nikki_20220717「読書日記その3の2 小説編」

 

きのうの続き。小説について書きます。

 

isitsutbustu-todoke.hatenablog.com

 

 

円城塔Self-Reference ENGINE

 

 

小説。はじめての円城塔だった。連作短編集の体裁をとっており様々な話があるが、つながりがよく分からない。たぶん同一の出来事が起こった世界を舞台にしているんだろうけど、いろいろカオスだった。

 

第一部を読んだ時点でのメモ→「何についての話で、どう読めばいいのか記述の意味すら全くわからない。これが後半で一気に収束すると面白そうだし、短編集でなくひとつの作品として作られているならその可能性も高いが、そうでもない気がする。というか知る限りの円城氏の作風だとそっちの可能性が高い。しゃべる靴下の話(Bobby-Socks)とかすき。」

 

…結局なにかが収束することはなく、ばらばらのままだった。記述されていることの1割も僕は理解できなかったが、難解さのある内容が独特かつかっこいい、はたまたウィットに富んだ文体ですっと入ってくる。流石にでまかせで書いているとは思えないので、円城氏のなかでは世界観が成立して筋の通ったことを書いているはずなのだろう…。教養のある人なんだと思った。

 

先述したようにいろんな話がある。

 

祖母の家を解体してみたところ、床下から大量のフロイトが出てきた。

 

という出だしの話もあるし、

 

通りの向こうから大声でこちらの名を呼びながら、サブ知性体が走ってくる。
「旦那ぁ、てぇへんだ。八丁堀の巨大知性体の旦那あぁあ」

 

こういう始まり方をした次の話の出だしがこれだったりする。

 

巨大知性体ペンテコステⅡ崩壊の光景を鮮明に記憶されている方も多いと思う。


これはつまり書き出しで惹き付ける力があるということで、以下好きだった文章を列挙する。いいな~。すきでした。

 

地獄の釜の底が抜けたとしても、底なんてものはいつも上げ底なのだ。

 

何かを失っていないものは、それを持っている。僕は角を失ったことはなく、だから僕には角が生えているってことになる。

 

わざわざ人間にメッセージを送るよりも巨大知性体に連絡を取る方が容易いと考えるのが自然である。犬に悩みを打ち明ける人間は多くとも、ミジンコに人生を相談する人間はほとんどいない。

 

昨日の蜜柑が今日の林檎になることまでジェイムスは責任を取りたくないし、とりようがない。

 

鞍には 頭陀袋が二つと、穴だらけのソンブレロ。これもまた焼け焦げと穴とに古びたマント。杖が一本、頭陀袋の口へ結わかれている。そこまでを一瞬で見てとる必要はない。それらは、静止画像を拡大し、ようやく確認できる遠景の要素にすぎないから。一度流して観返すような物好き向けの、参照点。

 

世の中にはただそれだけで楽しいことが一杯あるんだ。キッチンの壁の染みから以前の殺人事件を想像するなんてことに喜びを感じなくったって、全然平気で楽しく暮らせるように世の中はできているはずだと僕は信じたい。

 

これは汽車を追いかけるなんて話では全然ない。あの娘に、黙って汽車に乗り続けるなんて芸当を期待するのは間違っている。それとも、永久に沈黙を続ける黒電話。決して通じるはずのないものが通じてしまうことなんて、あるわけないと思わないかい。

 

 

 

 

J・サラマーゴ「白の闇」

 

 

読書会で読む必要があったので読む。ノーベル文学賞受賞作家による、パンデミックの話。視界が真っ白になって何も見えなくなる病が突発的に蔓延、ただひとりだけが感染せずに話が進む。55点くらい…。先は気になるし思考実験としては興味深いので、そういう面白さはある。あとパニックホラーとかバイオレンスとか胸糞ものがあんま好きじゃない(ミステリは例外)ので、そこもあると思う。ただ読めたのはよかった。

 

