僕の人生に影響を与えたであろう本を8冊選んで、それについてだらだら書く。いま僕は節目の年齢にあり、以前からここまでの人生を振り返った文章はかねがね書きたいと考えていた。本当は10冊にしたかったけど、8冊しかあげることができなかった。この「キリよく10冊にしないといけない」という強迫観念も、この文章をなかなか書き出せなかった理由のひとつだ。しかし、そういうことを気にしていてもよくない。もっと気軽に書くべきた。そう考えてGW中などの時間を縫って記録したのが本文章である。1万字ほどあるのでご容赦ください。
選考基準としては人生に影響を与えた、いまの趣味嗜好を形作っているという観点による。そのため、好きな本をあげてと言われたらまた違ったものが出るかもしれない。いきます。
- 1 はやみねかおる「亡霊は夜歩く」
- 2 赤木かん子編「ミステリーはミステリーを呼ぶ」
- 3 綾辻行人「迷路館の殺人」
- 4 テンヨー「ターベルコース・イン・マジック」
- 5 穂村弘「ラインマーカーズ: The Best Of Homura Hiroshi」
- 6 米澤穂信「氷菓」
- 7 翔泳社「ILLUSTRATION2018」
- 8 panpanya「蟹に誘われて」
1 はやみねかおる「亡霊は夜歩く」
はやみねかおる氏による文化祭を舞台にした学園ミステリであり、夢水清志郎探偵ノートの第2作。子供向けレーベルでおなじみ「青い鳥文庫」から出ていて、人が死なない。しかしタイトルからも分かるように本格ミステリへのリスペクトがあり、大人でも十分楽しめるのが特徴だと思う。実際、講談社文庫からも同じ作品が刊行されている。
これは小学3年生くらいのときに読んだ。読書をはじめたきっかけの本だと思う。当時、学校では図書室に行ってみんなで本を借りる時間が週に1回あった。ところで僕にはいまでも変わらない優柔不断な性格というやつがある。ひとりでは選べないから…と担任の先生にどの本がいいか決めて貰ったりしていたのであった。あるとき「頭がよくなる本を読みたいです」と訊いたら、「頭の良い子が読んでるのはミステリとかかなあ」とこの本をおすすめしてくれた。やりとりも含めて鮮明に覚えている。
当時の僕はこれを面白く読み、それからミステリだけ読んでいた…というわけでもなく、「黒魔女さんが通る!!」など同じ青い鳥文庫の本だったり、ことわざを解説した本をずっと読んでいたのだった。夢水清志郎シリーズは結局「人形は笑わない」まで読み、それ以降は読んでいない。同作者の虹北恭助シリーズの短篇、「透明人間」も面白かった記憶がある。都会のトム&ソーヤシリーズなども未読だが、氏は前述したように大人も子供も楽しめる本格ミステリを書き続けている点で素晴らしい。はやみね氏もだし、当時の担任にも、いまになって非常に感謝している。このあいだ映画を見に行ったら、怪盗クイーンの予告編があってしみじみした。
2 赤木かん子編「ミステリーはミステリーを呼ぶ」
赤木かん子氏による子供向けミステリアンソロジーシリーズ、その第5巻。この巻には島田荘司「IgE」、鮎川哲也「クイーンの色紙」の2編のみが収録されていることからも分かる通り、子供のために書かれていない作品が大半。大人向けの推理短篇を児童文学評論家である氏が子供向けに編む、というコンセプトで出来たのがこのシリーズだった。あとは彼女が入浴中に読むための短篇小説から選んでおり、後味が悪かったり血生臭い話もないのでよいと思う、みたいに前書きで語られていた。そう記憶している。ゆえに、日常の謎が多い作品群になっている。
この巻には2編しか収録されておらず、「IgE」が中編。御手洗潔シリーズの一編であり、ファミレスのトイレが破壊される、公園の木が何者かに切り倒される、など複数の箇所で起こった不可解な出来事が繋がっていく。「クイーンの色紙」は三番館シリーズの一編。バーテンダーが話を聴いて謎を解決する安楽椅子探偵もので、この話は虚実をない混ぜにしながらある色紙紛失事件が語られる。
