nikki_20240304

 

youtu.be

 

オモコロの原宿氏と東海オンエアの虫眼鏡氏が対談している動画を見た。全体的に能動的であることの大切さを述べているような印象だった。話の中で原宿氏のやっているありスパの話題が出ており、ほぼラジオは聴いてないのだけど最新回が面白そうだったので半分くらい聴いた。いろんな人の些細な事件を共有する回でよかった。そもそもこれに限らずラジオってそういう様々な人のエピソードが交錯する場だ、という気づきもあった。対談でもどんなの人生にもいろんなことがある……という話があった。この日記でも多く言及している気がするが、自分も日常のささいなことが集積して世界を形作っている感じが好きであり、そこの視座は原宿さんも一緒だったんだ!という気づきがあった。でもどうなんだろう、世の中における話題はどうしても共感できる人が多いものになっていく傾向がある。単にこういう日常の小さなことは取りこぼされるだけで、みんな実は好きなのかもしれない。

 

関連して思い出した関係ないことを書く。中学校のとき、体育祭に伝統をつくろうということで自分たちの代からソーラン節を踊ることになった。まず自分の学年が一通り踊れるようになってから「いま練習中の下級生の踊りを見る」という機会を設けられ、目の前で下級生のソーラン節を見た。するとやる気がなさそうで、どっこいしょどっこいしょのところで全く腰を落としてなかった。それでみんなが「なんだこれはもっと腰を落とせよ」みたいにちょっと怒って険悪な空気になったということがあったのだけど、「腰を落とせよ」って言ってみんなが怒っているのは面白すぎる。実際中学生なんてそんなやる気がないもんだし、ちょっと先生がやる気を出すためにマッチポンプというか対立煽りをしたのかなーと思い返すと気づくものがある。

 

「パソコン触ってて、調べ物しようとしてChromeを開くその数秒の間に何が目的だったか忘れるようなことが結構ある」というツイートがあり分かると思った。たぶんこれはわりとあるあるで、自分なら例えばあるツイートのリンクを貼ろうとdiscordを開く→あるサーバーに書き込まれている内容に気を取られる→結局忘れてツイートのタブを閉じてしまう(タブは溜めない主義)ことがよくある。実際はもっと複雑で、これに「今浮かんだ文言をメモしよう」とか複数のことが頭で並行している。つまり数秒前に考えたことを忘れるのはよくあるってことで、これは自分の気質もあるだろう。何もしなくてもいろんなことを次々と頭で考えてしまう癖がある。でもそれだけでなく、情報が溢れているインターネットの仕組みがそうさせてるんじゃないか?とも思う。先の例だとdiscordのサーバーに書き込まれていることだったり、ちょっと開くとたくさんの情報が飛び込んでくるのはすごい。

 

でもこれはインターネットに限らないかもしれない。去年に大阪のシカク(個人発行の同人誌やZINEを扱うお店)へ行き、買った本をいまだに積んでいたのでちょっと目を通した。そのときに「野良サイン」についてのちかく氏の本も買っていた。いわゆる駅にある公式でないサイン、駅員さんが手で貼った紙だったりを「野良サイン」と呼んで集めているのがちかく氏である。この概念についてはpanpanya氏もユリイカのインタビューでちょっとだけ触れていて、うれしかった。本を読んで思ったのは私たちの視界って客観的に見るとめちゃくちゃ情報に溢れているなということで、見慣れた駅でも視界の中に文字がいくつがあるか考えると結構すごそうである。駅は特に顕著だけど、街の看板とかもそうだ。情報が多いのはインターネットも街も同じで、色々考えが移ろうのは仕方ないのかもしれない。そういう意味で住宅街だったりを歩くのが好きなのは、そこに文字情報が少ないから、というのもありそうである。

 

norasign.info

 

「集団に対して「ここには自分と似ているような人しかいないから居心地がいいだろうな」というような期待は抱かないほうがいい気がしてきた 5人くらいまでならまだしも10人とか超えると色んな人がいるから」というツイートを自分でした。ちょっと言葉足らずな気もしたのでもう少し考えたことを加えると、依存先をひとつにしないほうがいい、ということかもしれない。ひとつの集団にすっぽり自分のすべてを満たしてもらおうとするのは不健全で、自分のAの部分を満たしてくれるのはA’という集団、Bの部分を満たしてくれるのはB'の集団というようにするのが健全なんだろう、これはいろんな人が言っていることである。それを飛ばして、ここは自分と似ている人しかいないんだ!と期待をかけすぎてしまうとあまりよくない。

 

今年に入ってからのここの更新ペースをふと見てみると過去最低ではあった。気が向いたときに書くのか、なるべく更新したいのか、立ち位置をはっきりできていないのでさもありなんという感じである。自分が楽しく続けられたらいいと思う、などど凡庸なことしか言えないけどそんな感じなのでぼちぼち書きたい。暗い話題ばかり書いているような実感があり、それは自分の文体も関係しているのかもしれない。そもそも自分に文体というものがあるのかも分からないけど、なんとなくシリアスというか感情が見えてこないような文章では!?と感じている。2020年以降こういうことを書いてきて変化しているとは感じていて今いちばんしっくり来ているというだけではあり。もっと感嘆符とか三点リーダを多用していったらいいのか、そういう問題でもない気がする。文体は置いておいても暮らしているうえでぜんぜん楽しいこともあり、それらをまとめて書きたいと思いながら書けていない!また更新したいです。