流行り病と重ね合わせて話題になっているらしい。人間のエゴみたいなのはわりと似たようなものがあったり、陰謀論めいたものが登場するのでそこは確かに…。となったけどそれ以上はないかも。そもそも作中の病の性質上、かかったら普通に生活できなくなって争いが発生し、暴力で人が死んだりする。個人的な意見になるけど、いまの病ははまた違う陰湿な嫌さがある(かかっても重症化しない、かかったことに気づきにくく市中感染など)ので直接的な教訓にはならない気もする。でも、相対的にいまの世の中の嫌さが浮き彫りになったとも言える。

 

文体も独特で、読みにくい。鍵括弧を用いない、ひたすら間接話法の語りが長い段落で続く。さながら落語のよう。特に議論するところとか口論するところ、滅茶苦茶わかりにくい。また、三人称のように見えて、語ってるのは誰だ?みたいな視点がたまに出てくる。ただ、流れるように読める感じもあってそこはうまいと思う。あとところどころ秀逸な言い回しみたいなのもあってすき。あと登場人物に名前がない。これも読みにくさの一因であり、ある種の象徴にもとれる。

 

ここからネタバレします。

 

分量として、半分くらいが牢獄編、もう半分が町での集団生活編だった。集団生活編からさらにSF的に発展する気もしたのでそこは拍子抜けした。でもSFじゃないし…。自分が好きだとするような伏線回収とかはなく、ただ思考実験として先が気になるなという推進力で読んだかもしれない。

 

これは読書会でも意見にのぼったのだけど、伊藤計劃「ハーモニー」的なもので、物語自体が誰かによって叙述されていた…という結末も期待したけど違った。(ハーモニー未読の方がいたら、すみません)最後、結局見えるようになるんかい!となった…。あとはコロナとかと重ねると希望の象徴にも思えた。とはいえ、最後のちょっと不穏な終わり方がそれを中和していてよく分からない。

 

 

 

 

谷崎潤一郎「卍」「吉野葛蘆刈」「刺青・秘密」

 

 

読む必要があったので読んだ。こういう古典は機会がないと読まないのでよかったかも。あと初期は意外にバラエティに富んだ話を書いていたという発見もあった。「卍」は女性同士の恋愛かつ大阪弁でずっと悲劇的な恋愛関係がひとりの口から語られるという体裁で、ずっとcv花柳香子で読んでました。

 

 

 


相沢沙呼 ほか「彼女。百合小説アンソロジー

 

 

読書会のために読んだ。主にミステリ作家が集まった百合小説アンソロジー。ネタバレします。

 

織守きょうや「椿と悠」…あっさりしているなあという印象。でも後の作品群を考えると、ハピエンのこれを冒頭に持ってくるのはいいかもしれない。勘違いがふたりを結んだしるしになる話?

 

青崎有吾「恋澤姉妹」…異色と言われていたけどなるほど。ハイローとか見ているのもあるんだろうけどアクションシーンが上手でした。。同作者「アンデッドガール・マーダーファルス」(未読)あたりにも共通する要素がありそう。関係者を回っていって最後にボス的な人にぶち当たるのは推理小説的でもあり、円居氏と共通する部分がある。最後の一文がすき


武田綾乃馬鹿者の恋」…タイトル回収は予想できた。でも殺すまでに至らなくてよかった…。細かい身体描写が緊張感を始終張り巡らせていて、人間関係のリアリティもこの人が体験したからこそなのかなと思ったり。繊細な描写が京アニの技術と結びついたなら幸運なことだと思う。ユーフォも読みたい。NTRが無理だということを改めて思い知らされた一作。

 

円居挽「上手くなるまで待って」…わりとハピエンなのだけど、作中で語られる創作論はしんどかった。ここまで細かいことを考えないと小説って書けないんだなという。やはり京大推理研とかの経験で培った観察眼が生きているのだろうか?