この本は小学校高学年くらいで読んだ。当時は休日になるごとに家の近くにある図書館へ本を借りに行っており、毎週10冊以上は書庫から出してもらっていた。司書さんも迷惑していただろうし、顔も覚えられていたことだろう。しかし僕からは認識を確認できないわけで、そういう不思議な壁が図書館にはある。この経験がきっかけで一時期は図書館司書を目指していたが、表で本を出したりしている人たちはパートで本職ではないよ、と家族から聞いたりして今は目指してはいない。
どの経路でこの本に辿り着いたかは覚えていない。しかしミステリという単語が書名に含まれていたからだろうか、検索でヒットした可能性が高い。これに限らず赤木かん子氏は大人向けの短篇を子供向けに編む、というシリーズを複数刊行しており、それを僕は拾い読みしていた。中にはいまでも活躍されているミステリだったり、SFだったりの作家も多い。このとき川原泉氏の漫画も読んだことを思い出し、改めて読み返したいなと先日ふいに思い出していた。とにかくこの巻の内容だけ覚えているということは非常に面白かったのだろう。ミステリを好きになった一要因である。
3 綾辻行人「迷路館の殺人」
綾辻行人氏による本格ミステリ「十角館の殺人」から始まる館シリーズ、その2作目。筋書きとしては迷路のある館に集められた作家などの人々が次々と殺されていく…というオーソドックスともとれる作品なのだけど、作品の入れ子構造など遊び心に満ちている。
先述した「IgE」に影響を受け、とりあえず島田荘司「御手洗潔の挨拶」という短編集を買って読んでいた。島田荘司について図書館などで調べると新本格つながりで当然浮上するのが綾辻行人であり、最初に読んだのが「迷路館の殺人」だった(十角館はその次に読んだ)。核心に触れることは書かないが、トリックは2022年のいまに読むとそこまで斬新ではないのかもしれない。しかし初めて読んだ大人向け本格ミステリ長編として、子供のころの僕は見事に騙された。これで決定的に推理小説が好きになったと思う。
同時期に講談社から出ていた綾辻行人「びっくり館の殺人」も読んだ(もしかしたらこれが綾辻氏で最初に読んだ作品だったかも)。これは講談社の有名な編集者である宇山日出臣氏が「子供も大人も楽しめる推理小説」というテーマで刊行したシリーズの一編であり、まさに子供側として乙一「銃とチョコレート」、麻耶雄嵩「神様ゲーム」(これは子供向けを逆手に取っており悪質)、倉知淳「ほうかご探検隊」を読んだ。
当時は読書記録をつけていた。どうせ字が汚すぎて誰も読めないと思うのでぼかして晒します。青崎有吾「体育館の殺人」、辻真先「仮題・中学殺人事件」、乾くるみ「イニシエーション・ラブ」、森博嗣「すべてがFになる」、西澤保彦「瞬間移動死体」などなど。中井英夫「虚無への供物」を部活の間などでちまちまと1年かけて読み終わった時期があったのですが、よく分からなかったし、今も内容は覚えていない。ただ、あれがアンチミステリたるゆえんを当時の僕なりに理解して感動したのは覚えている。あとは赤川二郎の本がとてもよくて、ずっと読んでいたときもあった。家の前に座りこんて「ふたり」を一日で読み切った思い出がある。またあるときは清水義範の本をずっと読んだりしていた。小説で爆笑するのは初めての体験だったのも、懐かしい。
こうして中学校くらいまでは盛んに推理小説を読んでいたが、部活などが忙しく高校ではめっきり読まなくなってしまった。ゆえに私のミステリに関する知識は中学くらいまでのものが主になっているし、本当に貧弱オブ貧弱なままで止まっている。のろのろと遅れを取り返そうとしていますが、興味が散逸し過ぎてミステリを最近は読めていないのが現状。
