いつも通りツイートするには長いものの掃きだめだけど、まいっているのか自分の内省みたいな内容ばかりになっています。
#萌研 pic.twitter.com/8mekiYnmTg
— 萌研 (@oumoe0) 2025年1月20日
これが流れてきてこの団体が出している会誌に知り合いの人が寄稿していたり、イラストのcosgaso氏を知っていたりはするのだけど(KAIRUI『星の私』よかった)、公園の地面に絵を描くという行為の懐かしさを思い出した。この絵はツインテールが入り切っておらず、そういうサイズのミスも含めて良い。ここから自分語りをすると、小さい頃父が公園に木の枝でデカいガンダムの絵を描いてくれたことがあって、なぜかそれにすごいウケてしまったのを覚えている。赤ん坊だった妹の咳が止まらず病院へ行って、母と妹が診察中に僕と父が近くの公園で待機していたときの出来事、ということまで詳細に覚えている……。
小学校のとき休み時間にもっぱらひとりで遊んでたけど竹馬にはまって、グラウンドを歩くと足跡がつくのでそれで文字とか絵を描いて、誰にも気づかれないまま教室の窓から自分が描いたそれを見るのが好きだったときがある
— 遺失物届 (@arudanshi)
このツイートもそうなのだけど、そのときから地上絵的なデカい何かを作ることへの憧れがあったような気がする。雨の日の校庭に水溜りが複雑にできているのを教室から見て、これが国の地図だったらどこで暮らすんだろうみたいなのを考えるのも好きだった。さらに思い出したのは、小学校のとき六年生が歴史の授業における奈良の大仏がいかに大きいかを知ろう、という題材で校庭に実物大の大仏の絵を描いていたことである。なぜか自分達の代ではしなかったが数年間恒例となっていて、授業中に外が騒がしいと思って見たらグラウンドへやかんに汲んだ水などを用いて描いていたように記憶している。
「人生は「ちょっと前の自分キモすぎ」の繰り返し」というツイートは印象に残っているけれど、いまは数年前、高校-大学生活前半くらいの自分を個人的に痛いと思っている。Twitterのフォロイーにも同じ世代の人々はいるが、その人々の言動からはそういうのを感じないことが多くてすごい、とか今の段階でこの境地なら今後どうなるってしまうのだろうという気持ちがある。こういう自分が遅れている感覚は趣味嗜好にもあって、自分がいま知ったこと/好きになったものをみんな結構前に知ってた/好きだったんだ!と思うことがある。
しかし別にそれは当たり前のことでそれぞれの進度というものがあり、なんらかの大きな絶対的なすごろくの上にいて順位があるのではない。相対的に色んなことをみんなが色んな時期に知ったり、変わっていっているだけなんだろう。特定のジャンルに限定するとすごろくみたいに見えてしまうけど、俯瞰して見るとそういうことはないはずである。こういうことを今後何回も言い聞かせていくことになりそうだと思う。
自分にないものについて最近思ったのは、自分が惹かれるような人は真逆の性質の人なのかもしれないということである。たとえば私はフィクションの登場人物には不幸になってほしくないと思っているが、Twitterでフォローしてる人だったりは結構そういうシチュエーションや関係性を好んでいるように見える。ただ単にその話題が目につくだけで数は多くないのかもしれないが……。思えばフィクションにおいて人が不幸になってほしくないというこの性癖?もよく分からない。自分が嫌な気持ちになりそうで怖くてそこに旨味を見出すに至れていないということだが、ただそれを恐れているだけで食わず嫌いの可能性もある。
前に単発バイトに行ったとき5人くらいの友達で来ていた大学生と働いたことがあった。絶えずスポーツや恋愛の話をしていて、キャンパスで集団で歩いている大学生はどうやったらああなるんだと思っていたけどこういう感じなのか!と嫌味ではなく新鮮だった。彼らの話題で一番共感できたのはお金がなさすぎるというもので「今日支給されなかったら帰る交通費がない」みたいなことを言っててわかるな~となっていた。そこでは雇用主の人が「今日来てくれた人の中でがんばってたひとにはプラスで数百円だけ弾みます、と言ってくれて結局自分だけにそれが来たのだった。特に頑張った意識はなかったので面食らったし、大々的に発表されて恥ずかしかったのが厳しく、わざと電車やバスをずらして帰ったりした。
