nikki_20220226「集中期間/実感」

 

 書いているのは2/27の深夜26時くらい、しっかりと生活が狂っている状態にある。月半ば~終わりにかけてはいつものことではある。いまは比較的自由に使える時間が多く、それゆえちゃんと好きなことをやろうという気持ちになっている。こういうときに謎の罪悪感で本当にしたかったこと/したいことをやらない、と結局のちのちすることに追われて後悔する羽目になる…と思うからだ。先週からずっと同じ製作に取り組んでいて、わりと初めてのことが多いものの誰にも訊けないので独力でやる、ということが続いています。おととい~きょうにかけては寝る以外の時間はすべて、そこに奉仕するような形だった。こういう異常な創作への集中は苦しくも楽しいという感じである。作りたいものの実現もしたいが、こうしてずっと作業に集中する行為そのものへの楽しさもある。そしてそれは仕事のように日夜やるようでは楽しいだろうし、まさに時間があるときだからこそできていることだ、と思った。

 

 いまは24時間以上ちゃんとした食事をとっていない状態で、炊飯器でごはんが炊けるまでこの日記を書いています。食糧も枯渇しつつあるので、明日ぐらいに買えたらと思っている。お腹がすきました。おやすみなさい。

 

 

 

 

 ごはんを食べてから追記しているが、食べるものがなくて祖父母から送られてきていた食料のうち残っていたレトルトのボルシチを食べた こんな気持ちで食べることになるとは思ってなかった。ただそうやって食べてからyoutubeで映像を見たりして思ったのは、自分の中にはまだ他の人が表明している純粋な怒りや無力感がない、ということだった。起こっている出来事はあってはならないものだと思うし、不謹慎な発言などに憤りを感じることはある。しかし、過去に戦争について調べたりしたときに感じたやり場のない怒りのようなものを、いま実際に起こっている段になってあまり実感できていないところがある。ではそういう気持ちが湧くまで調べ続ければよいのか、いやそれは何か違うとか、こうして日記に書くくらいだったら寄付したほうがいいよな、とかぐるぐる回って何も分からなくなる。寄付をしようと思った。そもそもこうして日記でボルシチと関連付けて書くこと自体よくないことのような気がしているのだけど、いま実直に思っていることを残しておくことはそれこそ日記の本来の機能としてするべきことだと思うため、書いておくことにした次第です。

 

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