nikki_20230224「岡田磨里『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2008年)」

 

 

再上映されていたので見てきた。ネタバレします。

 

 

 

 

劇場の随所からすすり泣く声が聞こえてきたのだけど自分はそうはなれなくて、微妙な気持ちになってしまった。まず「感動巨編!」と書かれていたので身構えてしまったこと、女の子(マキア)のほうが儚い印象だったので亡くなると勝手に思っていた。そうじゃないんだなという肩透かし感があった。これは自分が悪い。

 

ひとりだったマキアが自分の孤独と重ね合わせてエリアルを拾う。そこに一方的な愛情というか、エゴのようなものを感じた。マキアからの愛情が強すぎるというか、血のつながっていない親で、しかも老いることのない彼女の存在がエイリアにとって疎ましく思えてくるのも分かるし、グレてしまうよな……というようにエイリアのほうに感情移入してしまった。レイリアも自らが産んだメドメルに対して、孤独なので彼女を愛することに縋っていたというようなことを終盤で述べている。それも歪んでいて、一方的な愛情だなというふうに思った。しかしこれらの愛の注ぎ方は結局のところ「別れの一族」の定めというか、もともと不老で生まれてきてしまったところに起因している不条理かもしれない。ではマキアとエイリアの関係は何だったのか?というのも見ながらずっともやもやしていた。母子の愛かと言われると先述したような一方的な愛情が引っかかってそうとは思えないし、恋愛のそれとも異なる。しかし「ママだから泣いてはいけない」「強くなければならない」というような家族観に根ざした発言もかなり重要なキーワードとして出てくるので、これはどういう関係なんだろうと考えながら見ていた。

 

最初に不老の一族という設定を知ってから「これは人間との恋に落ちてその運命に絶望する物語で、さよならの朝というのは人間のほうが亡くなる日ということなのだろう」という察しがついた。これは自分がすごいとかではなく、そう考える人は多いと思う。そして結局それに落ち着いてしまったので、そうなるよねという感じになってしまった。ただそのシーンにおける「約束の花」とはなにかがよく分からなくて、タイトル回収が謎だった。最初に蒲公英が出てきたかといえばそうでもないし、花言葉は「愛の神託」「神託」「真心の愛」で「約束」でもなくてよく分からない。もちろんストーリーのつじつまがあっていることは全てではないのだけど、大事なシーンでタイトルがうまく回収しきれていない感じは引っかかってしまう。これは僕が見落としているだけの可能性もあるので知っている人がいたら指摘してください

 

ここまで意見ばかり書いたのだけど、絵と演出に関して途轍もなく美しかった。出てくる人はみな「かわいい」「かっこいい」というより「美しい」という言葉が似合うような人ばかりだと思う。特に主人公のマキア、あとメドメルが好きでした。見て一日経ったけど綺麗だったなあと印象に残っているし、特にマキアがずっとあの姿のまま生き続けていることを思うとなんともいえない荘厳な気持ちになる。

 

マキアの茶色い髪・「別れの一族」の金色の髪、それが夕焼けや木造建築と綺麗に融合していた。明るい髪色であることで光と影の演出が際立っていて、複雑な心境や変化を伝えているのがよかったです。最初にマキアが森で一人になったときに泣くシーンで表情の絶妙に崩れていく描写だったりマキアやレイリアの顔が大写しになるところなどは非の打ち所のないようなカットになっていて、大事なシーンでちゃんと決めると破壊力が高いよなあと思っていた。

 

町がスチームパンクみたいな世界観だったのもよかったです。モデルになる町があったのか気になる。あとエンディングでは布が織られていく短いアニメーション(機織り機が左右に往復するだけ)がずっと流れていて、シンプルなループなのに深い意味をもっていくのがいいなあとしみじみしてしまった。