今年初めて読み終わった小説になった。ミステリ。真相にしっかり触れているし読まないと分からないような話ばかりしています。同じマンションに住む3人がオーナー峰原の部屋へ集まって事件について議論するが、いつもオーナーが解決するというのが前半3編の形式で後半は中編1つ。
Pの妄想
「水面から家が物理的に傾いていることを悟られないよう、カップではなく缶に入った市販の紅茶をふるまう」というのは大胆で奇妙な発想で、つっこむ余地はあるけどインパクトが多少勝っているように感じた。
Fの告発
密室殺人もの。「峰原が挙げた名前は、問題の三人の男のうち一人のものだった」という一文は分かり易いミスリードでよい。警察の外見も手がかりになっているのは面白い。
Cの遺言
ダイイングメッセージもの。建造物の描写が執拗にあったのでメッセージそのものが自然現象で意味がないのはなんとなく分かったものの、そのあとライターと煙草で犯人が特定されるのは面白かった。覚せい剤取引のくだりはちょっと強引に感じたが、強い意外性はないわりにメッセージで時刻が絞り込まれたり堅実な感じで4つの作品の中だとけっこう好き。
ここまで3篇は犯人当て、フーダニットの趣向である。厳密に容疑者が数人に絞られ、手がかりで犯人を特定する。事件に関する人物だけでなく、部屋へ集まる4人のうち槙司が調査、理絵が間違った推理披露、明世がツッコミ、オーナー峰原は探偵という役も確立している。とことんまで人物が役割としてふるまっている。自分で推理できないかやってみたが、半分くらいまで行くけど到達はできない、犯人はあっているけどロジックが違うみたいなよくある結果となった。可能性のある説明でも、作中の記述を過不足なく拾っていなければ「作中における真実」にはならない。作中の世界があってそこに散らばった手がかりを組み合わせて真実を導き出しているように見えるが、それは実は作中の手がかりによって真実が規定されているということでもある、という逆説めいたものがあるのだなあと実感した。
Yの誘拐
誘拐ものの中編。これまでの犯人当てとは趣向が異なると思っていたらちゃんと作中でメタに言及されていた。けっこう悲しい事件が綴られて人間ドラマがあるのかと思ったが、そんなわけないだろ!と言わんばかりの容赦ない真相だったので笑った。ただ作中でひたすら京都の地名や名所が登場するのは意図しない旅情っぽく、街を熟知していたらもっと面白かったのかも。
この話のエピローグについて、この作品は手記パート、再調査パート、エピローグで真相が二転三転するようにできている。手記では子を誘拐の末に爆殺された事件が父の視点から綴られる。再調査パートでは手記の内容に基づいて4人の議論と調査が描かれ、ふたつの推理が披露される。ひとつはこれまでも間違った推理披露役だった理絵のもの。ふたつめは探偵役だった峰原のもの。峰原は理絵の推理(警察犯人説)を否定し、問題点を引き継ぎつつそこに違う解釈を示し、手記を書いていた父こそが犯人であると指摘する(父犯人説)。すべては父親の自作自演だったのである、と峰原は述べる。しかしエピローグでは峰原の推理を否定し、これまで探偵役だった峰原こそが事件の真犯人であったと告発する(という手紙をほかの三人が連名で書いた文体である)。警察犯人説→父犯人説→探偵犯人説というふうになっている。
私が書きたいのは、エピローグは意外性のためなのだろうけれど蛇足で、しかし考えてみると面白いかもということである。作中を通して探偵役だった人が実は犯人でした!というのはどれくらいベタかはよく分からないが、意外ではある。この意外性と解説でも触れられている不自然さを天秤にかけるとやっぱり不自然さのほうが勝ってしまうなあというのが自分の感想である。
エピローグでは「新幹線に乗る前に八つ橋を買った」という犯人の行動に別の解釈を示すわけで、そこは好きだなと思ったのだけど、そこから峰原が犯人であると考えるのは飛躍していると思う。「峰原の述べた父犯人説の通りなら、峰原が調査の過程で犯人の親戚に会おうとしなかったのはおかしい」いうロジックから探偵である峰原を疑い始めるわけだが、調査の時点で父犯人説まで至っていなかった可能性もある。これは先述した八つ橋の話もそうで、つまりはきっかけになる証拠が弱いということである。そのきっかけが「殺人は本来の目的ではなかった」「探偵が犯人であり、推理を操作していた」という意外性に勝つかというと自分のなかではそうではない。
構造の話をすると、先述したように警察犯人説→父犯人説→探偵犯人説である。最終的に「探偵犯人説」に落ち着くのだけど、この推理が作中世界において真実であると保証されたのか考えると、そうではない(推理小説の評論を読んでないので偉そうなことは言えないけど「作中において真実であると保障される」というのは犯人が自白するとか動かぬ証拠がでるとかそういう意味で使ってます)。「弁護士資格者証も偽物だった」とエピローグにあるのが峰原が犯人なのを唯一保証している部分になるけど、申し訳程度である。つまり三つの推理はわりと同じくらい可能性があるように見える。二転三転させているけど、「転」が弱く、保証がないのでどの推理も同じくらい疑わしい。
手記パートの記述が再調査パートで否定され、再調査パートの推理がエピローグで否定される。しかしエピローグも、これまで散々間違った推理をしてきた三人による記述である。逆襲の構図なんだろうけど、いかんせん間違った推理役だから信頼しにくい。さらに手記が信頼できない語り手だと明かされた以上、エピローグこと手紙パートの語り手も信用できなくなる感じがある。三つの推理が相互に否定し合うようになっていてゆるぐのがなんだか面白いと感じた。
この信頼できなさはおそらく意図されていなくて、作者が京大推理小説研究会で犯人当てとして書いていたものがプロトタイプだと解説で触れられているし、この本自体が処女作なので粗削りなだけだと思う。多重解決とか、推理合戦というのはやっぱり書くのが難しいのだなと思った。ある推理を覆すのに意外性とかロジックで凌駕していい感じに納得してもらう、これを何重か繰り返さないといけないわけである。大山氏の作品をこれ以外に『密室蒐集家』だけ読んだことある人の感想としては、大山氏の作品はこういう二転三転よりもひとつの解決の意外性で落とす短いパズラーみたいなのがあってるのかなあと感じた次第です。
