nikki_20220227「つながる生活」


 きのうの続きで書いている。数日間おなじものを製作していたとは書いたが、きょうは少しオンラインで人と交流する機会があった。3時間ほど。15時くらいに目が覚めて参加して、それなりに有意義だったと思う。あとはここ数日と同じです

 

 Twitterで流れてきたので音madを見た。特に概要欄にも何も書いておらず、作品自体の文脈などはよく分からないのだけど、おそらくオリジナルと思われるローファイなビートに台詞がのせられたもので、オムニバス風にいろんな作品が順に登場していく。

 

nico.ms

 

 書きたいのは千と千尋の神隠しが出てきたことで、僕が文化に触れてそこまで経っていないからだと思うけどジブリを題材にした音madというのを初めて見た。そして僕は千と千尋の神隠しを見ていない。とはいえ、ここまで生きてきたら流石にネタバレというか中身に関する情報に触れないことは難しい。実際金曜ロードショーを家族が見ていて、冒頭だけ(主人公が異界に迷い込むくらいまで)は見たことがあった。見てないことに関してぐだぐだ言及するつもりはなく、いつか見たいなくらいの気持ちがある。

 

 ただ考えたのは、「ある作品を見たことがある」というのは「これまでの人生の時間を同じだけその作品に捧げた」という点で共通しているのだな、ということだった。言い換えると「ある作品はあらゆる人々の同じ時間を平等に奪い続けてきた」ということになる。「奪い続けてきた」と言うと悪く思っているような書きぶりだけど、そのような気持ちはなくて、なんかすごいことだねえ、とだけ感じていた。ここで、倍速で見た人もいるかもしれないじゃんみたいなことはノーコメントでお願いします

 

 ジブリ作品は一般教養みたいな感じで前提もなしに比喩として出てくることが多い(これは昨今の鬼滅や呪術も同様ではある)。それくらい膾炙しているってすごくて、個人と個人の人生が「同じ数時間を同じ作品に捧げた」という点で交わるのって驚嘆すべき事実な気がしている。普通に生きてきた個人同士、円と円が交わるように共通点を見出すことは難しいはずなのに、作品に費やした時間でつながれる。その事実もだし、この場合はジブリ作品自体の普遍性にも感心していた。

 

 この論理はなにも作品に限らず、ある場所でも通用するし、商品でも通用する。富士山に数日かけて登った人も、麓まで見に行った人も人生の時間を富士山に捧げた点で共通している。コンビニのツナマヨおにぎりを食べたことがある人同士は、同じ時間をツナマヨおにぎりに費やしたことになる。そう考えると、別にこの現象はそこまですごいことでもなくありふれている気がしてきた。人と人は生活の中のあらゆる他の物体・作品を媒介にしてつながれることに対する感動みたいな話だと思う。でももっと他の物体を媒介にせずに繋がりたいと思い出すと、愛とかの話になるのかもしれない。おやすみなさい。

 

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