくて、とにかく周りにいたり一方的に眺めていた創作家の方々が実は年下だったみたいなことはよくある。これは完全な主観なのだけどTwitterですごい創作をしている人だったりしている学生の方々はだいたい学校にあまり行っていなかったり、そういう人が多い気がしている。

 

 こういうときに考えてしまうのは才能がトレードオフであるという説である。なにかが突出してできる人はなにかが突出してできないんだね、みたいな考え方が自分の中にある。学校云々に限った話ではない。下のツイートなんかを見て、そういう考え方に思いを馳せたりすることがあった。作家さんとイラストレーターさんのツイート

 

 

 

 最近は才能がトレードオフではないかという考え方に否定的で、というのも僕はそれをできない言い訳にする傾向があるからだ。「AができなくてもBができるならよい」「AができるようになるとBができなくなるのではないか」みたいな思考が働いてしまう。Aに入るのは他者との交流とかかも。才能のトレードオフをできない言い訳にするな。人間は完璧ではないので優れている部分と苦手な部分があるけど、それらがトレードオフの因果で成立していると考えない方が(僕にとっては)いい、と言い聞かせています。

 

 これ同じこと考えている人いるだろうなと思って調べたらいました これは少し違う趣旨でこの考え方をよいものとして応用していますね、一日のなかでできることに時間を費やした方が有意義的な…。そもそも意識高い系な感じで苦手な雰囲気ではある

 

note.com

 

 もちろん努力ではどうしようもない「できないこと」みたいなのはあるので、それをどうこうは言えないし程度問題で、自分の苦手な部類を他人に任せて自分のできることに集中するというやり方はよいことだと思う。それでも、完全体を目指すことでそのちょっと下に到達できる理論みたいなもの、そっちのほうがいいのかもしれないです。それでもやっぱり「この人これがすごいできるけどこれできないのか~」みたいな悪い安心感とか拭えないですねえ おやすみなさい。

 

f:id:isitsutbustu_todoke:20220304051203j:plain

日記を書いてから深夜に作ったごはんです おいしかった