nikki_20220315「もう片方の林檎」

 

次の日の日記に詳述する理由から短いです。

 

 

 

 

この日は月曜と似た感じで作業していた。作品に触れる一週間にする、などとほざいていたのは完全に未達成になっている。作業する→横になって音madを見る→作業する、を延々と繰り返していた。近いスーパーに行きすぎて食費が逼迫したので、途中で少し足を伸ばしてスーパーに行った。といっても徒歩で10分ほどのところですが…。食材を切るのも面倒な気分ではあったのと、スーパーの特性を生かして冷凍野菜などをいくつか買ってミネストローネにした。

 

 

 

 

先日祖父母から食料が送られてきたのだけど、結果としてその中に入っていた果物を私は捨てるに至った。腐っていたからである。苺と林檎が入っていたのだが、苺は部分的にカビが生えていた。最初はカビを摘出して安全な範囲だけ食べていたが、半量ほど食べてから冷蔵庫に放置して、また見るとカビが悪化していたので捨てた。やはり遠くから送るものではないのだろう。

 

林檎の方は2つあり、片方を食べたところ線香のような味が口内に充満したので捨ててしまった。仏壇に供えられていたのか、それとも線香の炊いてある部屋に放置されていたのか。(祖父母の家に仏壇はあるが食べ物は備えていない為、可能性としては後者のほうが高いと考える。)もう片方の林檎はまだ冷蔵庫に放置されているのだけど、食べられずにいる。

 

私は祖父母からこうして送られてくる果物を長い間食べずに腐らせてしまう過ちを数回侵しているため、今回はなるべく早く食べようと思ったらそうなっていた。しかし、もう片方の林檎も腐らせて捨てるより数口食べて新鮮なうちに判断して捨てた方がよいのだろう。早く食べます。

 

 

 

 

「結果として…」と話の結末を先に提示する書き方というのは面白いと感じたので上の文章に入れてみた。最近ネットで見かけてこちらの記事の冒頭の書き出しがそうなっていたのだ。内容はいたって真面目かつ気になる話なのだけど(問題と照合しながら読まないと面白くないのでまだ全部に目を通してはいない)、この書き出しはちょっと翻訳小説というかアメリカンジョークみたいな面白みがある。

 

それについて、はじめは何の気なしに問題を解いてみた私は、結果的に以下の問い合わせを早稲田大学入学センターに行うことになった(3月4日。メールの一部を改変なしに引用)。

synodos.jp

 

 

 

倉庫で労働をしていると周辺の環境上、子供が前を通って話し声が聴こえることが多い。子供、といっても幼児から中学生まで様々だが、特に小学生の話し方はどれだけ流暢でも「周囲の人間からこの話し方を学んだんだろうな」と思わせる付け焼刃感があって面白いと感じる。なぜだろう。年相応に見えなかったり、さながらつぎはぎのパッチワークみたく、どこかに一貫性のなさみたいなのがあるのかもしれない。結果として長くなりました。おやすみなさい。

 

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