nikki_20220320「妹と卒業」

 

 昼頃に起きて、するべきことをやっていた。深夜に読んでない本、いわゆる積読がどれくらいあるかを数えてみていた。予想していた通りたくさんあり、そういえばこれも読みたいな、これも読みたいとしているとかなり時間が経過していた。文学フリマで買った同人誌や、他人から大量に譲られた大学短歌会の機関誌など(これが持っている同人誌の7割くらい)が大量にあり、含めるときりがないのでカウントせずにやるとだいたい80冊くらいあった。これを多いと感じるかそう感じないかはあなた次第である。とりあえず4月までにこれは読むと決めた数冊を決めた。

 

 

 

 

 数日前に妹が小学校を卒業していた。祝うべきことである。当日は全国的に雨で、終わった後に校庭でわちゃわちゃするようなこともなかったらしい。またみんなで何か食べに行く催しもなかったそうである。僕のときは近隣にあった大きめのビュッフェみたいなところに、おそらくPTAの計らいか何かでごはんを食べに行ったのを思い出す。印象に残っているのはドリンクバーでいろいろ混ぜたような謎の液体に、使い終わった箸などを入れて地獄の飲み物だ~とはしゃいでいた連中がいたことである。長らくバイキングも行っていない。

 

 

 

 

 妹に話を戻すと(僕の知る限りでは)問題なく卒業まで来ることができたようでよかった。小学6年生というと学級が荒れがちというか僕の時は荒れていたが、担任がよかったのか彼女の場合はそうでもなかったらしい。もしかして時代とともに変わっていっているのかもしれない。妹と話すとどこかあっさりしているようで、でも卒業式なんてそんなものだよなと思ったりした。これから中学高校となるにつれて色々あるんだろうと思う。

 

 

 

 

 生きていくうえで、自分の中で価値観や考え方というものがだんだん形成されていく。だけどその最も根元にあるものは何なのだろうということをふいに考えていた。自分の話ではなく普遍的な意味で。さながら何もない砂漠の状態から自分の考え方という家を建てるとき、最初に立てる一本の支柱は何が支えになっているのだろう。そこにやはり論理的な根拠などなく、こうありたいという感情が最初にあるのだろうか、などと思っていた。しかしよく考えると人間の心が「さながら何もない砂漠の状態」から始まるとするのにも疑問の余地があり、いわゆるタブラ・ラサなどと呼ばれる考え方なのかもしれない。わからないです。おやすみなさい。

 

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