nikki_20220224「元気はないけど」

 

 前日にお酒を飲んだからかどうかは知らないが、何度寝かを繰り返して正午くらいに起きた。確立していた早起きがだんだんとずれようとしている。労働だったので急いで向かい、終えると19時くらいになっていた。ふいに思い立って外食をすることにした。年末に帰省したときに気づいたこととして、「質と量の充実した食事をとると精神的にも充実する、自炊だけしていたずらに似た献立や白米をたくさん食べ、袋麺を食べて腹を満たすだけでは不完全」という事実があった。そうして今年の目標に能動的・積極的な外食、を掲げることにしたのだった。昨年は誘われたり、出先で用事のついでに食べるなど受動的な外食しかなくてそれもかなり少なかった。意識しないと自炊だけになってしまう。

 

 コストで比較すると別に外食も自炊も大差ないし、料理がどうしてもできない人だっているのだからどちらもいいとは思うのだけど、それはそれとして今の生活状況的に自炊の方が失う出費が少なくなるのでなんとなく自炊をしている。長くなったが牛丼屋でもバイキングでも出費を恐れず外食を取り入れる、その一環としてラーメン屋に行った。自炊に慣れた舌には十分すぎるおいしさだった。ラーメン屋とかに行くとカップルなどを尻目に手早くラーメンを啜る自分、みたいな自己陶酔に浸ってしまう危険な意識がある。

 

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 スマートフォンを見る度に不穏な話題が飛び交っているというか、ちゃんと直視したのは家に帰ってからだったのだけど色々あった日だった。といっても主にVtuberの引退、ウクライナ付近の情勢の2つらしい。前者については、対岸の火事のようでいて自分もいま好きだった夢月ロア氏が休止しているので、同じだったら耐えられないだろうなと思う。とはいえこの日の日記で書いたようにそういう囃し立てるデマをRTしたりしてしまったので、一生トレンドには触れないと誓います。

 

isitsutbustu-todoke.hatenablog.com

 

 

 

 

 でもせめて少しだけ語らせてもらうと切り抜きとか見ることはあって、この切り抜きなんか包丁を取り出すときに絶対にカメラに対して刃の表面を見せないんですよね…。アドリブの行為とはいえカメラに垂直に映すことで(おそらく)反射で姿が映ることを防いでいるわけで、Vtuberとして当然のこととはいえプロ意識があるのだなと思っていた。

youtu.be

 

 

 

 

 ウクライナの諸々については気にかけつつ、それこそそういうデマなどに触れないようにインターネットしていくべき、という気持ちですね…。流れてくる話など見ていると暗い気持ちになるのでいまはTwitterを見ないようにしている。ちょうどシャッフルしたお気に入りの曲からピノキオピーの「アップルドットコム」が流れたので思い出したけど、「ノンブレス・オブリージュ」なんか今こそ聴くと感じるものがある。色々照らし合わせて考える気はないが、閉塞感の表し方、それを「息継ぎしなくてもよいボカロ」=「息継ぎできない歌詞」という変換で表しているのがとても秀逸だな…と感心するしかない。

 

youtu.be


 このアップルドットコムは高校時代に知って聴いていたけど「元気はないけど生きています」という歌詞が好きだった。小学校くらいのときは朝の会で出席をとって「はい、元気です!」「はい、喉が痛いです」みたいに体調と一緒に返事する習慣があった*1のだけど、いま「元気ですか?」と言われたら「元気はないけど生きています」という回答が一番適している気がするんですよね~。「元気です!」と答えてしまうとこの先元気じゃなくなってしまうような気がするというか、「いや本当に元気か?こういう心配なこととか放置していることとかあるのに?」みたいな思考が働くし、そういう自分を俯瞰して純粋ではいれなくなってしまった感がある。

 

 まだまだボカロの可能性を模索している感じが素晴らしいピノキオピー氏はきのうが活動13周年だったらしく、いずれピノキオピー全曲聴いてみたみたいな記事も書きたいなと思いつつ出来ていません。せっかくなので見た限り知っていた氏の曲をすべて簡単な感想とともにあげてみます…とここで書いたのですが思いのほか多すぎてかなり長くなったのでまたいつかまとめて書きます。おやすみなさい。

 

*1:これは今もあるのか、あるいは自分の学校だけだったのか気になる