nikki_20230112「藤本タツキ『チェンソーマン』」

 


実家に帰省した際に親が持っていたので読んだ。途中までしか読めなかったので、数日後に快活クラブで12巻まで読み切った。しょうじき1回、しかもブランクを開けて読んだだけでは何が起こったのか分からない部分が多すぎる。悪夢でも見たかのような気分になってはいる。

 

漫画をそこまで読まないのでほかがどうなのかは知らないが、とにかく大量に人が死ぬし血も吹き乱れる。不謹慎だなと思わせる隙を作らないレベルで突き抜けて狂ってるなというか、どれくらいすごい技術か分からないけど滅茶苦茶やってるな~という印象だった。戦闘シーンとかの「何が起こってるか分からないけどなんかやばいことが起こっている」感の説得力が面白かった。

 

終盤にコベニちゃんとのデートがいきなり始まって、泣きながらダンスするところとかトンデモすぎる。呆然としながら読んだ。アニメは見ていないが、TLとかで見た感じ原作の半分も話が進んでないのではないかと思った(調べてみると5巻くらいまでらしい)。こんなスケールのデカい話が2期で終わるのか気になる。

 

あまりにも滅茶苦茶すぎてなんでもありなんじゃね?と思ってしまったけど、人間が死んだら生き返らないというのは通底していてなるほどね~となった。たぶんそういうロジックはしっかりしてたと思う。把握しきれなかったけど。

 

主要キャラはどんどん死んでいくけど、なぜかコベニちゃんだけ生き残ったのが解せない。そこまで行くなら全員死んでしまうような結末でもよかったのでは?と思ってしまった。早川アキだって、姫野先輩だってちょっとの偶然が違えば生き残っていたわけなのに。

 

最終的なマキマさんの目的も分かる。いわゆる悪を完全に排除したユートピアを作るという思想(例のコマが出てきたときは笑ってしまった)には共感できるところもあったので、終盤ではマキマがんばれー!と思っていた。それでもデンジくんのほうが勝つ展開に、分かりやすい正義の裏付けがあるのかといえばあるようには感じられなくて、ただデンジが主人公だから勝っただけみたいな、そういう印象を受けた。

 

全体としてはなんでもありなんじゃね?という世界観だなと感じていて、だからこそ上で述べたような作者の恣意性を感じた。起こるべくして起こったというより、作者がこう転がしたいからこういう展開になった印象というか。一言でいえばご都合主義なのだけど、ちょっとニュアンスが違う気がする。ご都合主義というと正しさや効率のよさを優先するようなニュアンスがある(と個人的には感じる)。これはそうではなくて、ただひたすらに滅茶苦茶やりたいという作者のエゴが反映されているというか。作者にずっと手のひらの上で転がされているような。

 

ほかの人の感想とかTwitterで調べると「人間の生死に恣意性はない(悪魔の気まぐれで簡単に死ぬ)」という死生観だと言っているもいた。なぜか作者の意志で何百人もの人が死んでいくし、主人公が勝ってしまうような漫画の構造そのものが、世界の不条理をそのまま描いているようでもある。そうして何故かコベニちゃんは生き残ってしまう。

 

12巻からは第二部がはじまったわけで、これも三鷹アサさんがひたすら可哀想だなというのに尽きた。冒頭のシュールさもあるけど、ぜんぜん無縁に生活していたのに巻き込まれていて心からご愁傷様ですと思う。こう思ってしまうことからも、自分は日常に寄り添った作風のほうが好みなのかもしれない。