nikki_20220823~nikki_20220829「傾向と対策」

 

20220814~20220821までの1週間、日記をサボった。

100の質問に答えてみる - 遺失物取扱所

 

罪状:ここから23日まで2日分を更新したのち、24~29日までの9日間また絵日記の更新を怠った。

 

ふつうにすみませんでした。私生活でもこういう感じの怠惰をかなりやっているところがあり、その一端が日記にも出てしまったなと思っている。もう100の質問に答えるみたいなことはしない(もしかしたら真・100の質問回答を書くかもしれない、書きたいので)。ただこういうときは分析と対策ということでちょっと書いてみる。

 

note.com

 

私は2か月という3分の2ほどの日数だが、このnoteは今回の練習をやるうえで参考にしていた。まず思うのが元々絵上手くない!?というところで、見てもらうと分かるかもしれないが最初に書いた人体の時点でかなり差がある。そもそも「開始地点の画力」が違うのだ。しかし、少し考えてみるとそれ以前の差があるように思い至った。それは「絵を描くことに対する抵抗」……これである。これがかなり違うことを見落としていた。

 

私がはじめて書いた人間。


今回日記をサボった理由を考えると、まあ個人的に予定が立て込んでいたり昼夜逆転があったことがある。しかし時間を30分くらい取ることはできたわけで……。となると次に思い至るのが「取り組むまでのハードルの高さ」である。ソフトを起動してペンタブを自分の前に用意し、レイヤーを挿入する、などなど。もしくはスケッチブックを開き、書見台で前回やったところまでを開いて固定する、などなど。これらをもう少し楽にできないか? と考えてみたが、いい案は思い至らない。

 

そうして「元々絵に対する意欲が異なるのではないか」という結論に達した。絵を描くという動作がどれだけに身体に馴染んでいるか。私は「絵を描くぞ」と思わないと描かないし、せいぜい美術の授業でしかやったことがなかった。しかし一方で授業中ノートの隅につい落書きしてしまうような、気が付いたら絵を描いてしまっていたような、そういう人もいる。おそらくだが、その境地にならないと継続すらままならないのだろう。こうして私が1か月取り組もうとした経験から振り返ると、まだ私は「絵を描くことが楽しい」境地に至っていない。義務でやろうとしている感覚がある。

 

私にとってそういう「ついやってしまう」になっているのはギターで簡単な音階を弾いたり、コードを鳴らして弾き語ることである。作業から逃避しようとしてついついやることがある。そうして今は2、3日に1回、あるときは毎日作曲ソフトを開いて作業をする。これを絵でできるようにならないといけない。

 

ではどうするか。楽しくなるまで待つしかない、基礎の間は忍耐というのもあると思う。そしてあとひとつは、どれだけ稚拙でも継続することだろう。こんな棒人間でもいい。1日のうちに一回は何かを書くことを継続することを目標にして、残りの9月をやりきりたい。1か月もかけてやっとこういう前提みたいなところに気づいたのだった。

 

おやすみなさい。