nikki_20221127「新海誠『すずめの戸締まり』」

 

 

夜、午後に起きてぼんやり食事などをとって連絡など返していると見にいきませんか?と前日に会った人から誘いが来た。思い立って全12話を見て、翌朝の始発で劇場版スタァライトを見に行った去年の経験がある。こういうノリと勢いだけで視聴しておくことはよいはずだ、と言い聞かせて家を飛び出た。たぶんそうでもしないと見ない。

 

新海作品は「君の名は。」「秒速五センチメートル」のみ視聴したことがある。特典の本やパンフは読んでない(もらえなかったしレイトショーで売っていなかった)状態で初見で見た感想。なんとなく敬体で書きます。ネタバレはします。

 

 

 

 

地震という災害をかなり直接的に描いていてかなりびっくりしました。広島出身なので、終盤の燃える廃墟も原爆をそのまま想起させました。もともとそういう要素はあるよという注意喚起はあったので知ってはいたのだけど、ワンシーンに限らず全編通して出てくるとは思わなかった。これをフィクションの題材として扱ってしまった以上、どう落とすのかとずっとハラハラしていました。結果として腑に落ちたかといえば落ちていないかなというところです。私が不条理なものとして考えている災害を扱いながらも、映画の結末は丸く収まってしまった点に違和感がありました。すずめ自身が石になってしまう、くらいのしこりを残して終わってもいいのではないかというのが見終わった直後には考えていたことです。

 

映画では希望を信じるという人間の純粋な強さこそが不条理に対抗する唯一の手段である、という部分を提示したのだと解釈しました。不条理は不条理なままだし、人間は人間であって災害に耐えうる肉体になるとか、そういうことはできません。災害に対する「不条理」と「人間の強さ」(これで二分できるのかはわかりません)のうち人間の側にあてた答えの提示なわけで、それもひとつの災害に対する在り方だと思います。そもそも震災というものを扱う以上は完璧な回答は出せないわけで、こういうしこりを残すのは当然だと言えそうです。むしろこれを見て地震や震災への100点の回答で、何も言うことがないと手放しに褒めている人がいたらうーんとなると思います。

 

というところで、腑に落ちないのだけどその腑に落ちなさをそういうものだと完全に飲み込むのではなく咀嚼し続けることが大事なんだろうなというのがこの映画の主な感想になります。そのテーマを落とし込んで老若男女が楽しめるような作品にした新海監督は素晴らしいです。

 

あとは雑多な感想

 

たぶん端から端まで想定された辻褄の合い方があるのだろうけど、それを一度で読み取れなくてよいしそれが楽しみ方の全てではないのだろうな。これは君の名はでも同じような感覚がありました。

 

田中将賀さんは同郷かつ出身高校にも訪れたことがあるのですが、今回も活躍されていて嬉しかった。

 

海島千本さんも参加されていたようで、好きなイラストレーターさんなので嬉しかったです。漫画を買おうと思っていたけど忘れていたのを思い出すなど。

 

10回くらい見た劇場版スタァライトで花柳香子役だった伊藤彩紗さんが出ると耳にしていたので、関西弁あたりのところかなと睨んでいた。たぶんそんな気がする。

 

途中で椅子を踏むところとか監督の性癖が出ているなと思いました。思えば主人公の女の子の造形はわりとどの作品でも共通しているのかもしれない。

 

途中までロードムービーで引っ張っておいて、いちど東京で波乱を起こしてからまだ別の旅路が続くという構成は観客の興味をコントロールしていて上手だなと思います。

 

その道中で荒井由実松田聖子斉藤由貴などが流れていたのですがわりあい知っている曲しかなくてよかったです。自慢っぽくなってしまうけどわりと知っている人も多いようなチョイスな気がします。

 

廃墟というものをフォトジェニックな感じで映しておりそれは昨今のそういうエモさの文脈にあるのかなあと思うのですが、いちおうそこにあった人がいること、遺物としての廃墟であることを私自身は喚起させられました。単にエモい存在として消費することに慣れてはいけないな~というか。それを意図していたのかは分かりません。

 

そこに住んでいた日常の会話の断片がわーっと襲い掛かってくる演出は音楽でもやりたいと思っているところがあるので、やられたなーとなりました。ただ別に目新しい演出というわけでもなさそう。

 

あとはやっぱり地方の旅館とか商店街の旅情っていいわけで、旅に出たくなった。ロードムービーだし。お決まりのエンドロールあたりでそれまで出逢った人がでてくるのも後日譚が好きな身としてはよかったです。

 

そんな感じです。見れてよかった。

 

追記
あらためて他人の意見を咀嚼したり話したことを踏まえると「不条理」と「人間の強さ」は完全に二分できるものではないように思いました。「希望を信じるという人間の純粋な強さこそが不条理に対抗する唯一の手段である」ということ自体の不条理、終わり続けるような世界で私たちは生きなければならない、それでも、それでも、と何度も逆接を連呼して希望を信じないといけない。それしか成す術がないということ自体の厳しさ。このやりきれなさ、世界のままならなさについては個人的にも少し前から考えていたことで、それが一番濃く残っています。だからこそ、この映画の後味を手放しでよかったと言えないのだと思う。終盤の幼いころのすずめが必死に母を探すシーンは思い返すだけで辛いものがあるけれど、そこですずめ自身がかけていた言葉自体も相当に辛い。ともすれば「きれいごと」と一掃されそうな根拠のない何か、でもそれを信じるしかなくて、そうやって大丈夫だ、と言い聞かせているのはきっと目の前の幼いすずめに対してだけでなく彼女自身に対してもなんだろうと思います。それでも、それでも、それでも。

 

いっしょに見た人いわく世界の話から始まって個人に収束している話だとの見方を示していて、しかし上で述べたことを踏まえると個人に収束したようでそれは世界そのものなんだろうなも思います。すずめ自身が忘れていた震災の記憶、死生観に肉薄していくその果てにあるのがラストでの過去の自分との対峙、そこで大丈夫と言い聞かせるシーンなわけで、それはそのまま今の社会そのもののありように近いような気もしています。