 

斜線堂有紀「百合である値打ちもない」ルッキズムと消費される百合の話? esportsの題材、なんともいえない終わり方がよい。逸れるけど、vtuberはたしかにそういうルッキズム的なところを解消する手立てではあるかもしれない。作中で語り手の頬が手術で腫れるシーンがあるのだけど、読んでいるときにTwitterでは斜線堂先生が抜歯していて実際にゼリーしか飲めない状況が辛いと訴えていたのが面白かった。オタク・Twitterやスレの解像度がいいという話が読書会であがったけどわかります。

 

乾くるみ「九百十七円は高すぎる」…ミステリ好きなので、タイトルから期待していた。ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」型というか、何気ない一言の背景をふたりであれこれ話して真相に到達するやつは無条件にすき。全体的にオチまでキュートで、前の斜線堂先生の話の得も言われぬ感じを緩和してくれた気がする。

 

相沢沙呼「微笑の対価」…普通に結末で視点が切り替わるところはびっくりした。破滅したほうが楽になれそう。

 

全体的に、このアンソロジーってそこまで話題にならなかったという印象があります。ただ、恋澤姉妹は話題になっていたと思う(僕が青崎氏をTwitterでフォローしているのもある)。あとどうでもいいのだけど7人中4人があ行という偏りがあることに気づいた。誰かが言ってきた気もするけど。

 

 

 


SFマガジン編集部「アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー

 

 

百合アンソロその2。有名な百合SFアンソロジー。彼女。よりはこちらのほうが好きかなという感じ。色のない緑と彼岸花がベストか。思い返すと「アステリズムに花束を」という名前の作品はないわけで、アンソロジーのためにつけられたタイトルということになる。ここからもう「一発当てるぞ…」みたいな気概がうかがえる気もする。

 

宮澤伊織「キミノスケープ」は前にあまり好きでないという意見を聴いてそのバイアスがあったかもしれないが、うーんという感じだった。やりたいことは分かるのだけど設定がご都合主義っぽい印象を受けてしまう。続く森田季節「四十九日恋文」も同じ印象だった…。もう少し設定を生かしたものを見たかったというか、それを長めにやってほしかった気もする。

 

今井哲也「ピロウトークは絵が好きだったし話もよかった。草野原々「幽世知能」は直球にSFかつ捻じれた関係がよかった。伴名練「彼岸花はかなり好みだったので吉屋信子花物語」を買ってしまった。南木義隆「月と怪物」は短い中によく詰め込まれている印象があり、櫻木みわ×麦原遼「海の双翼」は幻想味のある雰囲気のなかで描かれる強い感情と訪れるカタルシスがよかった。陸秋槎「色のない緑」はかなりよくてベストだった。ブラックボックスに関する主人公の意見や悲哀は確かに…と思わせるものがあった。言語学の有名な問題に対する作者の回答かつ、それが作中で関係性を動かすという構造が美しい。小川一水「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」はオタクが一番すきそうな百合かつハードSFもやっていて筆力を感じる。ツインスターはこれと一緒に一年前のセールで買ったのと、花物語もまた読みます。

 

どうでもいいけど百合アンソロジー青島もうじき ほか「いなくなった相手の煙草を戯れに吸ってみる百合アンソロジー」を含めて3冊目でした。

 

 

 


泡坂妻夫「煙の殺意」

 

 

ネタバレします。別名義で奇術師としても名高い推理小説家、泡坂妻夫の推理短編集。評価が高い。うーんよかった。表題作「煙の殺意」がかなり有名だけど、個人的にはそこそこで「椛山訪雪図」がベストだった。

 

@arudanshi

泡坂妻夫「椛山訪雪図」、美術をトリックに織り込む手際と何よりもマジシャンらしい現象と解決でよかった

 

どれも複雑に張り巡らされた伏線や緻密なロジック、というよりひとつのアイデアで違和感が解消されるような話、特にホワイダニットに重きを置いたものが多い。「DL2号機事件」も読んで思ったことだけど、狂人の論理というかそういう心理に重きを置いたものが多いかも。

 