4 テンヨー「ターベルコース・イン・マジック」
さてここでミステリから離れた話題に飛ぶ。世界最高の手品百科事典(自称)とされる有名な本。テンヨーという会社から刊行された全10巻のものである。テンヨーは東急ハンズやロフトの宴会芸コーナー、その一角に行けば必ず並んでいるようなマジックグッズの多くを手掛けている会社だ。この本の厚さや質量はまさに百科事典といっても差し支えないもので、さながら魔法使いの本棚に並んでいそうな壮観さである。
この本と私の関わりも図書館が関係している。これもまた小学校高学年のころ、奇術に熱中していた時期があった。とはいえ、先述したテンヨーのマジックグッズをひたすら買ったり、実用書コーナーにある宴会芸的な手品の本を買っては家族に見せていたのみだけど。その流れでこの本を知り、図書館で借りては家で読んで練習していた。過去の日記ではこう述べている。
昔から「人を驚かせること」が好きで、手品だったり推理小説を書いたりをしていた。これはひとえにコミュニケーション能力が低くて「驚かせる」ということを媒介として人と交流していたのかもしれない。手品自体はもうあまりしなくなったけど、時々「今までずっと手品に精力を注ぎ続けていたらどうなっていたろうか」と寂しくなったりする…。/だがしかし、自分は人と話すのが苦手、あと自分で言うのもなんだがお人よしすぎる性格である。ゆえに嘘がつけない。だから手品で人を騙すのはわりと苦手で、演技ができなかった。
本の中身はそのまま「手品の百科事典」といった趣で、カード、コイン、ロープ、日用品、人体消失、メンタリズム的なもの、日用品、シルクやハンカチ、花、動物、マジシャンとしての心構えなど、基礎から応用までが体系的に解説されている。いまは絶版で入手できなくなっているため、貴重な書物ではある。タイトルの「ターベル」というのは、ハーラン・ターベルというマジシャンの手による本であることから。
当時印象に残った出来事として、いつものように東急ハンズの手品売り場で商品を見ていたら、マジシャンを自称するおじさんに話しかけられたことがある。手品を見せてくれた。細切れの付箋のような紙が僕の手のひらの上に置かれる。そこにはスプーンが描かれており、彼が念を唱えると次第に紙は反れていく。ちょっとしたスプーン曲げだった。これは当時の僕もある程度は理解していたであろう、簡単な仕掛けだ。薄い半紙の紙片を手のひらに乗せると、手の熱と蒸気で紙は反れる、それだけのことで何も不思議ではない。それでも彼が去り際に言った言葉が印象に残っていて、「道具に頼ってするのもよいけど、技術を磨くのも楽しいものだよ」といったものだった。
道具の仕掛けに頼ることは何も悪くはないが、奇術の楽しみ方には自らの腕を磨くというものがある。仕掛けのある道具がないと手品ができないより、何の変哲もないトランプ一組やコイン数枚で人を驚かせられるほうが格好良い。そう考えた僕は、当時持っていたマジックグッズを全て捨ててしまった。置き場に困っていたのもある。だが今となってはもう廃盤になったものも多いし、また触ってみたいため、これを捨てたのは今のところ人生の後悔ベスト5には確実に入っている。ともあれ、そうして僕は本とにらめっこしながらカードを触ったりしていた。
そうして僕がこの本から受けた最大の影響は、手品を好きになったこと・そして読解力がついたことかもしれない。僕は図書館でいくつかコピーを取っており、それはいまも手元に保管されている。宴会芸とかで役立つかもしれないし。
本の中身はひたすら小さな文字の羅列で、たまに手書きの図が挿入される。この文章ひとつひとつに「右手を前に出すと同時に左手を…」「客が選んだカードの1枚上に小指をはさみ、そして左手で上から束を掴んで回転させる」のような指示が延々と書かれている。
