nikki_20220207「人間としての家族」

 

 きのうの日記でかなり書いてしまった。短くします。

 

 きょうは起きたら試験が終わっていて、急いで12時間遅れの課題を提出→午後から労働をして早く帰れると思ったらかなり長い残業をする羽目になり、帰って洗濯や掃除をしてご飯を作り食べて今になった。日記を書いたらレポートをしますが、酔いながら書いているので分からない。

 

 

 

 

 帰っているといつも明かりのついて一軒家が目につく。実は僕も一軒家で育ったのだが、これは恵まれたことである。親もちゃんと住宅ローンを返せるだけの安定した職業に就いて継続し、一軒家や車を買っているのって相当にすごいことだと思うようになった。自分が(結婚への意思はあまりないにしろ)一軒家を買うことをなんとなく考えてみる、みたいな機会が増えたからかもしれないです。

 

 そうして一軒家で家族と暮らしていても不満はあるだろうけど、とにかくすごいことである、と並ぶ一軒家の庭を見たりして考える。ではいま両親は幸せなのだろうか、みたいなことを不意に考えた。人生において究極の目標にしていることとか、満足しているのかとか、幼いころに目指していたけど諦めてしまった夢とかあったりするのだろうか…。おそらく誰でも幼いころから考えていて渋々諦めたような道というのがあって、妥協して生きていくしかないのだけど、そういう話を家族から聞いたことがない。

 

 いまはコロナ禍でそんなことを訊いても、余計こそ現実とのギャップを痛感するだけだろうしあまり訊いてみる気も起きないが、気になった。まだ僕を支えてくれるというか上の存在として両親はいるようで、人間としての過去とか哲学みたいなのを深くまで聞いたことがないな、と思い至った。いつか話してみたいけど、なんか怖くもあるよなと考える。過去に父が童貞を捨てたときはどのようなときだったのか、みたいなことを気軽に訊いたら「もう少し大きくなったら教えてあげるよ」みたいに言われたことがあった。あれはどういう意味だったのだろうとか、もう何年前だろう、いまは教えられるような年になったのかな、などと思うことがある。そう思いながら帰っていた。おやすみなさい。