nikki_20220310「ヨルシカ遍歴」

 

  一日中予定はなく、無為に創作をしていたら終わった。終盤に近づいてきた気がする。

 

 

 

 

 日記でアルバム「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」、その初回限定版が再版されるという言及をしてからここ2日くらいは思い出したようにずっとヨルシカを聴いていた。具体的にはspotify公式が出している「This is ヨルシカ」*1をシャッフルにしてずっと流していた。自分とヨルシカについて振り返ってみたい。

 

 

 

 

 ボカロを聴くようになったのは高校生のときで、n-buna氏の曲は聴いていた。はじめに聴いたのは覚えていないが(順当に「ウミユリ海底譚」だろうか)、はじめてアコースティックギターで弾き語ることができたのが「夜明けと蛍」だったのは、はっきりと覚えている。Em、Bm、C、D、Gのコードを繰り返すだけで弾けてしまうのでギター初心者の方にはおすすめかもしれません。それからじんわりと好きになっていった。

 

 サブスクは聴かず*2、ただnicoboxで曲を聴いていた。足繫く通っていたTSUTAYAには「カーテンコールが止む前に」「花と水飴、最終電車」「月を歩いている。」が置いてあり、「月を歩いている。」以外のふたつをウォークマンに入れてよく聴いていた。なぜひとつを除外したのか、、ひとつひとつじっくり聴いていて2枚目で飽きたこと、なぜか「月を…」だけいつも先客に借りられていたこと、曲調で言えば前2つのほうが好きだったことなどがあったかもしれない。

 

 

 

 

 ヨルシカが「言って。」を投稿したことは覚えている。すぐとは言わないまでも、10万か100万再生されるより前に聴いていた。ゆえに古参ぶっている節がある*3。本当は「靴の花火」がいちばん最初に投稿された曲なのだけど、彼らの人気が少しはねたのは「言って。」だと思う。そして僕が「靴の花火」を聴いたのはかなり後のことだった。いまでも隠れ気味な曲だと感じる。2番サビのあとのギターソロが好きです。ともあれ、それから新曲が出る度に少しずつ追っていた。一気に人気になったのはどのあたりなのだろう。「ただ君に晴れ」もTikTokなどで使われているっぽかったが、本当に一般的に「ヨルシカだのYOAOBIだの違いが分からない」みたいにネタにされるくらい知名度があがったのは本当にこの1年くらいな気がする。

 

 

 

 

 自分の話とは逸れたが、そうして聴いていた。TSUTAYAにはいつまで経っても「夏草が邪魔をする。」しか置かれなくて、少し憤慨していた。アルバムを買おうとまではいかず、youtubeにある曲だけで我慢した。代わりに既にウォークマンに入っていた「花と水飴、最終電車」は買った。ジャケットが美しかったからだ。しばらく飾っていた。高校を卒業するくらいになって改めて見に行ってもなかった…と思ったら「夏草」だけボカロのコーナーにあり、あとはJpopのコーナーにあったのでなんとなくしんみりしていた。

 

 

 

 

 「ヒッチコック」も印象深い。出た日に聴いてずっと泣いていたことを覚えている。この曲が出た日はいろいろあって病んでおり、塾から帰ってきて発表直後のこれを何回も聴き、膝を抱えたまま嗚咽していたことを思い出す。八方塞り感というか、自分にとって正しく善く楽に生きたくて、しかしああやってもこうやっても分からなくなるばかりで、どうしてうまく行かないんだろうか、というような気持ちが上手く具現化されている曲だと思っている。

 

