nikki_20220307「メタ的なアイデア」

 

 午前中に起きて色々やり、午後から人と集まる会があったので参加した。帰ると思いのほか疲れてしまい、ごはんを食べて23時くらいにふにゃふにゃと眠りについた。複数人で集まってその環境に身を置くのが久しぶりで疲れたのかもしれないが、そんなので屈していて大丈夫か…という不安もある。

 

 

 

 

 きのうの日記は少し書き方を変えてみたのだけど体裁の奇抜さに頼るのは難しいことだ、と思う。これは何も小説などに限らず、音楽でもなんでもメタ的なアイデアを生かした作品というものがある。例えばピノキオピー氏の「すろぉもぉしょん」という曲では「この曲はいま一分とちょっと」というような自己言及をするような部分*1があったり、あるいは映画などではワンカットで作中で流れる時間と実際の映画の尺が同一になる、という作品がたぶんあるはずだ。こういうメタ的な体裁というものは思いついて生かすのはよいのだけど、そこに伴う実力がないと真価を発揮しないと感じる。つまり実力がないからメタ的な体裁に頼る、というようなことをしても上手くいかない気がしています。これは自分が別名義でやったボカロ曲でそういう経験をして感じたことです。

 

 しかし自分の実力に自信を持つって難しいことだし、あるいはそういうメタ的なアイデアが思いつくこともひとつの実力ではみたいな考えもあるので、一概には言えないと思う。ともかくきのうの日記は実質ネタ切れで体裁の奇抜さに頼ったみたいなところがあるので、そういう作品としては悪いものだと思う。でも、日記は作品ではないので特に不満ではありません。

 

 

 

 

 こうやって手の内を明かすようなことをいけしゃあしゃあと書くのはかっこ悪いという自覚もあるが、でもそういうことも書かずに「読まれるもの」として日記を書くのも嫌だなという気持ちがある。いい塩梅を模索します。

 

 

 

 

 ここ数日でツイートがありましたが、自分はパソコンの知識も人生の知識もないけど、どこかでこういう役割ができていたら嬉しいなと思うなどしました。

 

 

 

 

 

 

 最近日記で作品の感想などを述べることも少なく、申し訳ないなみたいな気持ちもあります(これは読まれるものとしての意識)。周りの人々を見ていると作品を鑑賞したり遠くへ旅したりとかしていて、全然そういうこともしてないし、かといって有益な勉学をしているわけでもない日々に焦燥感は少しある。まずはずっと人から借りているエヴァンゲリオンのdvdを全部見る必要があるのだけど、見たらけいおん聖地巡礼でもしようかしらん、と考えています。おやすみなさい。

 

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*1:こういう時間の自己言及って最近の若いボカロPの方々の曲には多いですが、わりと有名にしたのはこの曲ではと思っています。あとはツミキ氏とかでしょうか。