これを読んで理解し、実際に指を動かすということをずっとしていた。僕は説明書などをよく読んで機械を直そうとしたりする。家族から「その癖は手品の本を読んでたからじゃない」と言われてから気付いたのだけど、おそらくこの経験は僕の読解力をあげることに確実に貢献していた。
好きゆえに熱中していて気付かなかったが、ちまちまと読んでは手元で実行に移す作業はかなり大変だ。文章の意味が分からなくても大人に聞くことはできず(本自体が大人向けかつ、手品の話を突然されても面食らうだろうという自覚があった)、自分で一旦作業から離れて再び見直すと分かったり、そういう試行錯誤の手順もここで培ったのかもしれない。
いわゆる手品の解説というのは「現象の説明」→「ではそれをどうやってやるか」の繰り返しである。さながら短い推理小説を読んだり、ウミガメのスープを解いたりするのと同じ快感があった。人を騙す仕組みや骨組みも学んだのかもしれず、これは高校で推理小説を書こうとするときに役だった。ものが消えるだけとか、そういう単純な現象ほど仕掛けは複雑。複雑な現象ほど仕掛けは呆気なかったりする。手順の複雑さで単純さをカムフラージュしているのだ。そういうことを子供ながらになんとなく学んでいた。
第2巻の冒頭にあった「ショーマンシップ」という項目もよく覚えている。奇術師は極論、ただタネを実行する人に過ぎない。起こそうとすることが物理法則に従い、起こるべくして起こっているのだ(この思考も、わりと僕が現実主義者みたいな性格に至った一因かもしれない)。しかしそれをマジシャン自身が自覚してはいけない。さも自分が魔法を使っているかのように演じてみせるのだ。そうすることで、つまらない仕掛けがずっと面白くなる。そういう話だったと記憶している。奇術師が指を鳴らしたり、おまじないを唱えることの必要性はここにある。ミスディレクション(これはミステリでもたまに出てくる用語)を使って視線を操れば、客の鼻先から兎だって消せる…というような記述も印象深い。
5 穂村弘「ラインマーカーズ: The Best Of Homura Hiroshi」
現代短歌において重要な人物のひとりである歌人、穂村弘氏の歌集。タイトルにあるようにベスト盤であり、複数の歌集から集められている。小学校高学年ごろに図書館で手に取って衝撃を受けた本。経路としては、青少年向けの本棚に「短歌ください」があったのがきっかけだった。雑誌ダ・ヴィンチにおける氏の連載が書籍になったもので、読者から投稿された短歌を紹介するコーナーだった。これも自由で衝撃だった。木下龍也など、ここで常連投稿者だった人のなかには歌人として活躍している人もいる。話をもどすと、ラインマーカーズで特に印象に残っているのは以下の歌。
英作文例題五五一「あなたは私のパソコンを噛む」
短詩だと「古池や蛙飛び込む水の音」くらいしか知らなかった僕にとって、ここまで自由でいいのだということは衝撃だった。当時、生徒が自由に日々の生活で感じたことを五・七・五で表現、投稿できるポストが学校にはあった。そこに、小学生にしてはかなりひねくれた句を投稿したのを覚えている。よい句は学校通信に載るのが慣例だったが、ひとつも載らなかった。当時は学級が荒れていて、それについて婉曲的に書いたりしたのである。かえってSOSと思われ心配されていたかもしれない。
しかし以降、ほかの歌人へ手を伸ばすことはなかった。そうして中学になり、短歌とは遠くはなる。たまに作っていた気もするけど。高校では最果タヒの詩を読んだり、あるいは趣味で行っているいろは歌を作り始めたりする。短歌についてはこの2年くらいで少しずつ歌人などを意識し読み始めた…といった様相だ。言葉の自由さというものに触れられた点で、この本は大きかった。実は持っていなかったのでGWに購入した。1000円で歌集としては求めやすい価格なのでおすすめ。
6 米澤穂信「氷菓」
