nikki_20230802「無題」

 

八月になった。これからいまより暑くなる、という話も耳にするけど信じがたい。というのはもうずっと言われているし歴代最強の暑さが毎年更新されている。でもなんだかんだ毎年九月が一番暑い感覚でいる、九月なのにという認識とのギャップ含めて……。月に10本くらい日記を書けたらいいなという個人的な目安があるが、7月は7本だったらしい。6月は6本だったので10月には10本になっていると思う。

 

今月は映画の感想を書いたりしたこともあって、更新する回数が(1回だけではあるが)増えた。映画は今月だと響け!ユーフォニアムが公開されるので見に行くつもりでいる。あくまで上映時間は1時間程度らしいので過度な期待はしていないけど、展開は2期1話くらいに目まぐるしくなるのだろうか。あの作品はスポ根で、目指すもののためならば犠牲になるものも出る、みたいな話だと捉えており、1年前に見た際には自分自身が奮い立たせられるような感覚があった。だから今回もそういう緊張はある。そもそもこのシリーズの新作が見られる、ということ自体が大きいのだけど。

 

ちなみに過去の日記で「4月のはじめからBSでアニメ「響け!ユーフォニアム」が再放送されているので毎週見ている。」と書いたが、結局3週目くらいでリタイアした。別に内容関係なく、やはり毎週決まった時間に見るみたいなのは苦手である。今年もそろそろ何かアニメを1本くらいは見たい。

 

数日前に京都の鴨川に行った。もともと内輪から始まったゆるいイベントみたいなものがあり、ツイッターで相互の数人がDJをしているらしいので周辺まで行った。思いのほか色んな人が集まっており、人見知りすぎて突撃まではできなかった。しかしあとで聴くとわたしがサウンドクラウドにあげた曲をかけてくれていたらしく、めちゃくちゃ申し訳なかったということがあった。こういう人見知り損が定期的にある。

 

もう5回目くらいになるだろうか出町枡形商店街を通って、周辺の住宅街をしばらく歩いた。聖地関係なくここに住めたらいいだろうなという気持ちはあったが、毎回のごとく知らない町に行くたびに「住みたい」と思っているので、「ここではないどこか」への憧憬をずっと抱いているだけなのかもしれない。でも京都はちょっと奥の方へ行くだけで雰囲気が変わるのが本当によい。流石に人が多かったし暑かったけど、夕方あたりはかなり涼しくてよかった。一生あの気候であってほしい。

 

思っていることそのままと、言葉にしたものとを完全にイコールにすることはできない。言葉にすると削がれる部分がある。でもその距離、伝えたいことと伝えられることとの間の摩擦、もどかしさこそが文章を書く推進力になっていて、面白さになっているのではないか。これは他の人が言ってたことの受け売りな気がするが出典は覚えてないし、そんなことを考えて真面目に文章を書いたこともないが、分かる気はする。

 

星街すいせいの「Newton」という曲があり、きょうは何回か聴いていた。まえに他の人がこの曲を激賞してるのを見て、自分も深く刺さるまではいってはいないけど、好きで面白い曲だと思う。特徴的なのは矛盾する言葉の羅列で、分かりやすくひとつのメッセージが伝えられているわけではなく、そういう思いたちを一段階上から俯瞰した、それらをとりまく重力みたいな何かが歌われている。だれしも矛盾しており、両極端な思いがあってその間でバランスをとったり、とれてなかったりする。「今日も矛盾して 冴えていく/この感情は 音の中で初めて 惹かれ合うんだね/歌の中で初めて 響き出すんだね」とある。相反するふたつが点在するなか、複雑に張り合う重力こそがそのままの感情で、わたしたちであり、それが初めて「歌の中で響き出す」というのがとてもいい。伝えたいことと伝えられないことの摩擦こそが文章ひいては創作の原動力になる、ということと、うまく説明はできないけど共通するものがあると思う。

 

ちなみにアルバム通して聴いたとき少し泣きそうになった、というのは過去に述べている「(一つ前の)「ソワレ」が華々しいフィナーレだとすると「Newton」はエンドロールだと思う。彼女自身が歌うことを歌うことでアルバム自体を俯瞰して最後にこちら側へと手を差し出すような構成、ずるくて少し涙腺が緩みそうになった。」と前に書いていた。この歌ではそういう相反する間の重力が、個人の中の思い、人と人との関係、歌っている星街氏と私たちの関係にまで繋がっていく。別に自分になにか還元して教訓づけることもできないけど良い曲だなと実感していたし、創作にもそういう重力があるということは忘れずにいたい。

 

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