nikki_20230615「読書日記(短歌篇)」

 

ここ数か月で読んだものの感想です。

 

 

嶋田さくらこ『やさしいぴあの』

音楽をテーマにしつつやさしい言葉で綴られた短歌で、連作のタイトルが音楽用語だったり音楽記号が間に挟まれているのは吹奏楽経験者として楽しかった。しかし家族のことを綴った歌などもあり、やさしいだけではない。

狂おしく咲くさるすべり八月のなんでもない日に会いにゆきたい
発表会にだれも来なくて先生は今日がいちばんよかったって言う
誰からも非難されない名目でわたしは母になることをせず
名前のないものすべていま手のひらにすくった砂のようにあかるい


戸田響子『煮汁』

意味深かつ地味な印象のあるタイトルから中身が想像できない歌集。日常でちょっと違和感があるけどすぐ忘れてしまう、みたいな断片が切り取られている歌。それらから見いだされるのは生活への愛おしさというより、不安や不穏の感覚で面白かった。

クレーンがあんなに高いところにある罰せられる日が来るのでしょうか
よく知らない実がなっているなんだろう そういうことを毎日忘れる
地下鉄の乗客たちは暗黙のうちに互いの視線を外す

 

尼崎武『新しい猫背の星』

日給を体重で割る 豚肉と俺の価値とを比べるために

クスっと笑わせるような短歌やサラリーマン川柳のように自虐のユーモアが含まれた歌が多い。つまり解釈はひとつに定まるわけで、このようなことわざやアフォリズムっぽい短歌は好みからは外れてしまう。ただ読んでから時間をおいて見返すと、そのような悲哀が積み重なって人生が垣間見えるような感覚がある。結婚や出産というイベントも描いており、だんだんと作中の主体が年をとっていくポジティブめな印象をうける。

春ですね あなたのいない停車場にときどき水がたまっています

歌集の一番最後におかれたこの歌は光景を描いているだけではあるが、たまる水からやりきれない思いが伝わってくる。

 

千原こはぎ『ちるとしふと』

「公道でこんなことする人だった?」「公道じゃなきゃこれで済まない」
 あいたいとせつないを足して2で割ればつまりあなたは大切だった
 一本の髪のラインを引くために何度目だろうこのCtrl+Zは

トレンディな恋愛ドラマっぽい短歌が多く、ロマンティックすぎて好みからは外れてしまった。しかし「Ctrl+Z」に代表されるようなイラストレーター目線、お仕事小説のような連作はなかなか読まないので斬新な印象を受けた。

水玉の生地をさくさく裁ち切って泣かない春のためのスカート
空覆う葉をすり抜けて降りそそぐひかりのような告白を聴く
追い風となれこの声をあなたが春と名付けるならば

風、葉、ひかり、など春の一日を思い浮かべる歌ですきだった。「さくさく裁ち切って」から「スカート」の軽快な響きが好き。

 

佐藤涼子『Midnight Sun』

安全な場所から頑張らなくていいなんて言うなよ まだ生きてやる
 巻石は北上川に沈むだけ 受け入れるしかないことがある
時が解決するという嘘 逆さまのスノードームに雪を降らせる

東日本大震災や東北を歌った連作を含む歌集。特に「安全な~」の歌などは言葉以上の重みがあった。

許すとは例えば花を贈ること金平糖が光に透ける
春だから君住む街へ出かけよう菜の花色の電車に乗って

それ以外には旅に関する連作が多い。人に会うため北海道へ行く連作「心臓の音」「その後。会いに行く。」などよかった。

 

虫武一俊『羽虫群』

自嘲的な歌が多めではあるが、「あと戻り」のような共感できる歌と「この海に」のような詩情のある歌のバランスがちょうどいいかもしれない。好みよりではあった。

あと戻りできないフロアまで行ってそれでもすっぽかしたことがある
相聞歌からほど遠い人里のわけのわからん踊りを見ろよ
この海にぴったりとした蓋がないように繋いだ手からさびしい
さびしいと思ったことのある町をとまりつつとまりつつバスがゆく

 

千種創一『千夜曳獏』

流石に良すぎる。好きな歌をすべて挙げていたらきりがないと思うし、多くを語ることもできないが、『砂丘律』で感じた生活の出来事を韻律にきれいに収めて歌にするうまさがより極まっていると思った。装丁の繊細さや手触りから、乾いたようで奥底から感情が伝わる歌の手触りを感じてとてもよかった。

澄んでいく夜の対話の果てに出す青磁の皿に鮎の甘露煮
これ走馬灯に出るよとはしゃぎつつ花ふる三条大橋わたる
コーンフレークをこぼれる鱗とおもうとき朝という在り方は魚だ
冬の街、駆けつつクッキー囓るとき雨に少しの味もないこと

 

