nikki_20240123「金子みすゞ『金子みすゞ童謡集』など」

 

2023年に読んだけど特に感想を書いていなかった本の記録と、2024年の三が日に親戚と見に行った映画の感想です

 

 

東浩紀動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』

評論。別に批判的な思考もできず、そうなんだと思いながら読んで終わった。タイトルから難しそうだったが、思ってたよりもオタクについてというか、二次創作の話などが中心である。小さな集合から大きな物語を見出すのではなく、大きな非物語つまりデータベースから無限に組み合わされて生まれている小さな物語たちを消費している、というデータベース消費の話は昨今の画像生成の話とも重なる思った。


ところで図書館で文芸の棚を見るのはずっと好きで、百発百中であるのが清涼院流水推理小説だったりする。見かける度に中身をパラパラ見ているけど、あんな長いのをまともに読んでいる人がいるのか疑問だった。立ち読みだけしている人の感想として、同じ長いのでも京極夏彦のそれなどとは異なると感じる。好き勝手やっているというかSFとか超常的な話まで発展しているような印象があるので。でも彼の本がたくさん刊行されたということは読まれていた証左だろう。この動ポモでも清涼院流水は「変化にもっとも敏感に反応し、もっとも根底的に小節の書き方を変えてしまった作家である」とミステリの要素を自己言及的に取り入れたことで評価されていた。あれって結構すごい本だったんだ……と思った。

 

東浩紀クォンタム・ファミリーズ

ついでで読んだ。現代とほぼ同じ日本を舞台にした並行世界もののSF。図を書いて整理したりしたが、難解で分からなかった。その難解さで何を言おうとしていたのかも分からない。筒井康隆の解説には「現代思想としての多元宇宙SF」というフレーズがあったが、どうつながるのかも分からなかった。ただ参照されている文献が多く、村上春樹論とかも出てくる。そういう意味で衒学的だし、そういう知識が散りばめられているから現代思想ってことなのだろうか? 話としても難解すぎてあまり楽しめず、これが三島由紀夫賞ですか……という気持ちではある。先述した解説はあらすじをなぞった部分が大半であり、やる気のなさそうな文章で笑った。

 

展開はちゃんとエンタメをしようとしている。未来と過去が交互に描かれ、ふたつの時間軸を越えてやりとりが行われる。そのうち別の世界線が出てきたりして、大事件が起こり、最後はすべてがひとつに収束して終わる。その収束の場面では、謎の広い砂漠で暴風雨のなか登場人物たちがひたすらに走る。いかにも!という感じで、思い当たるのは「君の名は。」くらいだが、最果ての地で全てが収束する感じはオーソドックスな印象である。結末では幼少期の自分が犯した性犯罪を大人になってから自白しに行って終わる。いい感じの書き方で終わっているが、それも数ある世界線のうちのひとつの話だろう。自分の性的な罪に向き合っておわりというのも安直に感じた。

 

金子みすゞ金子みすゞ童謡集』

にほんごであそぼ」などでおなじみ、図書室で読んだりもしていた。26歳で亡くなったことや、ネパールにみすゞ小学校があることを知った。基本的に動植物への共感をうたっているイメージだったが、景色をただ描写したものも多くある。日記みたいなものもある。拗ねて家の外にいて、ほとぼりが冷めて戻ろうとしたら「ばんまでそうしておいで」と親に言われたのを思い出してもっと拗ねておかないといけないと思った……という「あるとき」とか実際に体験したのかは分からないけどかわいい。

 

幼い日の記憶や目線の純粋さは子供そのもので、しかしそれを記述して詩にしているのは大人の技術である。大きくなってから見ると子供の目線をそのまま書けるというのはすごいと分かる。しかもそれが十や二十ではなく何百とあるわけですごい。

 

もしもお空が硝子だったら、
わたしも神さまが見られましょうに。
――天使に
  なった
  妹のように。

 

「山と空」(妹には「いもと」のルビがある)

 

死んだ妹についての詩もあったが、調べた限りみすゞに妹はいない。おそらくフィクションっぽくてそれもびっくりした。

 

𠮷田恭大『光と私語』

本屋から毎週少しずつ届く乗り物の模型の一部分

乗り遅れたバスがしばらく視界から消えないことも降雪のため

一年が終わる。青物市場の裏に、夏石番矢の幽霊がいる。

少年の、季節は問わず公園でしてはいけない球技と花火

踏切の向こうで待っている人の、大きなきっと、金管楽器

 

