nikki_20220206「最近のボカロについてどう思うか語るスレを見てみる」

 きのうと同じ過ごし方だった。親と電話をした。コロナの話をしたらなんか空気が悪くなりかけたので控えるべきだなと思ったが、近況を伝えるのも大事なのでまあしょうがない。レポートの逃避でいろいろ調べていて、ボカロについて語っているスレを見た。こういう掲示板についてマジでよく知らない(有名なコピぺとかを見て仕組みや概念を学ぶという、逆の学習をしている)のだけど、これはちょうど1年前くらいから現在進行形で書き込みが続いているスレである。

 

最近のボカロについてどう思うか語るスレ

https://45-ch.com/t/89634

 

 予想がつくかもしれないが懐古厨というか現状を憂うものが多く、老害感のある書き込みばかりでまあこんなの見るなといえばそうなのかもしれない。しかしいろいろ変わっていっている現在進行形のアンチ?というかそういう意見はTwitterでは探すのが難しいので面白いし(プロセカは良く知らない)、まあ同調できる部分もあったりする。いろんな人というか楽しみ方があるもんですね。

 

 ざっと見て言われているっぽいことは、ボカロを踏み台にしている/プロセカと初音ミクというキャラクターについて/病んでいる曲、メッセージ性の薄い曲が多く没個性…などですかね 特に最後のは自分も思っているところなので同じ人がいるもんだなあと感じた。

 

 もちろんニコニコなどを漁れば暗い曲・語感重視の曲ばかりでないことは分かるのだけど、やはり流行るのがそこであることには変わりない。そして自分はどちらかといえばそういう曲が苦手だなと思っている。そして初期の方の星野源や、吉澤嘉代子、カネコアヤノ、相対性理論等が好きだなと思っている。これは揺るがない事実である。

 

 でもただの逆張りでは?という気持ちも強い。じゃあ明るくてローテンポな曲がボカロで流行っても同じことを言い続けられんの、と自問自答してみる。たぶん言い続けられるとは思う。ただ、流行りはしないと思うけど。そもそも僕が好きな曲は逆張りとかとは別の意味で、ひっそりと共感されるからよいみたいなところがあるようにも思う。たくさんの人が聴いて、街やテレビで流れてたくさんの人が歌う。そうして目立ちだしたら、歌そのものが持つ「生活の些細な部分を歌う」という部分がなくなるというかうーん、あと旋律に中毒性があるわけでもないので、大衆受けする感じでもないだろう。

 

 あと考えて気づいたのは、やはり流行ったりもてはやされる曲が真似しておけばいいだろという感じのもので、それが内輪で支持されている悔しさみたいなものなのかもしれない。たぶんこれが八割くらいある。中高生とかが似たり寄ったりの正直あんまりな曲を出して内輪で支持される感じとか、明るい曲が流行りだしたらそっちに寄せるんだろうなみたいな気持ちがある。ただ、依然として内輪でわいわいやっている感じとか曲以外のネタツイとかでウケている空気が苦手といえばそうだし、「10年後も20年後も芯を変えずに作り続けているのはどちらかな」みたいな対抗心は常にある。

 

 しかし、真似しやすい曲調などから作曲の敷居が下がるのはよいし、それを過程にして技術が上がっていくならいいよねみたいな気持ちはある。あと、大口を叩いたりするような青臭さをそのまま捨ててしまう悲しさみたいなのもある。中二心みたいなものとか大それた気持ちって創作を続けるうえで必要だとは思うので、、。だからなんか好きだけど嫌いみたいな気持ちがあってツンデレになっている。

 

 まとめると「明るい曲のほうが好きなのでいまの暗い曲ブームは苦手ではある」、「僕にとって全然優れていないものが内輪でもてはやされている空気が苦手」、「しかし青臭さとか作曲の敷居が下がるのはいいよね」みたいなのが感想である。ほぼ個人の好き好みでしかないんですよね、しかもボカロ自体は盛り上がっているので傾向は上向きなんですね。

 

 こういう話、具体的なツイートだったりを引用して語ると分かりやすいのだけどしづらいのでしません。あと何回も似た話をしている気がして愚痴っぽくなったのと、酔いながら書いたので論理が破綻しまくっていると思います。おやすみなさい。