nikki_20220618「下手な演奏をすること」

 

 完全に生活が治らず、17時くらいに起きて生活していた。朝の5時に起きたと仮定したタイミングで行動して安定はしているのだけど、これだと支障がでるのでなんとかしたい。調べ物のために行きたかった図書館も起きたら閉まっていたわけで…。

 

 

 

 

@nowoka_2 友人にも指摘されましたが、のをかは同時に複数の作品を並行して鑑賞することが難しく、ひたすら一つの作品を一区切りつくまで一気見してのめり込むみたいな見方しかできない

 

 フォローしている映像作家の方のツイートなのだけど、よくわかるとなった。とはいえ同時に複数ジャンルの本を読み進めたりするなのだけど、同じジャンルの本(小説と小説、新書と新書とか)だったり読書以外だと難しいところがある。複数のアニメを並行して追うのとか、映画を連続して何本も見るのとかは難しい。一気見しかできないのもそうだし、だから最近も飽きるまで響けユーフォニアムあたりのことをずっと考えている。たぶん数か月は引きずるとおもわれる。

 

 

 

 

 思い出すのは劇場版「誓いのフィナーレ」のエピソードで、コンクールに出るための選抜オーディションを主人公の後輩が受けるシーンがある。部屋で先生と一対一になり演奏を見てもらうわけなのだけど、外から聴いていた主人公とその先輩は違和感に気づいてオーディションを中断させる。彼女は中学での楽器経験があるはずなのに、実際に吹いていたのはそうとは思えない下手な演奏だった。その点に関して「どうして手を抜いたのか」ということを糾弾するシーンがあるのだけど、しみじみといいな…と思い出している。

 

 演奏に関する理由は明白で、自分が上手だと高校から楽器を始めた先輩がコンクールに出られなくなるからだ。いわゆる忖度。彼女は過去に同様の経験をして自分がコンクールに出ることになり、顰蹙を買うような経験をしていた。それに対して、先輩の方は「自分が出られなくても構わないから本気であってほしい」と思いをぶつけたりして物語は進んでいく。人間関係においてうまく立ちまわること。それと全体として完成度の高い芸術を求めることの対立だと言える。ちなみにこのあとの主人公と後輩が対話するシーンもよい。

 

 やっぱり日常においては前者の方が優先されてしまうというか、そうして「わざと下手な演奏をする」ということを私(たち)は毎日の生活でずっとしているのだ。そういう小手先だけうまくなるような現状に対して突きつけられる先輩側の思いは鋭いもので、なあなあにしておけばいいものを看過しない。そこまで本気になって思いをぶつけることにもためらわず、一丸となって「よい演奏」を作り上げるという意志を共有しようとしている。純粋な思いの美しさがある。

 

 この日記を読んだりしてどういう印象を持たれているか分からないが、僕はわりと泥臭い精神みたいなものが好きなところがある。それは根性論とかではないのだけど「生きる」という表現よりも「生き抜く」のほうが好きだし、たまにサンボマスターとかも聴いたりする。努力は報われると信じたい節があるし、なんかそういう松岡修造みたいなマインドがあるにはある。これってどうなんだろう、みんなどこかにあるものなんですかね。ぜんぶ諦めました、もう堕落して生きていきます、みたいな人でもそういう残り火がちょっとだけでも燻っているのだろうか。おやすみなさい。