「赤の追想はミステリというより奇妙な味という印象があった。ちょっと最後の一文の解釈が分からなかった。「紳士の園」、心理に着目したものの白眉かもしれない。結末のシリアスさととぼけた味わいがなんとも言えない感じで、これも奇妙な味。「閏の花嫁」星新一ショートショートっぽいけど、書簡体が生かされていてよい。「煙の殺意」は最もミステリ的なホワイダニットだけど、結末が読めてしまった。殺人現場の一室だけで展開されるふたりのやりとり、中盤で示された伏線が最後にさらっと回収される軽妙さは好み。「狐の面」なんかとてもマジシャンらしいというか、立て続けにマジックを見せられているドタバタ感がよかった。最後の狐を撃ったように見せるトリックなんか、瞬間移動したと見せかけてあらかじめ移動先に複製を仕込んでおく、みたいな奇術そのもの。「歯と胴」、バリンジャー「歯と爪」(未読)のオマージュっぽく倒叙だけど、結末の決め手が唐突な感じもした。「開橋式次第」もドタバタがよい。最初からしっちゃかめっちゃか田舎の家の様子が描かれる中にさりげなく伏線があり、バラバラ殺人という陰惨な事件の動機がユーモアを交えつつサラっと終盤で明かされてオチにつながる鮮やかさ。

 

 

 


宮部みゆき火車

 

 

「東西ベストミステリー100」というランキングがある。文藝春秋がかつてミステリ読みにアンケートを行って特集したもので、国内編と海外編で合計200冊。ぼくはこれを片端から読むことを読書の道標にしている(そのわりに全然読めてないのはここまで読んだら分かる通り)。とりあえずは国内編のベスト10までは今年中に読みたいということで、その2位が本書。

 

@arudanshi

まだ火車を読み終えられてない ずっとひとりの人間の足取りを地道に探し続けて300ページ過ぎたけど事態が動く気配がなさすぎる 最後で加速するのかな

 

たぶん5月くらいから読んでいた。かなり間を置いて挫折しそうになりながらこの感想を書く直前に読了…。公式のあらすじは以下。

 

休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して―なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか?いったい彼女は何者なのか?謎を解く鍵は、カード会社の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。

 

このあらすじは冒頭10ページくらいで把握できる。本当にこれだけの話で、別に中盤で見つかって話が逆転することもない。たったひとりの女性を、わずかな書類と膨大な聞き込みからじりじりと600ページかけて絞り込む…という話。地道な小説すぎる。いつか「長いお別れ」とかも読みたいのだけど、ハードボイルドってこんな感じなんですか?と思いながら読んでいた。

 

様々な会社や個人を訪ねて足取りを探っていく様は圧巻で、そこに色んな人生が見て取れてよい。人生小説みたいなところがある。幸せだったり不幸だったり、「彼女」の足取りは人生の端に映り込んでいる些細なものであったり、あるいは大きな位置を占めていたりする。そこに当時の社会風俗が映し出されており、これが出たのは1998年の時代背景みたいなのも見えてくる。あらすじにもあるカード社会は経済状況を映しているともいえる。しかし問題は決して過去のものと看過することはできず、以下の台詞などは印象的だった。

 

p412

「お金もない。学歴もない。とりたてて能力もない。顔だって、それだけで食べていけるほどきれいじゃない。頭もいいわけじゃない。三流以下の会社でしこしこ事務してる。そういう人間が、心の中に、テレビや小説や雑誌で見たり聞いたりするようなリッチな暮らしを思い描くわけですよ。昔はね、夢見てるだけで終わってた。さもなきゃ、なんとしても夢をかなえるぞって頑張った。それで実際に出世した人もいたでしょうし、悪い道へ入って手がうしろに回った人もいたでしょうよ。でも、昔は話が簡単だったのよ。方法はどうあれ、自力で夢をかなえるか、現状で諦めるか、でしょ?」
 保は黙っている。本間はうなずいて先を促した。
「だけど、今は違うじゃない。夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。だから、夢がかなったような気分になる。そういう気分にひたる。ね? そのための方法が、今はいろいろあるのよ。彰子の場合は、それがたまたま買物とか旅行とか、お金を使う方向へいっただけ。そこへ、見境なく気軽に貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」

 

