日記_2022/1/14「実家で鬼滅の刃を読むなど」


 ふつうに朝5時くらいまでゆるゆるして少女終末旅行を読んだりしていて、起きたら17時くらいになっていた。プレゼント交換というものをする機会を控えているため、閉店する前に手頃な店を探して街へ赴いた。

 

 プレゼント交換、というのは持ち寄ったものを回して交換する遊びというか催しである。つまりは自分の選んだものがランダムに他人の手に渡る(ほぼ)等価交換である。意外と難しく、気の利いた冗談のセンスでもないので真面目に「誰が受けとっても無難になりそうなもの」を選択するしかない。いくつか回って冗談っぽいものを探したが自分のユーモアに自信が持てず、アイマスクと浅田飴を買った。後者は中村祐介氏のイラストが採用されており、大変かわいかった。女性に当たればそちらが効果を発揮し、男性に当たれば前者が効果を発揮というか無難に済むという勝算である。

 

 この催しは日記を更新している今日あるのだけど、ふつうに行きたくなくなっている。よくある約束が近づくと嫌になる効果でもあるし、こんな状況で参加していいのかとか、そういう集まりが苦手である、など。しかしプレゼント交換というのは人数分のプレゼントがあることが前提になるゆえ、買ってしまったからには参加するかあ、となっている。自分で楽しんでもいいのだけど、きょうの労力が無駄になるので行く。

 

 

 

 そういえば5時くらいにOTOMAD TRIBUTEを初めて見た。面白さより、凄さに圧倒されていた。windowsのやつとか、カビキラーのやつとかほぼCMだし、エンディングのキルミーベイベーのパートでなぜか泣きそうになっていた。

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 はてなブログで日記を更新し始めて半月ほど経つ。いまのところnoteよりもリアクションがつきにくくて寂しいなあというのが本音にある。noteのほうで読んでくださった方が反応をくださることもあってありがたいが、はてなブログ単体で自分の日記もしくは文章に興味を持って下さる方が出てくればいいね、というのが当分の望みである。望みであって、目標ではない。目標にすると妙によそ行きの文章になってしまいそうだから…。まあまだ半年も経ってないので気長にいきたい。

 

 また、noteのほうで読んでくださっていた方への目配せというか忘れないでね、みたいな気持ちもあるので、こちらの日記で述べた本や音楽の感想だけ述べてnoteで更新するのもいいかもねとなっています。

 

 

 

 年末年始に実家へ帰省していたとき、妹が持っていた鬼滅の刃を6巻まで読んだ。妹は全巻持っており、呪術廻戦のほうは確か半分くらいまで持っている。呪術に至っては「あたらしい趣味として漫画を読むか」と父も読みはじめたので、共有財産みたいになっている。父は精神を病んでいるのでそんな暗いものを読んで大丈夫か心配だったが、帰省した時に「次の巻で〇〇が亡くなるのかな、嫌だな~」みたいに言っていたのでそれなりに楽しんでいるらしい。作品と情緒を切り離せるのだろう。まあどんな作品か聴いたところ、そんなヘビーでもなくギャグとのバランスもあってテンポよく進むらしいのだけど

 

 

 

 関連してそういう読んで重い気持ちになる作品が話題になるの、なんで…という気持ちしかない。最近もどうやらそのような作品が話題になっているが、読んでいてつらくなる展開が連続するようなものをなんで好き好んで読みたくなるのだろうか、というのはあくまで僕の主観によるものなのだろう。

 

 以前にある場所でNTRがなぜ好きなのかみたいな質問をしたとき(僕は好きでない)、様々な回答があったのを思い出す。背徳感や、人の性器が比較されているところ、堕ちることに対する快感などがあるらしい。もちろんNTRでも絵がいいものは嫌だと思いつつ興奮することもあるのだけど、NTRというジャンルそのものに興奮する人の気持ちはやはり分からない。NTRに限らず胸糞作品にいちど真面目に向き合ってみる必要があるなあとは感じるのだけど、怖くてなかなかできていない。

 

 

 

 話が逸れたのだけど、本当は鬼滅を全巻読もうとしていた。実家でないとできないことをしようと思ったのだ。逆張りで読んでいなかったとかではなく、買ってまで読もうとは思っていなかった。あと少年漫画をちゃんと通ってこなかったので、そこに向き合う意味もあった。

 

 だけど自分特有の「作品を鑑賞しようと思い立ってから実行するまで時間がかかる」という癖で結局6巻、全巻の4分の1しか読めなかった。妹曰く12巻くらいから面白くなるのでそこまで読んで、とは言われたのだけどいかなかった。ほんとうに駄目だな…。いまはネットカフェとか衛生的に行きたくないのだけど、いつか行って読みたいですね。以下感想

 

 

 きのうの日記で述べたpanpanyaとか日常系のほうが好きだと感じた。世間にウケるのは分かるし、読みたくないとか嫌いではないけど、好き好んで読む感じではない。(これは推しの子にも同じ感想を抱いている)

 

 ひたすらにベタだと感じる。胡蝶しのぶが日常会話みたいなことを言いながら相手をずたずたにする強キャラ感とか、敵も実は心の闇があってそれを炭次郎が許すのとかベタである。そもそもこのような「ベタ」の認識はどこで培われたのだろうか。そこまで少年漫画を読んでいないのだけど。

 

  小ネタ的なこと書くならば、伊之助は敵だと思っていました。あと鬼滅の刃よんでて1/fゆらぎという単語を見るとは思わなかったな。

 

 

 

 さいきんうすうす感づき始めたのだけど、どんな人でも他者と関わりたいという欲求を持っているものなのかもしれない。本当に誰とも交流せずに生きていける人っていない気がする。昔は寡黙な親父みたいなのが居た、という話を聞いたことがあるけど、家族の中ですら他者との交流をしない人間なんて本当にいるのかなと思う。家族に居場所がなくて、ほかに素を見せる場所があったのかもしれない。そうでもしないと生きていけなくないですか?これも自分の主観なのだろうか。

 

 これもまたベタな表現だけど、自分のなかにあって無視していたそういう他者との交流への欲求みたいなのがあるよねと感じている。自分が快適だと感じる「交流」度合いや頻度が一般よりも低いだけで、そういう感情は自分の中にもある。

 

 しかし社会に出るとというか今もそうだけど、何かに属さない限り誰かが人とのつながりをおもちゃのように与えてくれるわけではないので、自分で切り開いていかないといけないのだろう。帰省した時に父がそういう話をしていたのも思い出された。かつて親密だった人ともいまはあまり連絡をとっていないが、家族がいるだけで幸せだ、かつては子供がいたら部屋がうるさくなるくらいにしか考えていなかったけど、意外と悪くないなと思えた、みたいな感じだっただろうか。要領を得ない記憶だけど、印象に残っている。

 

 

 

 こんなことしてる場合じゃなかったのにいろいろ書いたら滅茶苦茶長くなった。おやすみなさい。