nikki_20220510「世界の複雑さとか萌えとか狂いとか」

 

 帰省先から帰宅して疲れて眠った翌日にもかかわらず、起きて予定をこなしたのでえらい。朝8時に活動開始したのに正午までの4時間中半分は寝てしまったのは駄目ですが…。/ボカコレで聴いた曲の感想を書くといいつつ、ずっとやっていない。いくつかリストアップはしているのだけど。

 

 

 

 

 世界のままならなさということについて、数日前から考えている。これは身近に直面している問題や、インターネットなどを見ていて思うことである。ドライブマイカーを見て感じたのも世界のままならなさであり、直近だと響けユーフォニアムを見ていて京都アニメーションのことを考えたりしたときに感じた。悲劇的な出来事は起こってはならないことで、それを防ぐための努力は絶えず行われるべきでも、それでも理不尽な死というものをこの世から根絶することはできない気がしている。そうしてその悲劇を不謹慎に笑うことの是非とか、必要悪だとか、因果律があるのか、とか考え出すと、どんどんこんがらがっていく。最近は「世界の複雑さに耐える」という言葉をTwitterでよく見かけるのだけど、そういう世界に対する要素の多さとか理不尽さに私たちは耐えることしかできないのだな、という気持ちになっている。真実(がそもそもあるかも分からないが)を知ることはできず、私たちはある程度の妥協をしながら認識を作り上げて、そんな世界のほんの数ミリの表層をうまくつぎはぎして、日々を渡り歩いている。帰省する乗り物に揺られながら考えていた。こういうことを考えるたびにMr.Childrenの「掌」という曲を連想する。

 

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 永山薫「増補 エロマンガ・スタディーズ: 「快楽装置」としての漫画入門」という本を読み終わりそうなのだけど、この記述など面白かった。エロ漫画が社会のなかでどのように受容されてジャンル(SMや純愛など)が分化していったかということが主題にある本だった。もちろん中心はエロだが、コマ割りとか萌えなどの漫画史を学べたのでよかった。いっしょに買っていてこれよりあとに出た稀見理都「エロマンガ表現史」のほうが、より細かい表現の由来に迫っているらしい。

 


 「発話者がどこに立っているかは自己申告に任され、その真偽を質すことなく了解することがオタク的コミュニティにおける暗黙の了解事項である。」「これは端的に言えば傷つきたくないという意思表示である」というのが面白い。「萌え」という単語を使うと、対象に対する愛の深さみたいなものに言及せずに会話できるという意味だと認識している。

 

 「傷つきたくないという意思表示」として単語を用いるのは「推し」とかも同じなんじゃないだろうか。「推し」という言葉を使えば、その深度は問わずとも「好きな存在」として共通了解が得られる。それがアイドルでも、二次元でも、動物でも、果ては非生物でも「推し」と括れば会話は成り立つ。「傷つきたくない」ということが若い世代のコミュニケーションの根幹になっているみたいな話は、以前ほかの場所でも目にした。本音で本質的なことを語り合うのではなく、あるものを媒介にして話すことで傷つくことを避けている、みたいな話だった気がする。

 

 これは家族と話したことだけど、そういう媒介にする「コンテンツ」が細分化して「みんなが好きなもの」が無くなっているという現象もある。これは外国に影響されてサブスクリプション、お金を払って自分の好きなものだけ見るようになったからだと父は話していた。そうして閉じたコンテンツのなかで交流することが進行している。

 

 

 

 

 話は変わって近年は「狂い」みたいなものがコンテンツのなかで流行っているなと思う。パッと思い当たるというか僕が意識し始めたのはにじさんじあたりだろうか、始祖としては月ノ美兎ムカデ人間の話をいきなりしたり、いま(と言いつつ1年前)では高いモーションキャプチャーの技術を駆使してローション相撲をするなど、にじさんじは「狂気」みたいなものがよく話題や感想としてあがっている気がする。もちろんそれだけでない感動とかもあるだろう。最近は全く追ってませんが。

 

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 その「狂気」の中身としては、ある一箇所はすごい雑なのにもう一箇所に信じられないくらい力点が置かれている、みたいな現象がある。すべての項目が100点である作品より、ある1箇所が50点くらいでひとつだけ200点の項目がある(ように見える)作品のほうが話題になることが多い気もしている。でも、末永く評価されるのはすべての項目が100点である作品なんだろうか。

 

 にじさんじと似ているけど、ウマ娘のぱかチューブっ!なんかも精度の高いモーションキャプチャーを使いながらゆるい企画とかをしていてすごい。このゴールドシップ氏は破天荒なキャラクターという印象があるのだけど、これが人気になったのと最近の狂いブームは無縁ではないのでは、と思ったりしている。

 

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 企業公式とかでもそういう狂いマーケティングをよく見るというか、なんでそんなところに力点を置くんだよ!とか、本業じゃないほうに力を入れるな!みたいなツッコミが飛びそうな企画もよく見る。最近だとモスバーガーの音mad広告とか、オモコロの記事広告とか。話題性のための狂い?

 

 

 全体的に詳しくないコンテンツを引用してしまいごめんなさい…という感じで、しかもこの狂いブームが良いとか悪いみたいなのも分からない。ただ、そういう目立った狂いは性格とキャラクターの問題とも結びつきそうだなと思ったりしている。連続して溜まった日記を更新すると、当然だが一番新しい記事がいちばん見られる。ここぞとばかりに色々と書いた次第でした。おやすみなさい。