目立って冗談を飛ばしたりすることは苦手だけど注目されてしまうような状況にこれまで何回か遭遇してきて、そのたびにどうふるまえばよいか分からず恥ずかしい。そういう人生の場面は今でも憶えていて、恥の記憶にも、自信をもつ記憶にもどちらにもなっている。以前Quizknockの「【賞金あり】YouTuber対抗クイズ大会!伊沢に勝ったら100万円!」においてダ・ヴィンチ・恐山氏が最終的に優勝の手前までいったのも身に覚えのある状況で、見ていて恥ずかしかった。こういう恥ずかしさもありながら、人に指示したりリーダーシップをとるのは結構やってみたかったりするのが自分でもよく分かっていない自分の部分である。
1/17は阪神淡路大震災の日だった。なぜか今年は14日だと勘違いしていて、かくいいつつも毎年強く意識したことはなかったのだけど、今年は特にいろんな人が言及していたのでよく調べると30年経つそうなのだった。関西出身ではなく生まれていないなどの理由からつながりを感じることは薄いのだけど、親戚が関西出身である。親戚は本来行きたかった就職先に行けなかったそうだが、それにより発生当時奇跡的に関西にいなかったので助かった、それがなければあなたはいなかったかもしれないという話をよく聞かされていた。東日本大震災のときは広島にいたので同じく意識することはなかった。小学校の授業が終わって公園へしぶしぶ遊びに行ったら(当時の私は人と遊ぶのが好きじゃなかった)、みんな東京のほうが大変らしいと口々に噂していたのを覚えている。いまも西日本に住んでおり日常的に地震が来ることは少ない。そういう体験の断絶というものは広島の原爆のことで幼いころから知ってきたし、だからこそ語り継いだり知っていくことの必要性もあるのだと思っている。
最近は半年・二年勤めたふたつのバイトを辞めた。同期同世代の人間がおらずほとんど自分より一回り以上年を重ねた人間ばかりの環境であった。これまで単発を除いてバイトに同期がいたことがなく、バ先の友達みたいな概念がよく分かっていない。思いのほかあっさり終わってしまったのだけど、人生を長く過ごした人は別れに対しても鈍感、と書くと悪いみたいだけどそれに慣れていくものなのか、別に自分は社交的でもないし、労働先が一緒だった若者とかそんなものだろうとか思った。
ゆえに今はなんの予定もなくなって昼夜逆転しているけれど、現在の創作や読書のペースが自分が楽しめる娯楽の最大なのかもしれないという考えがある。ちゃんと働いたらこれ以下しか楽しめないのかもしれない。そう考えるとちょっと満足はいかないので、スマホを見る時間を減らすとか工夫したらここから伸びしろはあると思いたい。
こないだ人と話したときに読書は受動的に読まざるを得ない通勤などの時間をいかに確保できるかゲーだという話があった。物事において「時間が無いから」というのは大抵言い訳にはならない、しかし、こと「たくさん」本を読めないのはそういう受動的な時間が無いことは理由になるのではと思う。私はいまというかここ数年コンテンツを鑑賞する時間を能動的に確保するしかない状況にある。そういう受動的な時間が恒常的にないと考えると、仕方ないのだと安心できる気持ちは片隅にはある。
しかしそれならば中学高校のときに本を読みふけっていたのはなぜなんだろうか。別に通学が電車だったわけでもなく、帰宅部でもなかった。読書タイムみたいなものはあってもせいぜい10分とかだった。強いていうならば教室でひとりでいるための居場所として本を読んでいたところはありそうである。しかしやはり積極性みたいなのはあのころのほうがあった気がするから取り戻したいものではある。