nikki_20221023「内輪ネタ」

 

動画を投稿したり、しなければならない作業をした。人のブログを読んでいると個人的な想い出、特に独特のルールや内輪ネタは読むぶんには本当に面白いなと思う。実際に私もそういうことが書けないか……となったので書く。

 

土日は家族で揃って家で夕食をとることが多かったし、いまもそうである。そこではだいたい大皿料理というか、母が豪勢な手料理を作ったりする。たとえばハンバーグ、パスタとパン、ホットプレートで広島風お好み焼きを作るなどなど。話の本筋はその料理ではない。その料理がおいしかったときはリビングにあるソファーに登り、石塚英彦石ちゃん)がよく用いていた語句「まいうー」を言いながら飛び降りるというものがあった。高さは50cmくらいなので大したものではない。こう表現するとまあ変なのだけど、衝動的においしくて「うまい!」と言いながら飛び跳ねるみたいなものであった。主に私と父が幼いころにやっていた。

 

同じく幼いころの私は父や母とおでこ同士をぶつける、ということをよくしていた。私から自発的にやっていたものであり、その擬音を称して「ドン」と呼ばれていた。外国人でいうところのハグ的な感じで、父が仕事に行く前とかことあるごとにしていた気がする。親戚が飼っていた犬にもよくしていたのだけど嫌がっており(犬は人間が顔を近づけるのを好まない)、それが原因で今も嫌われている節がある。

 

家族のあいだでのこういう自分が自発的にしていた変な行動はわりとたくさんあった。一方で学校などの内輪ネタはほぼ思い当たらない。高校のとき遠足でバーベキューをして、熱されたソーセージを呻きながら頬張っていた人が「ソーセージ」と卒業まで呼ばれていたことがある。

 

あまり思い出したくないし内輪ネタでもないのだけど、小学校六年生のときにわりと学級が荒れていた。音楽の授業は音楽室で行われ、先生に対してちょっとした嫌がらせを集団でしていたことがあった。歌ってください、と言われたときにほぼ誰も歌わないなど。私は異常なほど律儀だったので、誰一人歌わない状況下で歌っていた思い出がある。「遺失物届くん以外で歌ってね」みたいに言われたこともあった。あと明日の授業のはじめに「起立、礼」で立ち上がりながら全員で椅子を倒さないか、という計画がささやかれていたことがあった。それに加担するのが嫌すぎて、真面目に担任の先生へどうすればいいか相談した思い出もある。結局数人しかやらなかった気がする。

 

私は小学校を卒業するとき、それまでお世話になった先生方に手紙を渡しまくるということをした。その音楽の先生にも渡して、中学の吹奏楽部に入ってから返答が来たことがある。地元の吹奏楽コンクールに出ていた遺失物届くんの姿を見かけた…という書き出しで、音楽を続けてくれていることの感謝が綴られていた。その返答をまた手紙で送ったところ、さらに返答が来た。いまもその二通は大切に保管していて、音楽を続けるひとつのモチベーションにある。いまこの文章を書きながらお気に入りの曲をシャッフルして聴いていたら*1、たまたまそのときの演奏した曲が流れてうれしかった。この手紙はいい思い出である。おやすみなさい。

 

*1:あなたは過去に「音楽を聴きながら作業はできない」と日記で言っていたのでは?と考えた熱心な方もいるかもしれないが、何十回と聴いた曲に関しては歌詞があろうとも聴きながらある程度の作業はできる。