nikki_20220313「一般事務員の憂鬱」

 

 朝の11時くらいからずっと作業していた。夜の19時から翌日7時くらいまでは12時間ほどblenderと対峙し続けていた。

 

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副産物です



 

 

 

 

 3月後半、主にこの1週間くらいは吸収する期間にしたいが分からない。と言いつつ日曜と月曜は既に無に帰してしまったので…。Twitter積読やアニメなどをひたすら消化している人を観測したので、自分もそうしようと思った。そもそもずっと作って吐き出してばかりなので、自然といちど肺いっぱいに吸い込む心情になっている。とりあえず、ずっと読んでいる二階堂奥歯「八本脚の蝶」を読み進めているが、600ページ中350ページくらいまでいった。日記という体裁上、一気に読むようなものではないのかもしれない。しかし、いくつか並行すると読み切れないということは経験上知っている。こういう「一冊読まないと、ひとつのアニメを見切らないと、ひとつのゲームをプレイしきらないと、次には進まない」というストロングスタイル・気性も、一方では自分の欠点であると思う。

 

 本を読むという行為で最近気づいたのは、「きょうはここまで読む」と決めて栞を挟み読み進めるという方法だった。読書を義務みたいにしたくないので敬遠していたというか、好きに読んでもういいかなと思ったら辞めるというスタイルで読んできた(終わりが近いときは「読み終わるまで寝ない」みたいな決意をしばしばして成功している)のだけど、「きょうは300ページまで読みたい」とやんわり決めると進みが早い気がしている。理想的なのは気が付いたら全部読んでた…みたいな形式なのだけど、なかなか完璧にはいかないものである。残りページを気にしつつ、確実に進んでいる実感を持てるこの方法は僕に向いていたと言えるかもしれない…。

 

 

 


 小学生の妹が響けユーフォニアムを見ていると言っていた。衛星放送で放送されているのを録画しているらしい。京都アニメーションの作品を見たいと涼宮ハルヒ中二病でも恋がしたいたまこまーけっとけいおん、メイドラゴン、ツルネ、氷菓etc.の作品群が大量に紙に書き留められていた。関係ないが今はからかい上手の高木さんを見ていて、原作の漫画も買ったらしい。山本崇一朗氏のラブコメ漫画をもっと読みたい、春から始まるアニメも楽しみらしいと言っていた。

 

 僕は共感性羞恥でそこまで貪欲にアニメも見れないし、同じ年代のときはひたすらミステリを読んでいた人間のため気圧されるものがあった。おそらく世の中の多数の人間は妹のようにどんどんアニメやドラマ見て…みたいにしているのだろうけど、自分がそうでないことに対する劣等感はどうしてもある。そういうことをうじうじ書いてもしょうがないしいままで何回もしているのでどうでもいいのだけど、多感な時期に京都アニメーションを見たりした妹、さらに範囲を広げると気軽にアニメに触れられる同世代の小学生たちが20歳くらいになったとき、どういう子になっていくのだろうという好奇心はある。

 

 いま妹は完全に影響されて吹奏楽部に入ろうとしているらしく、僕がそうだったのもあり母は忙しいのではないかと心配していた。僕は放任主義でいたいというか(≒他人の事情に介入して責任を負いたくない)自由にしてほしいので入ったらいいんじゃない、と述べた。いまは学校と部活に対する考え方も変化しているらしいし、束縛もゆるくなっているのではないだろうか。知らないけど。

 

 

 

 

 ついでに妹が学校で書いた将来プラン、みたいなものが校内で掲示された写真が送られてきた。将来を見据える・キャリアという考え方を小学校のうちから根付かせる…という動きがあったのは僕も中学校から薄々感じていて、いまは普通になったのだろう、私はこの学校に行って、この高校に行って、この大学に行って、この職業に就きたいです!という設計図がすごろくのように図示されていた。色やイラストを添えて個性的に貼りだされたそれはグロテスクなもののように思えた。公立に進学する子、受験して私立に行く子などが分かれていく。僕が同じくらいのときにはそこまで考えていなかったし、見通しがあること=よい、という見方が称揚されているようで複雑な気持ちになった。将来を考えることは悪いことではないのだけど…。

 

 おそらく教師もそういうことは思っているのかもしれないし、そうさせている要因は学校という空間であったり複雑だと思う。振り返ると「先生だってあの取り組みをすることに対して全面的には肯定していなかった・複雑な気持ちだっただろうな」と思い返すこと、それが最近はふえている。例えば僕は広島出身で、原爆ドームをみんなでいろんな角度から写生して教室の壁一面に飾るということがあった。そのときは純粋に描いていたけど、負の遺産をみんなで書いて飾るというのもなんというか、全面的に肯定しがたい複雑な気持ちだ。

 

 ともあれそうして飾られた将来のプランを見ているといろんな職業があったものだが、「一般事務員」というものを最終的な目標にしている子がいた。お~と思った。いたよな…という感情だ。僕のときも将来の夢を「公務員」としている同級生がいたし、なんなら僕も「会社員」と書いた記憶がある。燦然と輝くキャリアプランの頂きに輝いている凛とした「一般事務員」という文字はどこかおかしくて、しかし寂しさもあった。夢に「会社員」と書いていた僕たちと違って、具体的な設計図のなかに組み込まれたそれは異質に見えた。どういう気持ちで書いたのだろう。

 

 妹は美大に行ってアニメ会社で製作に携わることを最終的な目標にしていた。両親も芸大のため血は争えないと感じている。僕は違いますが、京都アニメーションに行ってほしい。おやすみなさい。