nikki_20230926「無題」

 

もう9月が終わるらしく、信じられない。最近書くことをためて一気にまとめて更新しがちだったけど、短くても細かく更新する方向にしていきます。

 

自分としては珍しく滅多にしないことなのだけど、ふいに「映画けいおん!」を再生して朝まで見ていた。まえに駿河屋でdvdボックスがあったので買って手元に置いてあったので、ついていたパンフ的なものも読んだ。私は冬生まれ冬好きなので作中にずっとある冬の空気が恋しくてたまらなくなったり、ロンドンに行く話だけど、学校にいるパートも同じかそれ以上くらい長いなと思ったりした。

 

でもやっぱり、もう終わったにしても彼女たちが駆け抜けた三年間は確かにあって、日々のなにげないやり取りの積み重ねがそれを形成していて、細かな仕草からそれが描写されている、という尊さが見終わったあともしばらく続いていた。こう大切に感じている無垢さや一瞬の尊さについて、でもあなたはもうあの教室には戻れないし、無垢な時間を永遠に残すことなんてできないんだ、時間は過ぎて思い出は過去のものになる、こだわってたって結論は同じだし意味ないよ、と思う自分もやはりいる。この先何回もいろんな作品に触れて同じ気持ちになって、「そうだよね考えても意味ないよね」ってとこまで一直線にたどり着くようになるんだろうか。でもそれには慣れたくない。別にこれはなんにしても同じで、常に何かに慣れず、ずっとささくれた部分を残して簡単になにかが通り抜けられなくしておくべきなんだろう。とても難しいことではある。

 

けいおんからは離れて、いろんな作品の二次創作というものがある。私はあまり読まないのだけど、その時間軸は物語の前だったり、ありえたかもしれない物語のつづきであったり、あるいは別の世界だったりする。個人的にはそこで「本編にはこういう日もあったかもしれないよね」という作中の時間軸で描写されて、その日々に思いを馳せるのはとうれしい営みかもしれない、ということも考えた。すでに登場人物たちは卒業したり、大人になったり、あるいは誰かが死んでいる(これはあまり好きではない)けど、作品内ではこういうこともあったかもしれない、と考えるのは好きだ。それはけいおんを見て考えたこととも根っこの部分でつながっていると思う。