nikki_20221124「連絡ノート」

 

このごろ今までほぼ毎日日記を書けてきたことが信じられない、という気持ちになりがちである。4日とか1週間まとめて書いたり、1か月ほど書かなかったときもある。とはいえここまで続いてきたことが信じられない。ましてや毎日きっちり書いている人は本当にすごい。僕は特に長期的に書くことの予定を定めているわけでもないし、次の日に何を書くかなど頭にないまま、その場しのぎでずっと続いている。不謹慎な例えをするなら明日生き延びることもできるか分からない戦場でここまで生きてこれたような気持ちがある。こういうことを書いているのもまた、書くことがないからだったりする。

 

こう書いていると小学校のころを思い出す。連絡ノートというものがあった。説明するまでもないかもしれないが、時間割を記入したり持ち物をメモしたりする手帳だ。こうして説明するとなんとも不思議な冊子だとは思う。小学生には手帳を持つ習慣もないわけで、その代用だったりするんだろうか。しかし「連絡ノートが役に立ったので、大人になってもみなさん手帳を持ちましょうね」みたいな教訓があったとは思えない。あとは家庭との連携を図るひとつの手段でもあったのだろう。

 

話が逸れたが、連絡ノートの余白に何かを書いて提出しなければならない習慣があった。宿題といってもいい。絵でも許していた先生もいたし、テーマが決められてこれについて文を書いてきてねという回もあった。そこまで強制力は強くなかった。僕は人懐っこい性格があったので、先生からのコメントを楽しみにして毎日出していた。きっちり最後の行まで、ときにははみ出してまで毎日おもっていることや近況を書いていた。筆圧が強くて、字が大きかったのもある。

 

いま毎日なにかを書こうとしているのはその体験に似ている。小学校のときよりも話題が思いつきにくいし、先生からのコメントがつくわけでもない。けれど書くことが好きだったのはそのときから変わらないし、その体験がいっそう書くことを好きにさせたような気がしている。

 

最近は豚汁をつくって毎日食べているのだけど、鍋にどっぷりと作られたそれをひとりでしゃばしゃばと器に移している感覚は給食当番をしていたころを思い出させる。