直木賞を受賞した米澤穂信氏のデビュー作。中学のときに読んだはず。古典部シリーズは「ふたりの距離の概算」以降読んでないしアニメも見てない。小市民シリーズは春季を半分読んで挫折し、夏季は最初の一編だけ読んで放棄*1、秋季は読んだ。巴里マカロンの謎は読んでない。それ以外だと「満願」「折れた竜骨」を読んだくらいでお世辞にもファンとは言い難いのだけど、好きです。人と人との関わりのなかで生まれる謎と解決というか、そういう人間を描きつつミステリをやっているというか。
この作品はもちろんミステリとしても好き(学園系日常ミステリが僕の性癖にあるのはこれが大半)なのだけど、自分の嗜好を形成した部分で言うとまさに主人公の造形である。僕はもともとそこまで目立つ人間でもなかった。そこに現れたのが折木奉太郎だった。彼の「なるべく厄介なことには関わらないで生きたい」「省エネ」の姿勢に僕は不幸にも憧れてしまい、そして模倣した。これは小市民シリーズにおける「小市民」としての生き方とも似ている部分がある。そこも取り入れて自分なりの行動指針を作ろうとしていた。「どうしても自分である必要がないなら物事には関わらない」、みたいな…。自分の芯となる考え方や行動指針を作れば行動しやすくなる、という思想が僕の中であった。
そのなかに、そうしてじっとしていれば小説のなかの主人公のように何かに巻き込まれるのではないか、という視点もあったのかもしれない。残念ながら現実は甘くない。もしも本当にその姿勢を信仰するのであれば吹奏楽部になんて入らなかっただろうし、クラスの学級委員長を半期だけ務めるようなこともしなかったと思う。
これは依然として僕のなかでも掴みかねる欲望なのだけど、そういう目立ちたくないけど目立ちたい欲望、というものがある。面倒なことに巻き込まれたくない気持ちもある、人と話すのと短時間でもわりと疲れる。しかし誰かと交流したり突飛なことをして耳目を集めたいときもある。目立つ行動をするときは、親切心からの行為だから、、、などと言い訳もしがちである。だが実際に目立ちたい願望があるのもまた否定できない。二律背反。こうしてブログという公衆の面前で文章を書くという創作も継続しているわけで、このよく分からない気持ちをこれからも飼いならしていくしかないのだろう。
連休中に「ふたりの距離の概算」「いまさら翼と言われても」を買いました。翼のほうは2016年の本だと聞いてビビる。
7 翔泳社「ILLUSTRATION2018」
翔泳社が出している本。毎年会社が「今年を代表するイラストレーターは?」というアンケートを実施し、そこで集まった作家たちの絵が多数収録されている。実質イラストレーター年鑑のようなものだけど、同じような趣旨の画集はほかにもたくさんある。親戚の家に行き、お正月にもらったお年玉で本を買いに現地の書店へ赴いた。そのとき5000円分くらい本を買ったのだけど、そのうちの1冊だったと記憶している。たまたまイラストレーションのコーナーで気になったのだ。刊行されたのは2017年の暮れ、タイトルから分かる通り2018年に購入したはず。そのときは高校生だった。
この本がどう影響したのか。それはイラストレーターさんの絵を追うという趣味ができたことである。僕は2017年からTwitterをしていて当時は始めたて、何をフォローすればいいのかも分からず、とりあえず好きな作家さん・ボカロPを多数フォローしていた。(ピノキオピーや綾辻行人は僕のフォロー欄のかなり下にいる。)でももっと豊かにしてみたい、と思った僕は計画を実行した。載っていたイラストレーターおよそ150人ほどのアカウントを片っ端からフォローしたのだ。
それから「この絵師さんがRTしたこの人いいな。フォローしよう」が連鎖して、イラストを色々と見るようになった。アニメはほぼ見ていなかったが、週末はとらのあなやメロンブックスに行って本を物色する趣味ができた。とはいえお金はないため、そこまでたくさん集めたりはしなかったし、通販のやり方も分からなかった。月曜日のたわわは6冊持っている。
