日記_2022/1/13「panpanya「動物たち」を読んだ日」


  12日の夜になんとなくyoutubeを見ていたらblenderでドーナツを作る動画があった。海外の方がやっているチュートリアル動画で、2倍速くらいにして「いつ終わるのかな~」と次々と続く動画を見ていたら1時間くらい経過した。思った以上に本格的だったのだ…。

 これを見てやりたいなと思ってしまい、夜中の1時半から朝の8時半までこれに熱中してしまった。本当はもっと熱中すべき趣味関連のことがあり、そっちに費やすべき衝動なのに。そういう創作の衝動みたいなのは定期的に来るのでうまく活用しなければならない。作ったものはいつか載せるかもしれないです

 

 そのまま起きていようと思ったが、9~15時くらいまで寝てしまった。明るいし中途半端な体勢で寝たのが幸いしたと言える。すぐにそのあとにあった授業を受けた。予習せずにチキンラーメンを食べながら受けていたら全員にひとりずつ意見を聴くターンが始まってしまい、自分が最後だった。それなりに取り繕っていた。

 

 そのあとはいろいろ溜まっていた連絡や諸々をこなした。途中で1時間くらい寝てしまい、これまた中途半端な体勢だったからか悪夢を見た。

 なぜか家族といて、夜にひとりでバスに乗ってカラオケ屋に行っていた。なぜか途中で意識がなくなり、目が覚めると田んぼがまばらにある、知らない住宅地にいた。昼だった。戸惑いつつ住所を見ると、いちおう目的地の場所だった。しかしその光景に見覚えはなく困惑するばかりである。他方でずっと携帯電話が鳴っていて、出ると父が何か言っていた。しかし遠くて何を言っているか分からなかったし、喋ろうとしても声が出ない。そのまままた意識が飛んで、たしかバス車内でも同じように電話で話そうとしていた。また意識が飛んで目が覚めた(と錯覚した)。夢の中で目覚めたのだ。近くにあったカーテンを開けると、外で誰かが「助けてください!」と叫んでいた。今度こそ一気に目が覚めた。

 

 そんな感じで23時くらいにごはんを食べ、皿洗いをしようとした。するとTwitterで相互フォローの方が無言で皿を洗うスペースをしていた。聴いている人は2人くらいで、水音だけがしていたのだけど、世界のどこかに同じタイミングで皿を洗おうと思い立った人間がいるということを知り、その気配を感じながら皿洗いしたのはじめてだった。

 しずかな感動があった。世界に46億人ほどいれば、当然おなじタイミングで何かをする人はいるだろう。しかし、それが可視化されたことで分かったのは面白かったし、なんとなく感慨深かった。

 

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 執拗に生活のことを書いたのだけど、これはpanpanya「動物たち」をつい先ほど読み終わったことが大きい。過去の日記でもpanpanya作品の感想を述べるときは生活のことを一緒に書いていたのだけど、そういう魅力がある。この本は年末からちまちまと読んで止まっており、いい加減と思って読み切った。これで氏の作品を読むのは4冊目になる。

 この本においてはタイトル通り「動物たち」が目立つ話が複数収録されている。そのなかには街の環境に淘汰されたり、人間の都合で振り回される動物への社会風刺的な目線もあるように感じた。途中で挟まるエッセイのようなものも毎回よいが、今回は特によいだと思えるフレーズがあった。

 

そうはいっても
こうしてかろうじて残っていた情報とかろうじて残っていた記憶が結びついて
うっすら消えかけていた情報が自分の中で強固になったときの
妙な高揚感というのはある
おぼろげなものを注意して拾い上げていかなければという気持ちが強まる

www.panpanya.com

 

 「おぼろげなものを注意して拾い上げていかなければという気持ちが強まる」というのが好きである。氏の作品のそういうところが好きだと僕は感じているし、そこに自覚的であるということが分かった。自分が日記を書く理由も、そういうところにあるというか理想のひとつとしてあると思う。日常のなかで取りこぼしてしまうささやかさに対する愛着みたいなものがあって、日記を書くことはそれを残して愛でることなのかもしれない。もちろん、刹那性というか忘れてしまうからこそ、みたいなものもあるのかもしれないけれど。

 

そういうのを誰かが取り上げてニュースにしてくれるおかげで
特別な日だということに気づける
なんに関しても言える気がする。気づいて取り上げさえすれば
珍しいことは起こりまくっているはずなのだ
いちいちささやかな偶然を喜べたほうが得だなと思いました

「クリスマス」より

 

 これはもとのブログが見つからないが、クリスマスが満月だったことについて述べられている。前述した皿洗いの話も同じだと感じたので書いたのだけど、誰かが知らせさえすれば珍しいこと、偶然のつながりみたいなものは可視化されるのだし、そのようなことを喜んでいきたいという氏の姿勢はそのまま作風につながっていると思う。日記を描く上でのひとつの理想として、panpanya氏の作品があると気づいた。

 

 関連して、いま好きな二字熟語を答えろと言われたら「生活」「日常」と答えるだろうと考えた。生きていく活動やいつも過ごしている日々というだけで愛しさやいろんなものが詰まっているのが好きである。おやすみなさい。