nikki_20220131「最近触れたいろいろ(その他編)」

 

 時系列ばらばらですが、29日に続いて、ずっとクリスタと対峙するなかで見聞きしたものの感想を書きます。youtuber以外で

 

 

 

 

 

少女☆歌劇レヴュースタァライト 全12話の再視聴

 

 やっている作業的に見ざるを得なくて見ました。舞台版でもよかったのだけど、初見で好きなものはちゃんと腰を据えて見たいので再視聴にした。ここ数日で見たのは10~12話で、やはりひかりありきの華恋だった(ちゃんと台詞で私にとっての舞台はひかりちゃん、的なことを言っていた)んだなあと再確認しました。ちゃんとレヴュー曲を聴いたうえでもう一度見るとここでこの台詞が入るのか、、という答え合わせ感があってよかったです。あとはひかりが退学したことについて先生などがサバサバしていたり、退学届にキリンの判子があったり、そこらへんに都合ってどうなっているのか(舞台版では触れられているが、世界線はおそらく違う?)など気になったけど、まあそこまで気にすることではない…。

 

 

 

 


テレビアニメ「日常」の7話と8話

 

 絵を描きながら初見のアニメを見れるのかという挑戦で、日常系のものを見てみた。再視聴のスタァライトでも気が散ったので不安でしたが、日常系ということもあり、わりとスムーズにいけた。でも絵の可愛さを堪能したいので、BGMとして流すのはなんか違いますねやっぱり

 

 アニメとしては変わらずかなり良くて、何がこんなに良いんだろうと考えたけど、作画の良さ、キャラのかわいさのわりにやっていることがくだらなすぎる、これに尽きるという平凡な結論しか出なかった。絵柄があらいけゐいち氏の平面的な塗りなのだけど、漫画的な表現(ガーンとなって白黒になったり、雷が落ちたり、ズッコケたり爆発するシーンの躍動感がすごいなど)を高水準でやってのけているので良いのかもしれない。

 

 あと本当に起こっていることのわけがわからないナンセンスなことばかりなのだけど、それを全部スルーして全力で主人公たちが生きているのを楽しめるのが良い。はかせはあんな感じでなのみたいなロボットを作れるのか?とか、そんな殴り方したら絶対死ぬだろみたいなのは当然スルーされている、これはトムとジェリーとかギャグアニメ全般がそうなのだけど、そういうのを見ると自分もなんか細かいことを気にしなくてもいいよね、みたいな気持ちになれるな。

 

 起こっていることがなぜそうなったのかは分からないけど、なんか面白いけどいいし、生きていくうえで分かんないこととか仕組みも知らずに利用しているものなんてごまんとあるし、生きるのってそういうもんじゃん、と励まされたような。

 

 

 

 


にゃるら・岩倉文也「インターネット2」

 

 前に買っていたのと、にゃるら氏がゲームを発売していた(プレイ予定はあまりない)ので読んだ。寄稿している人々のことをTwitterでしか知らない、あるいは全く知らないが、書かれているようにTwitterでは述べられない個人的な話が多く、そして暗かったというか、にゃるら氏のヤバさみたいなものを再認識した。これは僕の氏に対する好悪感情とかとは別で、単にお~すごいな~くらいの感想である。

 

 「にゃるらがトリップしたときに思考化した文章のメモ」にこうあった。

 

 家族の絆とか恋愛が本当に馬鹿らしく見えて、こうしてトリップしている時すら、家族だの恋人だので感動している人間をわざと見に行って対蹠的である自分に耽溺しているのだから、本当にそうなんだろう。その分、友情は大切にしているのですけど。

 

 家族とか恋人がいる人間って、自分の弱みがそこにあると自ら晒しているようで凄いと思う。この「凄い」は完全に揶揄だ。どうしても慇懃無礼な挙措をしてしまう。
 そういう人って、冗談とか非社会的な人間に排他的なので。忌憚のない意見やブラックジョークが難しいというか、「だれも傷つけない笑い」とか好きそう。

 

 これはトリップしたときの思考とはいえ後の解説では「家族の絆とか恋愛が本当に馬鹿らしく見えて」あたりは自我ポイントだと述べている。自分のことを言われているようでドキッとしてしまった。なんとなくお行儀よく大きな変動がなく生きているような自分であり、そうして生きてきたこと自体を悪く感じる必要はないと思うのだけど、それゆえに「排他的」な側面みたいなのは出てきてしまうかもしれない…気を付けたいと思った。

 

 

 件の漫画は読んでない(ひたすら悪い方向に進む作品、子供が残虐な運命に遭う作品を忌避している)けど、とにかくそういう家庭環境の異なる人との関わり方というか、そういう話を聞くたびに自分の境遇が申し訳なくなってくる。でもおそらくこうして調子に乗ったことを書いているうちに大きな変化が訪れて、いまも父が精神的に病んだりしているけど、さらに大きく苦しむときが来るのだろうと思っています

 

 

 

 そういう話をしていたらこういうツイートが流れてきた。読んでないのに引き合いに出すのは本当に良くないと思うのだけど、こういうことかなと思った。子供が虐待されたり、貧困に苦しんでいるような作品を見たときに自分はもう子供じゃなくて、そうならない社会を作る側にいるし責任の一端を負っている、そういうことを否応なしに自覚させられる辛さみたいなのがあるのかもしれない。それなのに自分はそういう環境になかったし、触れることもなくて、申し訳なくなってしまう、だからこそ社会の責任を負わないといけないと思うのだけど、その重さがのしかかる、それなのに(以下ループ)みたいな感じになるのかな

 

 あとは単純に登場人物に感情移入しすぎて辛くなることも一要因だと思います。

 

 

 

 

 

 話が逸れた。だからにゃるら氏とは逆の位置にいるようで、だから僕のような人間は嫌いなのかなとか考えた。まあ、接点がないので認識されることなんてないだろうけど、違う世界を見ている人なんだなという寂しさみたいなのがあった。

 

 でもこの同人誌が発行されたのは2019年なのでいまは心境の変化とか、どうなっているか気になる。エッセイ集が出ていたので読んでみてもいいかもしれない。まずはこの同人誌のvol2を読むべきですが

 

 あとエロゲの話が7割くらいを占めていたので、僕がもっと詳しかったら面白かったんだろうと思った。岩倉文也氏の「美少女ゲームダイアリー」なんかは毎日エロゲをプレイした記録になっていて、ほぼ何を言っているか分からないようなところもあった。しかし短歌などの引用も多くて、詩人としてやはり詳しいのだなというのと、短歌は読むので親しみを覚えました

 

 

 

 


カネコアヤノ氏の楽曲

 

youtu.be

 

 そんなに曲数はないものの1年くらい前から聴いたり聴かなかったりを繰り返して、やっと全てのアルバムを観賞し終えた。歌い方の癖が強いので好き嫌い別れそうですが、僕は好きですね。何回も日記で述べている生活の尊さみたいなものを歌っているし、フォーク的な曲調も刺さる。

 

 「ぼくら花束みたいに寄り添って」には「感動している 些細なことに」というサビがあって印象的だが、同じ感じで生活しているのでよかった。この歌詞の生活感とかもいいなと思いました。いいですね。

 

日に焼けたぬいぐるみたち
この暮らしの事情を誰よりも知ってる
出窓から見える向かいの家のこどもがひとり

バスケの練習してる

 

「燦々」

 

 

 

 

 そんな感じですね、あとは読みかけのものを読み進めたりした。5日分一気に書くのしんどいな。もう溜めないので許してください。いまからマシュマロ回答のやつを書きます。時系列がぐちゃぐちゃだ。おやすみなさい。

 

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