なかでも印象に残っているのは平成同人製作委員会「平成同人物語」を購入したことで、これは元号の変わり目、平成最後のコミケを記念して有名な同人作家たちがイラストを寄せた本だ。これを入手したい。そう思った僕は行動を起こし、部活の無かった学校の帰りにとらのあなへ自転車を走らせた。雪の降りそうな、寒い冬の日だった。学生服の上にコートを着て入店した僕は、予約カードをそっと、レジで店員に差出す。予約そのものが初めてだったので緊張した。後日店頭で受け取ったそれはずっしりとした重さがあり、しかし中に書かれていたキャラクターや作家はほとんど知らない人が大半だったのを覚えている。それでも平成が終わる記念の本を買えたこと、学校の帰りにとらのあなに寄ったということが印象深い。
それは広島で唯一の店舗だったが、大学へ行ってから閉まってしまい、無残にも広島からとらのあなは消滅したのだった。先日同窓会で訪れたところ、本当になくなっていたので寂しかった。メロンブックスはある。
8 panpanya「蟹に誘われて」
これを読んだのは比較的最近だと言えるだろう、2021年ごろ。panpanya氏による短編漫画集。
panpanyaさんの漫画「蟹に誘われて」を読んだ
— 遺失物届 (@arudanshi) February 18, 2021
脱力して笑えるくだらない話ばっかりで
絵柄から巻末の索引まで完璧に最高すぎる
すっかり独特の世界観にハマってしまいました…。https://t.co/TKM4GibXQI
この本が大きかったのは漫画を読むようになったことである。僕はおそらく同世代が通ってきたような漫画やアニメをほぼ通っていないというところがあり、ドラゴンボールやワンピース、ポケモンについて全くの無知だったりする。多少コンプレックスではあるが、支障が出るのは日常的な比喩で「スーパーサイヤ人みたいな」とか言われても分からないことくらいだろうか。能動的に触れようとも思わない。話は逸れたが唯一読んだことあったのが「ドラえもん」、あとはコロコロコミックに載っていたよく分からないギャグマンガで、この本を読むまではほぼ漫画は読まなかった。強いて中学の図書館で「この世界の片隅に」を読んで号泣したことくらい。
知ったのはおそらくTwitterのフォロワーさん経由かもしれない。直接おすすめされたとかではないのだけど、RTか何かしていて気になったのだ思う。ありがとうございます。短編かつ、大騒動が起こるわけでもない。起こってもそれは日常の範囲に留まったほのぼのさ、キャラクターもほんわかしているけど背景の書き込みは緻密…という不思議な画風とシュールな物語が特徴的で、楽しく読んだ。年1回ほどの刊行ペースで、いまもゆっくり既刊を読み進めています。
これで「漫画でも面白いジャンルがあるのだな」と思い、少しずつ短編漫画集を読むようになったりしたのだった。ペースは遅く、多くはない。それでも漫画を読むことを再開した一端として印象深い1冊です。
以上、8冊。正直なところ僕にとっては当然のような本たちであり、客観的な意外性があるのか?という不安はある。しかしこれは生まれてから今に至るまでなので、こういう選書になるのも当然かもしれない。*2最近は「これは人生に残るレベルの傑作だ!」みたいな本に出会えてなくて、それはちょっとした悩みだったりはする。それは僕のハードルが高すぎるのと、読んでいるのが少なすぎるのが関係してそう。
しかしこうして並べて述べると間違いなく人生の縮図だし、自分の一部だと分かって楽しい。次に書くのはいつになるか分からないが、これからも本は読むでしょう。そのときは10冊あげられたら嬉しい。音楽編もいずれやりたいです*3。みなさんもやってみてくださいね。それでは…。