たとえば陰謀論とオンラインサロンとか、そういう問題にも通じるものがある。

 

いままで読んできた推理小説は奇抜な謎やトリックがあり、事件が起こってそれが解決、という図式がはっきりしていたものが多い気がする。これはそんな話ではない。でも確かに推理小説だというか、こういう形もあるんだなあという見識の狭さ、みたいなものを思い知らされた気持ち…。

 

最初は何が謎なのかすらも分からない、ただ一人の女性が婚約者の元から失踪した、という手触りすらもつかめない事件がある。そこからわずかな手がかりを集めることで輪郭が見え、点と点が終盤で気持ちよく結ばれていく快感があった。以下、ネタバレします。

 

 

 

 

約600頁の最後の4頁でやっと彼女の姿が現れ、話しかける直前で終わるという構成だった。やはりこういう終わり方をされるとその後というものが気になるけど、これでよいと思う。ずっと積み重ねてきたものが最後の緊張感と共に極まっていく筆致はよかったし、そのための「いつまで続くんだ…」という中盤があるともいえる。

 

こういう感じで中盤で飽きそうになる過剰さなどがかえって結末に生きる小説はほかにもあると思う(読んだことがあるなかだと虚無への供物とかでしょうか)。しかもその積み重ねに派手で小さなトリックが仕込まれている、とか異世界が舞台、ということもない。あくまで現代(とはいえ20年前)日本の、誰にも起こりうるようなレベルの出来事が絡み合って一人の人間を浮き彫りにするよさがある。

 

こういう一人の人間の背後に膨大な人間関係があるよな~ということは僕もよく考えることではある。過去の日記で似たことを書いていたのだけど、いつもそういうことを考えても「まあそういう繋がりって膨大だし可視化されることってないんだな…こわいなー」くらいで終わってしまう。この小説ではそれをやってくれた感がある。

 

私という人間は数えきれないほどの偶然や経験、物語の積み重ねで構成されている。これはほかの人間でも全く同じであり、そんなたくさんの積み重ねが街を歩く人々の中に秘められているということ、その重みに気づいたのはここ数年のことである。もはやそれを把握しきれる人間はおらず、無数の経験が積み重なった人格がまた他人と交流して物語を蓄積する、その果てしなさに私は末恐ろしさすら感じてしまう。


この感覚を一対一で話すときにも私は覚える。目の前にいる人間は私のことを意識しているけど、私の存在は相手が積み重ねてきた無数の経験の一部に過ぎない。相手の背後には果てしない空間が広がっているのだと思うと虚しくなるような感覚がある。私はどうやっても相手のすべてにはなれない。

 

完全な球体を想定したい。球体2つが接するのは必ず1点である。これが完全であればあるほどそれはどんどん小さくなる。球体が個人であるとして、表面積がその人の人格・経験のすべてだとする。そうならば個人と個人が触れ合えるのは限りなく小さな1点だけであり、それ以外の膨大な余白が表面積には残されている。上で述べた感覚はこんなイメージかもしれない。

 

日記_2021/10/10「2011年/一首評」|遺失物届|note

 

彼女を中心とした人間関係、そこに一瞬でもかかわってきた人々の網の目、それは決してフィクションではない。これがこの世界に生きている人の数だけあって、それで動いている社会、怖すぎる…。そういう意味でありのままに社会を描き切っている作品だ。

 

捜査していくうちに語り手の刑事の関根彰子、もとい新橋喬子への心情が変化していくのもよかった。それは読者とシンクロするものだ。最初は誰かも分からず途中から悪女のように思われていた彼女が、終盤では社会で必死に生きようとしたひとりの人間として像が結ばれていくのも圧巻ではある。やっぱりこれを書いた宮部氏の筆力みたいなものが恐ろしい。これまで読んだのは青い鳥文庫「この子だれの子」くらいだったので、また読んでいきたいです。ただ「模倣犯」とか「ソロモンの偽証」とか、恐ろしく長い話ばかりなのが難点かもしれない…。

 

 

 

 

おやすみなさい。