nikki_20230509「パンチライン/味噌ラーメン」

 

最近は身辺の問題でずっと不安な感じではあり、ゴールデンウィークはほぼ本を読んだり、自動車免許学科試験の勉強をしていたら終わった。その隙間で会ったことない人と会ったり、話したことのない人と話したりできた。遠出はしなかったけど、概ね充実していたと思う。特にインターネットを2日ほど遮断したのがよくて、読書が捗った。ひっきりなしに液晶を見たり、耳から大きい音を流し込んでいることからも離脱できた。長めの休みがあったら習慣にしていきたい。そういう点で最後の数日に雨ばかり降っていたのはよかった。ちょっと激しすぎるとただうるさいだけだが(特に深夜がそれで眠れず迷惑だった)、普通に降っている程度なら気持ちよく二度寝や読書ができる。実際にこの休日にはしていた。

 

youtu.be


この動画で、ラッパーのT-Pablowさんが現状のMCバトルについて述べる場面がある。(4:30~)いまのMCバトルでは、楽曲のパンチラインをラップバトルで使うことができても、バトルで使えるパンチラインは楽曲に使うことはできないレベルだ、という話をしている。なぜならバトルにおいてのパンチラインは、右から左に流れるような程度のものばかりだから、だという。これは分かる話ではある。それらを言葉として取り出すと欠点はたくさんあって、たとえば語感に頼っていて意味がよく分からないとかがあると思う。しかし、バトルにおいてはそれがパンチラインとして通る。ここからは完全に自分の意見だが、なぜなら、その場所に立ってビートが鳴って本人の口から吐かれて巻き戻しできない、という状況だからこそ、そうした欠点がどうでもよくなるからだ。あとは純粋にお客さんの質もあって、T-Pablowさんはその話をしているのかもしれない。

 

フリースタイルラップバトルの動画をたまに見る。コメント欄を見ると前述した「パンチラインの欠点がどうでもよくなること」を分かっているうえでの批判と、それを無視した批判が食い違っている印象を受ける。特にコメント欄の民度は信用していないので、そこは真面目に考えても仕方ない気はしていて、それより、別にこれはラップバトルに限らず歌詞や詩歌についてもいえると思っている。音楽に乗せられることや、たとえば背景の文脈とか前後の数行があるからこそ、みたいなことはありそうである。

 

あともうひとつ、大会の中でたくさんのバースを吐き続けると薄い言葉が出てしまうのは不可避だ(要約)とも言っている。(具体箇所→)限られた自分の語彙をやりくりして、どうやって薄い言葉を少なくするかが大事だ、と語っている。これは短歌の作歌でもおなじだと言っている他の人のツイートを見たことがある。ラップバトルも結局は言葉のコントロールだなという話でした。

 

Twitterの観測範囲ではそこそこ話題になっていたカップラーメンこと「みそきん」を食べた。氏に対しては好悪なく普通の感情を抱いている。ショート動画で流れてくる怒涛の宣伝に、ただ流されるまま気圧されて買った。発売日の0時付近に外出する用があったので買って、すぐに道端で写真を撮っている自分が恥ずかしかった。GWでインターネットを遮断しても、こうして数日で染まってしまう。「メシ」のほうが個人的には好みで、にんにくが強くもクリーミーな味わいだった。ラーメンのほうは麺は普通で、スープはおいしかった。繰り返し買いたいというわけでもないけど、純粋においしかったです。

 

カップ麺ってあまり食べなくて、あっても王道の日清のやつかスーパーカップみたいな激安系である。ちょっと高級みたいな300~400円のやつは食べないので、あまり感想を当てにしないでください。どうやらすみれの味噌ラーメンのカップはおいしいらしい。北海道に修学旅行に行ったときに店で食べた思い出があるので、また食べてみたい。あとマルちゃん製麺の味噌ラーメンを実家にいたときよく出されていたので、なんとなく食傷気味で敬遠している節がある。普段からみそ汁のんでるし……。