歌集。付録栞にある堂園昌彦の文章には「吉田くんの短歌の特異なところは、通常の短歌が細部の描写へと没入していくのとは反対に、ちょうどカメラの解像度を下げるようにディティールをあえて無視しているところだと思う。そのことが逆に、物語の構造自体に潜んでいる、奇妙さや寂しさや抒情をあぶりだしている。」とあり、感じていたことを的確に述べていてなるほどと思った。生活のことを客観的に離れて見ている感じがしてかなり好きだった。撮影された知らない町の写真のアルバムを見ている感じ。いぬのせなか座による抽象的でリズミカルなデザイン、レイアウトもそれにあっている。


ところで「解像度を下げるように」という表現からは最近「解像度」という単語が多用されていることを思い出すけれど、ここではそれが高いのではなく「下げる」で肯定的に用いられている。刊行されて文章が書かれたのが2019年なので全く現状は関係はないのだけど、面白い。

 

若鶏にこみ『ぎんしお少々』

きらら四コマ。2巻完結かつフォロワーの人がおすすめしていたので。2組の姉妹が登場し、どちらも姉と妹は進学などで別居の状態にある。そこで姉同士妹同士が偶然それぞれの場所で知り合い仲良くなっていく……という漫画。そんなことある!? この4人以外のもそれぞれの知り合いも登場していき、人間関係の把握がなかなか難しかった。そして欠かせないテーマとしてカメラがあり、主人公は姉からもらったそれで人物や景色を撮ることで関係を深めていく。これって結構重要なのだろうけど、登場人物の把握に手いっぱいでうまく咀嚼しきれなかった。もう1回読みたい。

 

隈井『うさぎのふらふら』

イラストレーター・クマノイ氏の漫画。『女子中・高生の制服攻略本』『図解 閉校中学校の女子制服』など制服マニアでそんな女の子を書いている好きなイラストレーターのひとり。こんな最高な漫画書いてたんだとうれしかった。目立ったあらすじはなく、ふたりの幼女が毎回実在する街を歩いていく、そんなごく短い漫画が2巻を通して続く。街にはふたり以外に人間はおらず、あとはぬいぐるみのようなうさぎたちが人間のように生活しているだけ。毎回途中で片方が片方を見失い、うさぎに紛れて「ふらふら」しながら探し、見つける。という漠然とした説明しかできないが、町の書き込みが細かくてうれしいし、一方で交わされるシュールなやりとりや空気はぼんやりしている絶妙な空気が好きだった。

 

草間さかえ『さよならキャラバン』

漫画。好きなアーティスト、スカートの澤部さんがおすすめしてたので。行間で語るものが多すぎて考えてしまい、つっかえながら読むところは多かった。表題作が好き。街を渡り歩くサーカスのキャラバンが来て、そこで曲芸をしている高校生が主人公の学校に期間限定で転校してくる……という話。ちょっと不思議だけどぜんぜん起こりうる話で、日常のさりげないところだけでも色んなドラマがあるんだなという感じが好み。あとは学校という限られた場所で展開される物語と、美しく舞う曲芸との自由さとのギャップがよかった。

 

大白小蟹『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』

短歌の雑誌「ねむらない樹」に短歌とイラストの連載をしている大白小蟹氏の漫画短編集。雪とか氷とかをめぐるちょっと不思議な話ばかりで、冬のイメージがずっとある。秋に読んだのでとても冬が恋しくなったのを覚えている。見開きを使うけど、書き込みが細密というわけではないというのが面白い。死別や失恋など喪失について扱っているものも多いが、その穴が再び埋められるのではなく、ゆっくり受け入れていくよう解決が好み。

 

衿沢世衣子『ベランダは難攻不落のラ・フランス

金子みすゞのように子供の純真さがまぶしい漫画の短編集。純真さから生じるかわいさ、健気さといった感情がある。「リトロリフレクター」に出てくる天文台の女の子が主人公のことを少年呼びするところが萌えでよかった。

 

 

華がないなと思ったので適当に画像を挿入する
片桐崇『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』(2023)

映画。スパイファミリーの予備知識としては「殺し屋とスパイと予知能力のある子供が作戦の都合上疑似家族をしている」くらいで、作品に触れたことはなかった。謀略騙し合いみたいなのを予想していたが、ぜんぜんそうではなく、メインとなるのはアーニャが学校で作るスイーツの材料を3人で旅行して買いに行く!というグルメ漫画だった。いかにもエンターテイメント!って感じでよかった。

 