三田三郎『鬼と踊る』

5000円も横領できず牛丼を食っているこれが人生ですか
赤ちゃんの泣いている声で目が覚める 僕だって生まれたくなかったよ

先に述べた好みから外れるタイプの短歌であり、比較させてもらうと『新しい猫背の星』のように一首で完結するユーモアのある歌が多いが、より暗い歌が多い印象がある。ずばり言うと病んだツイートのような歌が多い。もちろん明るいのと暗いののどちらが悪いなどはない。ただ私の好みだと、暗いことでより好きではない歌になってしまう。ただ客観的にみて、こういう誰しもが共感できる形で口ずさみやすい韻律に愚痴をのせたような短歌が書けるのはすごいと思う。

 

佐藤弓生『薄い街』

前々から気になっていた人だったので読んだ。様々なものがシュールレアリスムのように組み合わさって歌われて、幻想文学らしさが強かった。ひとつの連作が長めで、1冊あって収められた連作の数は4つ。それぞれ長編小説を読み終えたかのような読みごたえがある。最後の「パレード・この世を行くものたち」は様々な世界線の存在達が歌われていて壮観な感じだった。

すこしずつ詩を頒たれて心臓は赤い書物のかたちにひらく
、と思えばみんなあやしい……このなかの誰かが死者である読書会
シニフィアンシニフィエまるでまぼろしのふたごのように裂かれて、ぼくら
ただいちどたしかに高い音楽がこすっていったわたしの弦を

 

内山晶太『窓、その他』

文語体で現代的な光景が綴られている。エクレア、鳥人間コンテストなど、名詞が歌の中心になってその景を描いている印象から俳句に近いものを感じた。ひとつひとつの文字が大きい字組からも、俳句を意識してるのではと思ったが、作者はとくに俳句と関わっているわけではないっぽい。

消費期限十日あまりを過ぎ去りし完璧なるエクレアを捨てたり
鳥人間コンテスト 過ぎてゆく夏のひかりを四方に孕みたりけり

 

藪内亮輔『歌集 海蛇と珊瑚』

サークルの会議は鮮やかに終はり残つた冷水のへりに泡

解説でも述べられているように、確かに最初の連作「花と雨」の完成度が一番たかいと思う。サークルの会議、という若者の生活らしい言葉が出てきて、そのあと冷水と泡というミクロな視点にクローズアップしてそこに詩情が出てくる。文語体を用いた情感のある歌ながら、若者の風景が浮かんでくる。そのあとに続く連作ではある意味ふざけたような歌も多い。たとえば短歌を詠むこと自体を題材にして皮肉るような歌である。それもそれでよかった。文語体であることに意識的というか、描かれる内容の現代的な感じのギャップに意識的なような。個人的にはそうでない、文語であることをそのまま生かしたほうが好みなので、花と雨がやはり好きかなとなる。

詩は遊び? いやいや違ふ、かといつて夕焼けは美しいだけぢやあ駄目だ
散りながら集ふことさへできるからすごい、心つていふ俗物は。
わたくしのハイパー名歌がけなされてあなたの駄歌がほめられて、夏
おしつこの黄昏をいま見つめてる もう直ぐほんものが来るつていふのに

 

阿波野巧也『ビギナーズラック』

すごい光景や表現を使っているわけでもなく、キャッチーで分かりやすいわけでもない、とても共感できるあるあるがあるわけでもない。ただ作中主体の目の前にある日常の風景が、平易な言葉でやさしく語られるところにとても惹かれる。これは世界の側と自分の側の距離を歌っているようだった。andymori小山田壮平氏が帯文を書いていてすごい。

冬と春まじわりあって少しずつ暮らしのなかで捨ててゆく紙
終点まではいかない電車にとりあえず乗ってその場所までを喋った
川べりは工事の人があるいてる晴れだけどなにもやる気起きない
街路樹を支える丸い木材に真っ赤な手ぶくろがはまってた
はからずも春はあなたのはったりのうつくしくってねむる犬だね

 

大森静佳『カミーユ

アンソロジーなどで読んだときからこの方の短歌には黒檀のイメージがあって、はじめて歌集を読んだ。「手紙を知らぬ切手のよう」という比喩からは美しいようで、やがて濡れて粘性を帯びることを思うと緊張感を帯びてくる。また「さくら」という単語は華やかなイメージだが「ねばねばの文語」がついて「追い詰めている」とくることで不安になってくる。難しい語句が含まれているわけでもないが、想像される光景は深遠で乾いている印象がある。

おまえまだ手紙を知らぬ切手のよう街の灯りに頬をさらして
空の喉をあふれて咲いたねばねばの文語のさくら追いつめている
紫陽花はさわると遠くなる花で(あなたもだろうか)それでも触れる
冗長な映画のような光来て春はあなたが庭そのもので