nikki_20220719「無題」

 

外出する急用はなかった。おちおちとすべきことをしていたら一日が終わった。月曜は京都アニメーションで起こった事件から3年だったという。追悼の映像が月曜の間だけ見れたそうなのだけど、見逃していた。自分は現実感がないままで、それは自分で辛くなりたくないから能動的に調べることをしていないからである。でもそれを言い訳にすると歴史について学ぼうとしなくてよいことになる。一方で調べるのは感動したくてやってるみたいだという自意識も湧いてきて、いつもぐちゃぐちゃになってしまう。少なくとも凶行に走る人を減らすように社会をよくしていくために動かなければいけない。とは思うのだけど、最近はそれよりもそのような人がいても凶行を起こさない仕組みだったり、起こったあとで最小限の被害に抑える動きのほうも同じくらい大事ではないかと考え出している。たゆまず事故や事件を起こさないように原因を消し去ろうとどれほど努力しようとそれは起こってしまうのだ、という諦観のようなものがある。それならば、起こる原因が発生することを前提にして被害を防ぐ努力も同じように大事なのかもしれない。これは別に目新しい視点でなく、原因と被害どちらも同じくらいに対策する必要があるというだけの話でもある。こういうことをかこつけて書くことが良いのかもわからなくて、祈りつつ新しい作品を待ったり過去作品を見たりしたい。おやすみなさい。