ロイドはマイクロフィルムがどうとか上部からの指令とか、いかにもフィクションのスパイというかっこよさをずっとやっていた。淡々と敬語で喋りながら倒していくヨルもいかにもフィクションの殺し屋でよかった。最後の口紅のシーンはそんなことある!って感じで笑った。アーニャはひたすらかわいかった。彼女には相手の心が分かる能力があり、犬のボンドに未来予知能力がある。ボンドが読んだ未来をアーニャが読むというふうに二つ合わさってスムーズに物語を進めていて上手いなーと思った。ヨルとロイドが互いの正体に気づいてないなどそれは無理があるだろ、という点はいくつも思ったけど、別にそういうものだし映画そのものの評価が下がるわけでもない。

 

相手の心が分かるだけならば気持ちの齟齬も起こらないようだけど、そうではない。完全に一心同体になれるわけではない。アーニャはロイドやヨルの心が読めるが、逆はないからだ。アーニャは他のふたりに対して自分が心を読めること、ボンドが未来を予知できることは隠している。それは家族がばらばらになってしまうと恐れているからだ。

 

物語の後半においてはお菓子作りのために必要なリキュールが見つからない。アーニャはボンドの未来予知を読んでリキュールがどこで売られているか分かっている。しかし、それをロイドやヨルに話すと家族がばらばらになるかもしれないという怖れから何も言えずにいて、ひとりで探しに行ってしまう。(ちょっと時間が経っているので正確じゃなかったらごめんなさい)これが終盤の展開につながるわけだけど、そういう心が読めてもディスコミュニケーションはある、というのはなんかよかった。実際の家族も完全に心を通い合わせることなどないし、さらにそもそも疑似家族であり、そういう人と人との普遍的な在り方がたとえ超人同士であってもあるんだなーいう感じがよかったのだろうか……

 

そこから終盤はアクションが怒涛のように展開されており、ロイドもヨルも凝った戦闘シーンになっておりすごかった。それと並行してアーニャが便意を限界まで我慢する様子が描かれる。序盤で彼女は重要なマイクロフィルムを食べてしまうのだが、それを敵が取り出すために彼女を捕らえるのだ。普通にその場で殺す残虐性があってもいいが、そこは都合なのか便が出るまで監禁する。便意から解放されるシーンではクレヨンで書いたようなタッチになり、神様と共に空を飛ぶ。やけに手が込んでいてよかった。先日の京都文学フリマでフォロワーの人が描いていた映画レビュー本を読んだところ、同じところを褒めていたのでよかった。

 

思った以上に皆さんから「欲しい!」というお声をいただけたので、京都文フリで頒布した映画レビュー本の電子データを頒布します!
ただのオタクの感想でしかないですが、気になる方は是非🙇‍♂️

【電子版】2023年に映画館で観た映画100本レビュー | negishiso https://t.co/ywG2NVtD2Q #booth_pm

— ねぎしそ (@negishiso) January 15, 2024

https://x.com/negishiso/status/1746849985407353318?s=20

 

映像の話だと最後に噴水を挟んで向かい合い水が途切れるとともに合流する、など3人のつながりを描いたシーンがあった(あともうひとつ思い当たるのは旅先のレストランで銀のポットを挟んでテーブルで向き合うシーンとか?)。あと細かいところは覚えてないが、敵幹部が部下に何かすると血溜まりだけ写され、反射してそ姿が映っているシーンも印象に残っている。結構ダイレクトに死は出てきたし、旅先のレストランで軍部が乗り込んでくる場面とか、戦争下の残酷さもちゃんと描くんだと思った。

 

全体的なテンポとか動きにとても既視感があって、見ながら考えていたが『かぐや様は告らせたい』だと思った(1,2期だけ見たことがある)。フィオナがロイドへ恋していて、表には出さないけどずっとときめいている描写とか。関わったスタッフとかをよく見比べてみたけど、かぐや様1期のプロデューサーである林辰朗氏が、この映画ではチーフプロデューサーをしてることしか分からなかった。うーん単に最近の大きいアニメは全部こんな感じなのだろうか

 

主題歌に星野源がいる!というのも星野源楽曲ファンとして気になっていたが、ダブル主題歌でOfficial髭男dismもいてエンディングで2曲流れていた。いま思うとこんな豪華な楽曲のエンディングは今後二度と見られないかもしれない……。アニメ版がそうだったので今回もこの2組だったのだろうけど、星野源「光の跡」のほうはいまいち映画との関わりが分からなかった。曲としては好きだけど、「喜劇」のほうが好み。なにかのテレビ(関ジャム?)かで髭男はタイアップが上手いと言われていたけど、今回のSOULSOUPも映画のテーマがグルメなのでそのままぴったりでよかった。