 「悪い人ばかりが得をしている」「生きてるだけで痛い」などが当時の心境に合っていたのだろう。「この先どうなら楽ですか」「これでも本当にいいんですか」などの問いも刺さる。そうして歌詞のなかで「先生」に投げつけられる無数の問いに対して答えは一切示されなくて、ひたすら独白のなかに閉じこもっている。そういう卑屈さというか、閉塞感…。しかし軽快な曲調だし、「あなただけを知りたいのは我儘ですか」と突然「あなた」が出てきて、告白のような茶目っ気のある(?)オチをつけて終わるのもよい。これは純粋なオチというより、暗いけど誤魔化しておどけているような印象をいま聴くと受ける。とにかくこの曲がかなり好きで、結果として弾き語る十八番みたいになっていた。軽音部でもないので聴いてくれる人はいませんでしたが。

 

 

 

 

 そんな感じでぼんやりと好きなまま今に至るが、全部の曲名からメロディーを思い出せるほど聴きこんでない。ゆえに印象が薄いものも無数にある。だからここ数年、生活の要所要所で聴けていなかったものに触れている。「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」は一人暮らしを始めて、サブスクを自分で支払って聴けるようになってからはすぐに聴いていた。なんとなく一人で生きる寂しさにはじめて触れたときの感情にしっくりきた。youtubeにあがっている曲は高校のときに何回も聴いたので、アルバムにしかない「夜紛い」「八月、某、月明かり」あたりを何回もリピートしていた気がする。

 

 「八月、某、月明かり」については「某」の読み方が分からないです、というリスナーのコメントに対し、「どう読んでもいいですよ」みたいにコメントをしていたn-buna氏が印象に残っている。端的に作品に対する態度が現れている気がしますね。それがyoutubeliveかTwitterだったかは忘れた。そういえばn-buna氏がTwitterをしていたのも懐かしい。どこかで目にしたが、優れた人ほどTwitterを去っていく…。

 

 この曲は「最低だ」のリフレイン、あとCメロの「そんなの欺瞞と同じだエルマ」の歌い方が印象的だ。特に後者はいつ聴いても鳥肌が立ってしまう(これはめちゃくちゃ役に入っている歌い方をするアニソンへの共感性羞恥と同じである)ので、好きゆえに聴くのが苦手みたいになっている曲である。

 

 

 

 

 この曲にも代表されるように、数日きいてみて気づいたのだけどやはりn-buna氏の歌詞はいい意味での臭さがあるなと思ったりした。自虐的、どうせ自分なんか、君にあてつけて自分の愚かさを歌う、みたいな曲が多くて、過去の自分を見ているようでもある。そういうn-buna氏の思春期臭さ、しかしそこからしか得られない栄養分が確実にある。

 

 

 

 

 ボカロの話に戻ると、高校の時に聴けなかった「月を歩いている。」もひとり暮らしを始めた春に通して聴いた。しっとりした曲が多いイメージだったのだけど、意外と激しめの曲も多かった。しかしなんというか春の夜の幻想的な雰囲気が童話モチーフに託して語られる構成はかなり好きで、いまも時折聴くことがあり、、。「白ゆき」なんかボカロ1選を挙げるなら出すくらい好きですね。

 

 

 

 

 いまはヨルシカ=ミーハーみたいな語られ方をすることも多い気がして寂しくもある。しばらくアルバムが途切れているので次はどうなるのかな~という期待があります。わりと「月に吠える」だったり「風を食む」あたりは打ち込みのドラムを使っていて(「盗作」でもわりと使われていたかもしれない)、変わっていくのかなと思ったりする。思ったより長く語ってしまいました。おやすみなさい。

 

f:id:isitsutbustu_todoke:20220123054655j:plain

 

 

*1: 以前TLで見かけた話題だが、もしもスタァライトの天堂真矢がソロで楽曲を出したら「This is 天堂真矢」というプレイリストが公式に出るのだろう。

*2:思えばspotifyは無料でかなり聴けるのだけど、広告が入るのが苦手ですぐに辞めてしまった。

*3:ずとまよとYOASOBIはぬゆり氏、Ayase氏つながりで投稿されてコンマ秒くらいで聴いたので、そこも誇りに思っている節がある。YOASOBIに至ってはコメント欄に「人気になると思います」みたいなことを書いていた。いまも好きで聴いているかは別として…