nikki_20220423「料理のイデア」

 ここ数日日記の更新が止まっていたのは「ボカコレの期間中は曲のことを連続更新しよう」と思いつつ、なかなか曲を漁るという行為をせず、まとめるのも億劫だな~となっていたからです。毎日義務付けて苦しくなるのはよくないと思ったので、またおいおい書くと思います。あとは生活リズムがめちゃくちゃになって気分が沈んでいたのもある。土日は例のごとく一歩も外に出ずこの日も予定をこなしていた。

 

 

 

 

 この日はコンビニで買ったポテトサラダを食べた。食べたときに「ちゃんとポテトサラダの味を再現しているな…」と感じて自分でちょっとびっくりしていた。それはあたかもそれ以外に「本物のポテトサラダ」が存在していることを前提とした発言だったからだ。コンビニが作っている料理は「ポテトサラダ」そのものなのに、自分は「ちゃんとポテトサラダの味を再現している」と思った。これはどういうことなのかと考えてみると、私がコンビニの料理はあくまでイミテーションだと思っているからだろう。

 

 家庭的に手作りされたものが「本物」であり、コンビニは一時話題になったような「お母さんの味」を再現しているにすぎないという思想が自分のなかにある。それは某コンビニの「お母さん食堂」の印象が強く、それを謳っていない店でも「家で作ったような総菜」を意識したパッケージがなされていることも遠因だと思われる。

 

 

 

 

 これに関連して、料理のイデアというものがあるのだろうと思い至った。

 

 焼きそばなら「焼きそばのイデア」ともいえる見た目や味、麻婆豆腐なら「麻婆豆腐のイデア」ともいえる見た目や味がある。人がおいしい、不味いと思う時は無意識のうちにその「料理のイデア」との差から評価を下しているのではないだろうか。ゆえに食べたことのない味は評価できない。キャビアやフォアグラを食べても即座においしいかどうかコメントできないのも説明がつく。

 

 イデアという言い方は大げさかもしれない。今まで食べた料理から平均した「味覚の基準」がその人に形成されていて、それに基づいて美味い不味いが決まるのは当然と言えばそうである。しかし、そういう何かとの差を明確にせずとも「うま味」というものは万人でおいしいと感じるわけだからすごい。

 

 私はコンビニのポテトサラダは「お母さんの味」を捏造していると思っていて、それを脳内の「ポテトサラダのイデア」と比較したから「ちゃんとポテトサラダの味を再現しているな…」と感じたのだ。そういうことだろう。おやすみなさい。