nikki_20220519「能動/受動的徹夜」

 

 起きたのが午後だった。人と集まる予定があったので数人でサイゼリヤに行った。デカンタを頼んだため、そんなに活動していないけど日付が変わる前に眠ったと思う。最近とくに感じることとして、能動的な徹夜は自分にはできないというのがある。「きょうは寝ずに○○しよう」と思って実行できた試しがない。徹夜して…の考えが頭をよぎったとき、「眠って起きてやったほうが早いのでは」と考えて実行できるのが、いわゆるできる大人というやつなのかもしれない。少なくとも私の場合は、午前に起きて活動したほうができることが多い。だからそうしたいし、その方向へ心を向かせるようにしている。ただ、一度やり始めてなし崩し的に何か創作したり鑑賞する受動的な徹夜というのもある。これは自分のしていることを客観的に見れなくなり、そのことが前向きな効能を発揮するのでよい。たとえば創作するとき、着手してから後先考えずにある程度まで作る…という行為は大事な気がしている。後に全ボツにするとしても、いちど作ってみることは何らかの指針になるはずだ。全ボツにせずとも50%くらいまで進めておくと、あとの作業に取り掛かりやすくなるのかもしれない。そう考えると手が動いて受動的に徹夜して、なんかそこそこできた…という客観性を欠いた作業を行える徹夜はよいものだと思う。これはそのまま読書やアニメ鑑賞にも言える。最近はしてないし、なんにせよこれは受動的なので「この日にやろう」と思ったら定義が崩壊するという仕組みを持つ。静かに待ちたいです*1。おやすみなさい。

 

 

*1:とはいえ、それを誘発する仕組みみたいなものは考える余地がある気がする