nikki_20230912「無題」

 

前回かいた文章がそれなりに恥ずかしい内容だったので早く次の更新をして流そう、埋もれさせよう、と思っていたのに間が空いたし、月間閲覧数が100を越えましたという通知も来て恥ずかしかった。

 

妹が生まれたときのことを思い出そうとすると、いちばんに浮かぶのは妹が生まれると告げられたときのことになる。むしろ、それしか覚えていない、ということについて考えていたときが最近あった。私には妹がおり、そのことは何回も述べたことがある。小学校低学年のときに生まれた、と書くとそれなりに年の差があることが分かるだろう。生まれた当日のことは覚えていない。学校に行っていたので立ち会うことはなかった。初対面のことも覚えていなくて、初めてあったのは病室か、それとも家かもわからない。ただ妹の存在を告げられたことは覚えている。学校から家に帰る。まず母が玄関にいておかえりと言う。これは毎回のことだった。そのあと「きょうお腹が痛くて病院にいったんだけど、お医者さんからお腹に赤ちゃんがいるって言われた」と話されたのをはっきりと覚えている。その時点では性別は分からなかったけど、いま思うとちゃんと病院でエコーを撮ってもらった日だったんだろう、とか私の帰宅と同時に告げるほど高揚していたのかな、とか思う。

 

それが印象に残っているのには、おもにふたつの理由があるだろう。ひとつは共感性羞恥で、子供にそういう嘘をついている状態、子供の誕生を告げる場面、というのをもし自分が親だったら、と想像するとなんとなくむずむずする感覚がある。「お腹が痛くて病院にいったら子供がいた」というのはもちろんありうる事象ではあるが、父と母のあいだではそのようなことはありえず、当然計画的に子供がいることは分かっていて、そのような伝え方をしたのだと思う。コウノトリが運んできた、というようなことになる。私はそういう共感性羞恥が強いという自覚があり、たとえば電車で居眠りしてるひとを見たりするのが苦手なのだけど、やんわり誤魔化していたのだな、と思い出すことはそれと似たようなむず痒さを呼び起こす。これが一つ目の理由にはなるが、あくまでそれは後付けで考えた理由にすぎない。これがふたつめの理由になるのだけど、当然衝撃的だったから、ということになるだろう。だろう、と書いたのは、そのときにどう思ったのかははっきりと覚えていないからだ。そこにネガティブな感情や、ポジティブな感情があったことも覚えていない。ただ鮮明に覚えていて、それは動揺したからだというのは間違いない。どちらかといえばネガティブだったのかもしれない。今もそうだがひとりでいることが好きだった自分にとって、きょうだいの存在は少し怖かったのかもしれない。でもこれは今の感覚から振り返ったものにすぎず、本当にどう思っていたのかは分からない。得体の知れない気持ちだったのだろう。

 

それから妹は生まれて大きなことはなく今に至っている。普通にそれなりに仲良くやっていて、他人とはいえどそこら辺を歩いているのをとっ捕まえて来た人とはぜんぜん距離感が違うし、かといって友達ともまた違い、ぬるりと現れてぬるりと自分の人生のなかで近いところにいて、けど深くは関わらない人がいるというのは不思議だ。みなさんの兄弟姉妹観はどんなものだろうか。ところで前に述べたようにひとりが好きでいることには変わりなくて、それは結婚や子供が産まれるということに対する忌避感の理由のひとつになっている。でも妹という他者が自分の人生に入ってきて、こうであるならば、自分に子供ができるのもそこまで毛嫌いするほどでもないのか?ということもちょっとだけ考えたりしていた。