nikki_20230831「単色背景 など」


8月が終わるので日記でも書くかと思ったが、起きたのが22時でいつのまにか9月になっていた。許してください。別に夏の話をするわけでもないけど

 

米澤穂信「いまさら翼と言われても」を読んだ。言わずもがな古典部シリーズの最新作(2016年)。個人的にずっと積んでたので、2021年くらいの作品だという気分がずっとあるのだけど、自分だけだろうか……。最初のふたつ「箱の中の欠落」「鏡には映らない」は真相にそこまで手の込んだことをするかなーと思ってしまったのだけど、それ以降はどれも悪くなかった。特に「わたしたちの伝説の一冊」が好きだった。創作に関する話に自分が弱いというのもあるのだけど、閉鎖的な学校の人間関係や場面、謎と解決と共に明かされる意図のよさなどが詰め込まれており、ここまでドラマを演出できるのがよい。表題作もちょっと想像していたものと真相がひねられていた。ただただ次回作に期待するとしか言えない。ところでこの人のは全部読んでるといういわゆる「推し」みたいな作家さんがいないので、今年のうちに米澤穂信の本をぜんぶ読みたいと思っている。その矢先にお父さんが亡くなられたニュースがあったので残念である。

 

クエンティン・タランティーノパルプ・フィクション」を映画館で見た。3時間という長さに尻込みしていたが、始まると案外はやく感じた。もともと時系列がシャッフルされているのは把握していたし、帰省したときに父親にこの映画が気になると話したら人がバッタバッタ死ぬと言われたのも把握していた。本当にそうで、結構喋っていた役の人が死んでしまったり、あるいはボコボコにされたりしている。このバイオレンスな感じは藤本タツキチェンソーマン」を今年の1月に読んだときを思い出したし、そういう影響もあるんだろうなと考えたのが一番の感想になる。不謹慎に笑えない場合を除いて一定のグロさや悲惨さ、恐怖を得ると防衛機制的に笑ってしまう感覚があって、これもそんな感じだった。

 

ナユタン星人に「ハイカラーガールスーパーノヴァ」という曲があり、今年の5月くらいに聴きかえして懐かしいと同時に好きだなと思った。夏なのでふたたび聴いている。単色背景と少女というmvの組み合わせはボカロにおいてよく行われるものだ。その形式で有名なボカロPだけが集まったコンピレーションアルバム「モノカラーガールスーパーノヴァ」のために書かれた作品。どうやらナユタン星人のアルバムに収録されているものと、コンピに入っている単曲では歌詞が違うという趣向があり(ナユタン星人はこれをよくやるらしく、リバースユニバースでも同じ趣向があるらしい)、自分はコンピを持ってないのでアルバムにある曲だけ聴いている。いわゆるモノクロの世界に少女が現れて光るという感じの曲なのだが、リフレインされる「光った」「出した」という歌詞を聴いていると琴線に触れるものがある。

 

単色背景のルーツなどまた調べてみたいと考えつつそれに思いを馳せると、一瞬の象徴でもあるようである。光を放ったとき、一瞬だとしてもその場はある一色に染まる。単色背景を用いて表現されてきたものはいろいろあるけど、この曲が単色背景に与えているのは「一瞬だけ光っている」解釈だと勝手に思っている。そして今も受け継がれている「単色背景+少女」というフォーマットに感じる良さは、そんな儚い一瞬を感じるところにもあるのかなと曲を聴いて考えていた。雑多な背景を捨てて、その人物だけに焦点を当てて、風景でなく人間の時間を切り取る。モノトーンの背景に、少女が佇んだり一瞬のポーズをとっている構図にはそういう良さもあるのかもしれないと思う。