nikki_20230815「無題」

 

お盆の1週間ほどTwitterとdiscordからログアウトしており、いまは帰省している。結局TwitterはFF0のアカウントにログインしてフォロワーの名前を検索してみるということを繰り返しており、意地でもリストやいいねはやらないという縛りプレイ状態になっている。これでも雑多なタイムラインは見ないで済むのでましではある。そんな感じで寝る前にyoutubeとかと反復横跳びして2時間くらいスマホを触ってしまう、みたいなことになっておりこれでいいのか感はある。ツイートに書きたい下書きは増えるばかりだけど、しばらくするとこういうことを呟きたいという思考さえスーッとひいていく、というのを前回似たことをしたときに実感しているので待ってみる。この日記はそういうツイート欲の発散が九割くらいで一割は生存報告の目配せみたいなものです。

 

少しだけ漫画にも触れており、若鶏にこみ「ぎんしお少々」、隈井「うさぎのふらふら」どちらも全二巻のほのぼのした百合漫画を読んだ。後者がかなり好みでよかった。

 

帰省の感想としては変わっていくのって怖いなーということだった。帰省するたびに感じている。老いもそうだし、家族を取り巻く環境も変わっていって、いつまでもこうして夏には親戚で集まるのだ、と思っていた幼少期とはもう違うのだと分かる。すぐ潰れると思っていた通学路の店は意外と長く続いており、いつまでもあるように思えた弁当屋は更地になっていた。

 

こういう変化への畏怖というのは、だいたい自分位の年頃でみんな感じるものなんだろうか。それともばらばらな瞬間でやってきて、既にそんなの高校のときに分かってたという人もいれば、まだよく分からない人もいるんだろうか。そういう系統でいうとおたふく風邪を思い出す。だれしも一生に一度は罹患するらしいが、自分はまだかかっていない。

 

話が逸れたが、いまの時点で知っている作品とかもやがて30年前のものとして紹介されることを想像すると耐えられなくなる。いわゆる大場なな的というか、いまこの瞬間を永遠にするためならどんな手段でも厭わないようなキャラクターの気持ちも分かるには分かるなと思いながら散歩をしていた。

 

閑散とした場所でも有馬かなが頑張っていてよかった