nikki_20220506「帰省 ごみ焼却場など」

 

 この日は帰省をした。特にトラブルもなく、意外にすっと到着して拍子抜けした。体感としてはちょっと遠くの街へ電車で行ったくらいのもので、なんかこんな距離感なのだなと思っていた。そもそも共同生活というものに慣れないし、諸要因もあって帰省は面倒で嫌だなと思ったのだけどなんとか過ごしている。まだしぶとく残っている店もあり、家の諸々のサイズが小さく感じたりして面白い。幼稚園が一緒だった人の家とか、それが10年くらい同じ見た目だという情報がなければ最近建ったと勘違いしそうなくらいそのままに残っていてすごい。

 

 

 

 

 帰省先である広島は、先日見た映画「ドライブ・マイ・カー」の舞台にもなった場所である。何度も行っていたごみ焼却場が出てきていたので、久方ぶりに再訪してみた。最も重要?な棟内の吹き抜けは、17時を過ぎていたからか入れなかったのが残念である。ごみを焼却しているようには見えない外観、四方を硝子に囲まれた吹き抜けは近未来の都市を歩いているようで、工業地帯マニアやスチームパンク趣味の人々には楽しいところだろうし、幼いころからもう少し有名になっていいのになと思っていた。そのため映画のロケ地に使われたのは嬉しいし、しかしここが観光地っぽくなっているのは不思議な気持ちもある。おそらく通学路が聖地になったり、そういう人々も同じように思っているのだろう。

 

 

 

 


 ついでなのでドライブマイカーの感想を書いてみる。3時間もある映画を見るのが初めてで、始まる前に正露丸を飲んだりトイレに行きたくならないか緊張しながら見ていた。わりと時間が立っているので忘れつつあり、見た後にとっていたメモを推敲して載せる。

 

車における会話の雰囲気、いいな~となった(前に見たナイトオンザプラネットも同じ)。運転手と後部座席の人間は目を合わすことができず、ほぼ声だけでしかやりとりができないわけで、対面して話すのとは異なる良さがある。もちろん後部座席の人間同士の会話も出てくるのだけど、そこも薄暗い感じとかが生かされていたかも

 

最後にでてくる台詞は、おそらくそのままチェーホフの言葉を借りて締めくくっている。他の作品の言葉にメッセージ性を託して終わり、それに簡単に同調していいのかというもやもや感はあった。しかし元となったワ―ニャ伯父さんや村上春樹の作品を読んでないので何とも言えない。

 

中心としては傷から再生する話だと思った。傷を乗り越えるという形式は物語においてよくあるのだけど、この監督が描くとこうなるって感じなのか…。登場人物たちはそれを乗り越えたように見えるのだけど、でも無かったことにはならない それ含みで生きていくのだという、この世のままならなさとか、なんともいえないな~となった。でも岡田将生演じる高槻耕史の意味づけはよく分からなくて、まだ消化しきれていない。


世界を描くならその美しさとか素晴らしさにポジティブに終始するより、そういうやりきれなさを描いてくれたほうが個人的にはうれしいかもしれない。あとは手話の演技が良かった(しかしこれはネットで物議を醸していたことを後に知った)運転手の子のラストシーンの表情、スーパーで並んでいる車が見える演出も良かったです。なぜか老婦人の方が多く見に来ていて、終わったあとに最後のシーンはどういうことだったか議論しながら帰っていてよかった。

 

 焼却場の広場はシロツメクサの繁殖力がすごくて、ところどころに花冠が投げ捨てられていた。おやすみなさい。